66 番外編(篤視点) キスの練習相手は義妹で好きな人②
夜……自分の部屋で勉強をしているとドアをノックする音が聞こえた。ドアの隙間から顔を見せたのは可愛い我が妹だった。
一つ年下の妹とは幸か不幸か血は繋がっていない。最近やたら可愛く思えて暴走しそうになる己を律する為に、かなり精神が磨り減ったと感じる。今も薄ピンク色の寝巻の上からクリーム色のカーディガンを羽織っただけという無防備な格好でおずおずと近寄ってくる。気が狂いそうだ。
椅子に座ったまま振り返っていた俺の側まで来て足を止めた妹……美緒は俯きがちに言った。
「お兄ちゃん勉強お疲れ様。私、今から下の階に飲み物取りに行くけど何か飲む?」
「あーそうだな。眠気覚ましにコーヒー飲もうかな」
「あ! 私が持って来るからお兄ちゃんはそのまま勉強してて」
「分かった。ありがとう」
一応返事はしたけど少し変に思った。美緒の様子がおかしい。後ろめたい事でもあるのだろうか。何故か視線が合わない。彼女は下を向いたまま小走りに部屋を出て行った。
十分くらいして妹が戻って来た。俺は机に向かってノートに試験範囲をまとめていた。
「ここに置いておくね」
後ろから来た美緒が机上の勉強の邪魔にならない場所にコーヒーの入ったカップを置いてくれた。
「ありがとう美緒」
微笑み顔を上げて彼女を見た。
次に気付いた時、俺は椅子から転げ落ちて床に尻餅をついていた。無様な格好で妹を見上げる。
妹はその愛くるしい双眸を悲しげに歪めた。
何が起きた? 一瞬、美緒の顔が近くなってそれで……。
寸前で後方に仰け反って離れた。だからバランスを崩して椅子から落ちたんだ。
床に座ったまま無言で記憶を整理していた俺に更なる衝撃が襲い来る。美緒が言う。
「私、沼田さんを本気で落としにいくから。だからお兄ちゃんも協力して」
突然宣言された内容を頭の中で反芻する。色々と理解が及ばないながらも思考する。
美緒……沼田君の事が好きだったのか。普段は俺が彼の話をしても興味のなさそうな相槌を打っているだけだったから違うんだと思っていた。
内心落胆している自分に気付いてしまい戸惑う。おかしいな。今までそうなるよう仕向けていたのは俺なのに。
――そして妹の俺への要望を口の中で繰り返す。
「協、力……?」
雷のような衝撃に動けないでいた。呆然と我が妹の穏やかな表情を見上げる。彼女は経緯を説明してくれた。
「沼田さんは柚佳さんしか見ていない。私なんか眼中にない。お兄ちゃんの付属物というくらいにしか認識されてないの分かってるもん。だから。……お兄ちゃんは色んな人と付き合ってたでしょ? 素敵な女の人と付き合ってきて知ってると思うんだ。どんな人が魅力的で好かれるのか、とか。私をプロデュースしてほしい。でも『柚佳さん』にはなりたくないの。本人に負けるの分かってるから。だからお兄ちゃんの好ましいと思う人になりたい。沼田さんを長年見つめてきたお兄ちゃんだから信頼できる。お願い! 沼田さんの好感を勝ち取りたいの! ……あと、それから。キスの練習もしたいの。沼田さんに不意打ちでしてみようと思ってるから。さっきお兄ちゃんにしようとしてたのは、その練習」
へへへと苦笑いしている妹を凝視していた。目が逸らせない。妹は俺に要請した。
「お兄ちゃん協力して」
暫く何も言葉が浮かばなかった。
「……美緒はそのままで十分可愛いよ」
やっと絞り出せたのは、そんな台詞だった。
「このままじゃダメなの。今の私じゃ届かないって分かってるから」
俺がいなそうとしていると思ったのか美緒が反発するように声を荒げた。
「お兄ちゃんが手伝ってくれないなら別の人と練習するからいいよ」
彼女はそう言い置き、踵を返してドアの方へ歩んで行く。咄嗟に追いかけた。手首を掴んで問い詰める。
「別の人って? 誰と?」
「さあ? クラスの男子とか?」
返答に眉根を寄せる。俺に選択の余地がない事を悟った。
「……分かった」
俺の責任だ。俺が沼田君のいいところを美緒に吹き込まなければ……。沼田君は一井さんしか見てないし。こうなったら美緒が諦めるまで付き合うしかない。俺たちは一応兄妹だし、何とか誤魔化しながら……。
「ありがとう、お兄ちゃん」
美緒の表情に明るさが戻ってホッとした。しかしそれも束の間だった。続け様に放たれた指示に再び焦りを抱く事になる。
掴んでいた筈の小さな手に逆に捕まっていた。俺の右手が美緒の両手に包まれている。切実な様相の妹に上目遣いで望まれた。
「じゃあ、まずはキスの練習させて……?」
追記2024.5.28
「妹」を「彼女」、「そう言い置いて踵を返しドアの方へ歩む妹を追いかけた」を「彼女はそう言い置き、踵を返してドアの方へ歩んで行く。咄嗟に追いかけた」に修正、「妹の」を削除しました。




