7 眼差しの理由
それからオレたちは他愛ない話をしながらアパートへ帰って来た。
「また明日ね」
「また明日な」
階段の手すり越しに手を振った。柚佳の後ろ姿を見送って、オレも自分の家へと向かう。
「海里!」
名前を呼ばれて振り返った。柚佳が階段の側まで戻って来ている。
「どうした?」
驚いて、急いで階段を下りた。
「あの……えっと」
視線を彷徨わせ口籠っている姿が、何かをためらっているように見えた。
「何か言いたい事がある?」
疑問に思いながら口にする。動きを止めた幼馴染を見守る。少しだけ、彼女の頭が前に傾いた。
「何?」
尋ねてみたけど、柚佳は下を向いたまま無言だ。オレも黙って話してくれるのを待つ。
アパートの敷地に細い道路が隣接している。道路の街灯からの明かりに、ぼんやりと照らされていた。階段下で二人、向かい合って立ち尽くしている。
隣の空き地からだろう。ささやかに虫の音が響いている。少し肌寒く感じるようになった夜風に柚佳の髪がサラサラと揺れた。
「っ……」
彼女が何か言いかけた。
「……海里は、何で……」
「柚佳? 今何て?」
呟きが小さくてよく聞き取れない。視線を上げた彼女と目が合った。
少し悲しみの混じったような、何かを必死に切望しているような……蠱惑的にも思える瞳だと感じた。さっき公園へ行く途中にも、こんな眼差しを向けられていたと思い出す。
そんなに見られると落ち着かない。何だかまるで――……柚佳もオレの事が好きなんじゃないかって勘違いしそうになる。
オレの目を見つめていた瞳が泣き出しそうに歪んでいく。
家に帰ると陽介が居間から出て来た。靴を脱ぐオレの横で腕組みしたポーズをしている。さっそく告白の結果を聞かれた。
「あー……。や……結局告白できなかった。ははは」
「はははじゃねーよ! こんな時間まで何しに行ってたんだよ! ……ん? 何だそれ?」
目ざとい。シャツの染みが見付かった。胸元が少し濡れているのは、さっき柚佳が泣いた跡だ。
何も聞けなかった。
彼女も何も言わなかった。
胸に抱きしめた柚佳は、静かに涙を流していた。
「ふーん? 一応何かあったみたいだな?」
陽介がニヤニヤ笑っている。……勘の鋭い奴め。
根掘り葉掘り聞き出されてしまった。しかし最後には「結局あんまり状況変わってねーじゃんか!」と理不尽に怒られた。
「でも柚姉ちゃんの言動が謎だな。行動と何となく矛盾してると思わねぇ?」
陽介は「不可解だ」と顔をしかめた。弟に言われるまでもなく、オレも気になっていた。
「それにオレは柚姉ちゃんは海里の事が好きなんだと思ってた」
不意に呟かれた言葉に驚いて弟を凝視する。
「そんな訳……ないだろ」
下を向いて薄く笑った。そうかもしれないと思った事は何度もあった。けれど今日……はっきり言われたじゃないか。彼女は篤と両想いなんだ。…………でも絶対に渡さない。
小さな溜め息が聞こえ、陽介を見る。弟はどこか安堵したような表情で「ま、何かあったら相談しろよ」と言い置き、居間へ戻って行った。
追記2022.10.20
「やつめ」を「奴め」に修正しました。
「彼女の」を削除しました。
「彼女が」を「彼女は」に修正しました。
「彼女の」を「柚佳の」、「彼女が」を「柚佳が」に修正しました。
「柚佳が」を「彼女が」に修正しました。
追記2024.5.30
「て口籠る柚佳。オレには彼女が」を「口籠っている姿が、オレには」、「躊躇って」を「ためらって」、「止まる」を「止まった」、「彼女は視線を上げた」を「視線を上げた彼女と目が合った」に修正、「疑問に思いながら口にする。」を追加しました。
追記2025.4.30
「オレには」を削除、「柚佳の動きがピタッと止まった。少しだけ、彼女の頭が前に傾く」を「動きを止めた幼馴染を見守る。少しだけ、彼女の頭が前に傾いた」、「そこに設置された街灯が照らす中、階段下で二人向かい合って立ち尽くす。隣の空き地から響く虫の音。少し肌寒く感じるようになった夜風。柚佳の髪がサラサラと揺れている」を「そこに設置された街灯にぼんやりと照らされている。階段下で二人、向かい合って立ち尽くしていた。隣の空き地からだろう。ささやかに虫の音が響いている。少し肌寒く感じるようになった夜風に柚佳の髪がサラサラと揺れた」、「かけると」を「掛ける。」、「で、」を「をしている。」、「陽介が目ざとくオレのシャツの染みを見つける」を「目ざとい。シャツの染みが見付かった」、「。」を「のは、」、「涙を流した」を「涙を流していた」、「けど、」を「。しかし」、「けど、」を「けれど。」に修正、「だと感じた」、「……」、「、」を追加、改行等を調整しました。
追記2025.5.5
「あったけれど。」を「あった。けれど」に修正しました。
追記2025.8.11
「アパートの敷地に隣接する細い道路。そこに設置された街灯にぼんやりと照らされている。階段下で二人、向かい合って立ち尽くしていた」を「アパートの敷地に細い道路が隣接している。道路の街灯からの明かりに、ぼんやりと照らされていた。階段下で二人、向かい合って立ち尽くしている」、「弟は何故か安堵したように小さく息を吐いて背を向けた。「ま、何かあったら相談しろよ」と言い残し、先に居間へと戻って行った」を「小さな溜め息が聞こえ、陽介を見る。弟はどこか安堵したような表情で「ま、何かあったら相談しろよ」と言い置き、居間へ戻って行った」に修正、「問い掛ける。」を削除、「……」を追加しました。