４ 夕暮れの道で
「あーあ」
寝転がっていた状態から起き上がる。台所へ行き、干してあった台拭きを取る。冷蔵庫の扉を拭こうと手を伸ばしたところ突如、肩を掴まれた。
「何でそんな事になってんだよ！」
陽介が疑問に思うのも無理はない。オレもよく分からないうちにそうなった。
「何だよキスの練習相手って……。柚姉ちゃんは……、本当に柚姉ちゃんはその篤って奴の事が好きなのか？」
「ああ。本人が言ってた」
オレが頷くと弟は眉をひそめ自らの顎に指の関節を当てた。何か考えている様子に見える。
「……海里。これはオレからの忠告だ。柚姉ちゃんに告白しろ！ 今すぐに」
「は？」
急に何を言い出すんだ？ と弟を見る。
「いいから行けって！」
ぐいぐい背中を押される。玄関から外に追い出された。
ドアの外に出る際、左手に持っていた台拭きを奪われた。代わりにオレのいつも履いているスニーカーを握らされる。ドアを閉められた。カチャンと鍵のかかる音が響く。
「ちょ……何で？」
呆然とドアを見つめた。
遠くで時を告げる鐘が鳴っている。十八時の夕暮れは、真夏だった先月に比べると夜の色に近い。
訳も分からないままスニーカーを履いてアパートの階段を下った。
柚佳の家は同じアパートの下の階にある。二階建ての古ぼけたアパート……その一階の角部屋。位置的にオレの家の真下の部屋だ。
さっき柚佳を伴ってオレの家に帰った時に制服の上着を脱いでネクタイを外していた。今は灰色のズボンに白のシャツという出で立ちだった。柚佳の家の前まで来て、外していたシャツの一番上のボタンを留めた。
一呼吸置いて、チャイムを鳴らした。
「はーい！ あら、海里君！」
ドアを開け顔を出したのは「柚佳のおばちゃん」……つまり柚佳の母親だ。今年四十二歳とか言っていたけど三十代くらいに見える。パーマのかかったような茶色の髪を頭の後ろ低めで一つに結んだ髪型で、けっこう毛量が多い。少しだけふっくらした体型で紺のジーパンに白のＴシャツ、その上から黒いエプロンという格好をしている。大きめの黒縁眼鏡が印象的だ。
「こんばんは。柚佳いますか？」
「うん、ちょっと待ってね。柚佳ー！ 海里君よー！」
おばちゃんが大きめの声で柚佳を呼んでくれた。
奥の部屋からパタパタと足音がして――。少しだけ姿を現した柚佳にオレの目は釘付けになった。
「海里、どうしたの？ ちょっと待ってて着替えるから少し待ってて！」
慌てた様子の彼女はすぐに奥の部屋へ引っ込んだ。
……膝上までの丈の青っぽいショートパンツに白地のダボッとしたＴシャツ。九月とは言え、まだ暑いしオレも家では半袖を着ている。
目に焼き付いたのは、綺麗な白い脚。
普段目にする彼女の私服は膝下くらいまであるスカートやジーパンが多い。そのせいだろうか。何か見てはいけないものを見てしまった気持ちになった。
五分くらいして柚佳が出て来た。
「お待たせ！ 家の中ごちゃごちゃしてて汚いから、外で話そう！」
今度は濃い青のジーンズに水色で大きめのパーカーを着ている。スッと伸びた長い脚が隠されてしまい少し残念に思うが、これでいいのかもしれない。世の男どもには目の毒だ。他の奴は絶対に知らなくていい。
「あ、じゃあさ……。小学校の近くに公園あったじゃん。あそこ行ってもいいか？ ちょっと遠いけど……話があって」
「う、うん」
オレが突然訪問したからだろうな。柚佳も戸惑っているように見える。
夕闇に包まれる喧騒の町を歩く。ゆっくりとした道行。彼女のスピードに合わせた。
柚佳を連れ出したはいいがオレは酷く困惑していた。
陽介に言われて告白する流れになったけど、気持ちが追いついていない。そもそも何故、陽介は急に告白するよう言い出したのか。「キスの練習相手」というふしだらな関係はやめて、男らしく告って散ってこいって事なのだろうか。
それとも。陽介はオレの知らない事実を、何か知っている……？
「ねえ」
考え込み無言で歩いていた時、柚佳に声を掛けられた。顔を向ける。ハッとした。何とも表現しにくい瞳で見つめられていた。彼女の口元には微笑みが浮かんでいるのに、どこか悲しげな気配を感じる。
