イヒトと海
イヒト(♀):
マルコロ:
イヒト「暑いねマルコロ、そろそろ夏なのかな?
快晴の空の下、そろそろ蒸し暑くなって来そうな風を感じて、ボク達は海の見える坂を下り歩いてく。」
マルコロ「現在、二〇三六年七月十三日。季節は、もう夏と言って差し支えないと言えますよ。」
イヒト「そうかもしれない〜。そういえば、最近は雨ばっかりだったけど、今年の梅雨はもう過ぎたのかなぁ。ここ二日くらい雲一つ見えない快晴だもんね。」
マルコロ「ところでイヒト。」
イヒト「なに、マルコロ?」
マルコロ「本当に海を見に行くのですか?」
イヒト「うん、だってボク達まだ海見たことないからさ!」
二〇二九年、人類は地上から忽然と姿を消した。ボクはそんな人類が最後に作り出した完全自立思考型のAI。見た目も機能も、心さえも何一つ人間と変わらない、でも人間じゃない存在。」
マルコロ「イヒトは人類が、その最期を悟り作り上げた人間ではない人類。イヒトは人間と全く同じ機能を手に入れ、人のように動き人のように感じます。
ただ、彼女には睡眠も食事も必要ではありません。どんな怪我をしたとしても、彼女に搭載された完全記憶組織が損傷した部分を復元し、損失した組織を再生させます。
ただ人が生きた証として、自分達の存在証明としてイヒトは作り上げられました。見る視点によっては気分の良くはない死に土産です。」
イヒト「スンスン。あ、なんか潮の香りがして来た。これだよね、潮の香り。マルコロ、きっと海が近いんだよ!」
マルコロ「こらイヒト。走ってはいけません、転げて怪我になってしまうかもしれません。コンクリートは痕が残るんですよ!」
イヒト「初めての海は、ただ広かった。浜辺と空と、そして海と。ボク1人とは比べ物にならないほど広くて。浜辺から海がずっと水平線まで続いてて、その水平線の海が右端から左端まであって。見えるこの全部が海なのに、これも海のほんの一部なんだって。
ボクの『知らない』がまだまだあって。嬉しいけど、今はちょっと悔しいと言うか悲しいと言うか…。マルコロ、この感情はなんて言うんだろうね。」
マルコロ「それは…。不安、ですか?」
イヒト「ううん。不安って感じじゃないんだ、怖くはなくて…。なんて言うんだろうな。嬉しいような、悔しいような…それでいて腹も立ってしまうような。」
マルコロ「イヒト。それはきっと、冒険心ですよ。」
イヒト「冒険心?」
マルコロ「人間は大人も子供も冒険心を心に持っているものなのです、今イヒトはその冒険心を海に自覚させて貰ったのですよ。」
イヒト「そうか、そうなんだね。すごいね、海!
海さーーーん、ありがとーーーーー!!」
イヒト「ボクたちはまだ歩きはじめたばかりで、まだ右も左もわかりはしないけど…、それでも右往左往としながらも確かにどこかに向かい続けているんだ。
ボクに遺された物、ボクに託された事。それを知り心に秘め、最後の人類としてボクはこの大地を闊歩する。」
マルコロ「確かに人間の歩みは小さなもので、それはこの子も変わりはしません。ですが、私たちの歩みは、人類の軌跡を巡る大きなものになるでしょう。
年端もいかないはずのこの子にその大役を押し付けることになってしまった事は誠に看過できはしませんが、それがこの子の役目だというのなら、私はこの子を私の最期まで見守り続けるとしましょう。