【10】咄嗟の行動(エレイン視点)
それから夜はずっと殿下の言葉の意味を考え、学園では言われたとおり生徒会室にもグレイアム殿下にも、もちろんジェシカ様にも近寄らないようにした。
そしてできるだけ朗らかに友人たちと過ごすように心がけた。
おなかを壊してから食欲もなく、食べることそのものが楽しくなくなっていたけれど、昼休みには友人たちとランチをいただかなくてはならない。
口にできるものを少しずつ飲み物で流し込むようにしながら、それを友人たちに気づかれないようになんとか食べ終える。
何をしていてもグレイアム殿下の言葉を考えてしまい、胸もおなかも締めつけられるように痛んだ。
今日も、昼の休みに食堂で友人と食事を終えておしゃべりをしていたら、ジェシカ様から声を掛けられた。
「エレインさんにお願いがあるの。グレイから借りていた大切なものを落としてしまって、一緒に探してもらえないかしら。彼には内緒で見つけたいの」
「まあ、それは大変ですわ……」
私は腰を浮かしかけた。
「ちょっと、どうしてそんなことをエレイン様に頼むのかしら?」
「それよりも、『グレイ』というのは、まさかグレイアム殿下のことではないわよね?」
一緒に居た友人たちが、非難めいた口調でジェシカ様に問いかけた。
まるで、私の心の中でぐるぐると渦巻いている言葉を読んだように、友人たちが言ってくれた気がした。
「私はあなたたちじゃなくて、エレインさんに話してるの! 関係ない人は黙っててくれない?」
「まあ! なんて失礼な……」
騒ぎになっては困ったことになる。ジェシカ様の声はかなり大きくて食堂ホールの中に響き、近くにいる人たちが何事かとこちらを気にしている。私はこの場をどうにか収めたかった。
「ごめんなさい、少しお手伝いしてきます。二人とも、先に教室に戻っていてね」
「エレイン様大丈夫? 先生に話したほうがいいと思うのだけれど……」
「大丈夫よ。心配かけてしまってごめんなさい。また後で」
友人たちは、何度か振り返りながら教室に戻って行った。
「先生に話したほうがいいとか意味が分からないわ。エレインさん、お友達は選んだほうがいいわよ」
ジェシカ様のその言葉には応えなかった。口を開けば、選んで選ばれてお付き合いをしている友人たちだからこそ、私を案じてくれての言葉でしょう。そう言ってしまいそうだった。
ジェシカ様は、肩を怒らせるようにして私の前を歩いていく。
ほんの少しの違和感はあった。
グレイアム殿下からお借りしたものを失くしてしまったのだから、殿下に内緒というのは分かる。
でも、それならいつも一緒にいる生徒会の皆さんにこっそりお願いすればいいのではないかしら。
どうして私に? そこに偶然私がいたからだろうか。
「たぶんこのあたりだと思うの。昨日からずっと探しているけれど、それでもまだ見つからなくて……」
ジェシカ様は裏庭にある人工池のあたりにやってきた。
ここは自然にできた池ではなくきれいに整えられている池だ。魚を放っているため、水際の近くからすぐに深くなっているという。
水辺には花や芝がきれいに植えられ、花をつける低木もあって生徒たちの憩いの場だ。
でも私は……できれば近寄りたくない場所だった。
水面を見るのも恐ろしく足が竦む。
冷たい風が頬を撫で、その風が水面に小さな波を立たせる。
その小さな波の間から無数の目が私をじっと睨みつけていて、目を逸らしても恐ろしさが足元からよじ登ってくるようだ。
おなかのあたりがキリキリと痛み始め、指先が冷えていく。
ジェシカ様にどんな言い訳をしたら、穏やかに一人で戻れるだろうかと必死に考えていた。
その時、頭の中で危険を知らせる灯りがチカチカ点滅した。
ジェシカ様は探し物をしているはずなのに、先ほどから少しも地面を見ていない。
そしてたった今気づいたけれど、ジェシカ様から何を探しているのか聞かされていなかったわ!
ジェシカ様は私やあたりの様子をチラチラ窺うように見ている。
これは、例の婚約破棄によく使われる『池に突き落とされた』をなさろうとしているのでは……?
自ら池に飛び込み、私に突き飛ばされたと言うつもりかもしれない。
池に落ちたジェシカ様が、グレイアム殿下に『エレインさんが私を突き飛ばしたの!』と訴えたら、殿下はそれを信じるだろうか。
『いいえ、そのようなことはしていません』と言う私を信じてくださるだろうか。
先日の、生徒会室に近寄らないように、学園で話し掛けないようにするとおっしゃった殿下の言葉が頭の中で再生された。
……グレイアム殿下が信じるのは、私ではないかもしれないわ……。
そう思ったとき、ジェシカ様はまさに池に落ちようとしているように見えた。
咄嗟にその手を引いて身体を入れ替え、私は池に飛び込んだ。
──ああ、私はこれで死ぬのね……でも、殿下に信じてもらえないのなら……。
目を固く閉じたまま、冷たい水の中で上も下も分からなくなっていく。
誰かが自分の名を叫んでいるような気がした。
目を閉じて瞼の裏に見える世界よりもさらに、すべてが真っ暗になった。