どくん、と。一際大きく胸が鳴るのを感じた。
「私、負けるのが嫌いなの、知ってるよね？」
「お、おう」
急に何の話だ？ よく分からないが相槌を打つ。
「意地悪されたら当然仕返しするの、知ってるよね？」
「おっ……おう」
柚佳は昔からそうだった。幼稚園の頃から。彼女の気分を害する事をしようものなら相応の報復が未来で待つ事を刷り込まれるくらいにはトラウマがある。
「そういう事だから、覚えてなさいよ！」
少し怒っているような物言いを残して先を行く幼馴染の、後ろ姿を見つめていた。
何に怒っているのか見当がつかない。そんな状況でも彼女の仕草が可愛いと思ってしまうのは重症だと思う。
こんなに好きなのに、振られたらオレどうなるんだろう。きっと耐えられない。
遅くなりました。毎日投稿できなくてすみません。
追記2022.10.17
「…」を「っ、」に修正しました。
「、」を「……」に変更しました。
追記2023.3.30
「、」を削除（７箇所）しました。
追記2024.5.30
「普段、膝下くらいまであるスカートやジーパン姿の多い柚佳」を「普段目にする彼女の私服は膝下くらいまであるスカートやジーパンが多い。そのせいだろうか」、「難い」を「にくい」、「彼女がオレを見つめていた」を「見つめられていた」、「彼女」を「後ろ姿を見つめる」に修正しました。
追記2025.4.30
「オレは」を削除、「伸ばしかけた手。突如その肩を陽介に掴まれた」を「手を伸ばす。突如、肩を掴まれた」、「オレが頷くのを見ながら、陽介は眉をひそめるような表情で顎に手を当てた」を「オレが頷くと弟は眉をひそめ自らの顎に指の関節を当てた。何か考えている様子に見える」、「ぐいぐい背中を押されて」を「ぐいぐい背中を押される。」、「ドアの外に出る際左手に持っていた台拭きを奪われ、代わりにオレのいつも履いているスニーカーを握らされた」を「ドアの外に出る際、左手に持っていた台拭きを奪われた。代わりにオレのいつも履いているスニーカーを握らされる」、「夕暮れも終わりかけた九月の空。真夏だった先月に比べると夜の色に近い十八時。遠くで時を告げる鐘が鳴っている」を「遠くで時を告げる鐘が鳴っている。十八時の夕暮れは、真夏だった先月に比べると夜の色に近い」に修正、改行を調整しました。
「。」を「……」、「だ」を「だった」、「留める」を「留めた」、「突然の訪問にまだ戸惑っている様子の柚佳を引き連れて」を「オレが突然訪問したからだろうな。柚佳も戸惑っているように見える」、「夕闇に包まれる喧騒の町を歩いた。彼女のスピードに合わせ、ゆっくりとした道行」を「夕闇に包まれる喧騒の町を歩く。ゆっくりとした道行。彼女のスピードに合わせた」、「かけられた」を「掛けられた」、「そちらを向くと、」を「顔を向ける。ハッとした。」、「微笑みの形」を「微笑みを形作っている」、「少し怒っているような物言い。オレを置いて先に行く後ろ姿を見つめる」を「少し怒っているような物言いを残して先を行く幼馴染の、後ろ姿を見つめていた」に修正、「今度は」、「、」（二箇所）を追加、「……」を削除、改行等を調整しました。
「そう言うのも」を「疑問に思うのも」に修正、「……」を削除しました。
追記2025.5.1
「彼女の」を削除しました。
追記2025.5.5
「起き上がって」を「起き上がる。」、「取る」を「取った」、「手を伸ばす。」を「手を伸ばしたところ」に修正しました。
「取った」を「取る」に修正しました。
改行を調整しました。「大きく後方へ呼びかけてくれるおばちゃん」を「おばちゃんが大きめの声で柚佳を呼んでくれた」に修正しました。
「といえど」を「とは言え、」に修正しました。
「どこか悲しげなようでいて、けれど口元は微笑みを形作っている」を「彼女の口元には微笑みが浮かんでいるのに、どこか悲しげな気配を感じる」に修正しました。
追記2025.8.11
「、」を追加（二箇所）、改行を調整しました。
