【9】初めて口にした言葉(グレイアム視点)
エレインの見舞いから戻って、僕は二つのことをした。
まず、学園内でエレインにそれと気づかれないように警護の者を付けて貰えないかと父上に頼んだ。
本来ならば母上に話すべきものなのだろうが、母上は余計な詮索をして自分に都合のいい方向に事実を捻じ曲げ、それが正しい話だと錯覚し続けることがあるために父上に直接話すことにした。
父上は、定例のお茶会をエレインが休んだことを知っており、何かあったのかと訝しい目で僕に尋ねた。
エレインがお茶会を休んだのは、体調不良とのことで学園にも復帰している。警護の者を付けて貰いたいのはあくまでも万が一のことを想定してのものだと答えた。
父上からは、婚約者を大事にしているようで安心した、ミッドフォード公爵家とはうまく付き合っていくべき相手だときちんと理解しているようで頼もしいとの言葉を戴き、翌日にはもう、エレインに気づかれることなく護衛がそっと付いた。
やはり、父上に頼んで正解だった。
そしてもう一つ。生徒会に属する者のうち、僕が最も信頼している二人から話を聞くことにした。卒業したら、僕の側近として働いてほしいと思っている者たちだ。
快活で正義感に溢れいつも周囲を引っ張っていくイーデン・ファロンと、寡黙だが視野が広く物事を別の方向からも光を当てることができるデニス・レミントン。
二人を王族専用の控室に呼んだ。
ここなら誰かに話を聞かれることもない。
まずはイーデンに話を聞こうとしたら、先んじて言われてしまった。
「誰から……とは言えないのですが……ある生徒から、殿下とドーソン男爵令嬢との距離感がおかしいのではないかと、ドーソン男爵令嬢はミッドフォード公爵令嬢と取って代わるつもりがあって殿下はそれを許しているのかと、そんな質問を受けました」
「僕が婚約者をジェシカに替えると思われているのか!?」
「そのようです。その場で質問者に『そのようなことはあり得ない』と言いましたが、生徒会室で殿下とドーソン男爵令嬢が二人きりで過ごしているのはどうなのかと、重ねて言われてしまい、もちろんそれもすぐに否定しました。いつも私や他の生徒会の役員もその場にいると、しっかり説明しましたが……」
「どうしてそんな根も葉もない話が真実かのように言われているのだ」
「そう思われても仕方のない態度を、殿下はともかくドーソン男爵令嬢は取っているということでしょう。それについては私も思うところがあります。少なくとも、ドーソン男爵令嬢に、『グレイ』と呼ばせるのはいかがなものかと」
イーデンは痛いところを突いてきた。
「それについては、幼少期からの幼馴染が故に自分に甘さがあったと……反省している。何度ももう止めて欲しいと言おうとしたが、どんな言葉で伝えても伝わらないのではと思い、結果として何も行動できていなかった」
「こんなことは言いたくありませんが、ドーソン男爵令嬢は思い込みが激しいところがあり、思い詰めれば良くない方向へ走ってしまう恐れがあると思っています。
その場合、彼女の矛先は殿下ではなく、ミッドフォード公爵令嬢へ向かいかねません」
ジェシカがひと月近くもバッグに忍ばせていたクッキーを、意図的にエレインに渡したのではないかという『疑惑』が、確信に変わりつつあった。
「言いにくいことを言わせてしまった。でも、ありがとう」
それまで黙って僕とイーデンのやり取りを聞いていたデニスが口を開いた。
「殿下……ひとつ伺ってもいいですか。殿下はミッドフォード公爵令嬢のことをどう思っていらっしゃるのですか。単なる政略的な婚約者に過ぎないのでしょうか、それとも違うのでしょうか。それによってドーソン男爵令嬢への言葉が変わってくると思いますが」
デニスの言葉に、胸を突かれたような思いがした。
僕は、エレインのことを、どう……思っているのか。
頭の中に、いろいろなエレインが浮かんだ。
うさぎの砂糖を紅茶に入れて、溶けて消えてしまったと悲しい顔をしたエレイン。
急に王家の馬車に乗せられて困惑していたエレイン。
ペン軸を選んで欲しいと言ったら、はにかむような微笑を見せたエレイン。
贈ったうさぎのブローチを嬉しそうに受け取ったエレイン。
どんなエレインを思い浮かべてみても、それと引き換えるように少しの胸の痛みがやってくる。
ああそうか、僕は──。
「エレインのことを大事に思っている。好きなんだ、彼女のことが」
イーデンもデニスも、驚いたような安心したような顔を見せた。
「それならば、気持ちに合わせた言動をこれからしていけばよろしいのでは。ミッドフォード公爵令嬢だけでなく、ドーソン男爵令嬢にも、殿下は言うべき言葉をきちんと伝える必要があると私はそう思います」
「イーデンの言う通りだと私も思います。曖昧が生み出す隙間から、草は曲がって生えていくものですから。曖昧さは言葉で消さなければならないかと」
イーデンとデニスの言葉は、胸に沁みた。
エレインにもジェシカにも、言葉で伝えなければならない。
何よりも、エレインのことが好きなんだと初めて言葉にして、その『言葉』の持つ光のようなものを感じた。
光は暗がりを照らし、僕に温かみを運んでくるようだった。
「二人とも、ありがとう」
僕は途方もない強さで今、エレインに会いたいと思った。