37 山と谷
左手で押さえていた彼女の手を握る。上に持ち上げて掌同士が触れる。瞳を見交わしたまま、指の一本一本を絡め合わせる。握り合った手を引いて導く。
挟んだり舐めたり弄ぶ。浅く深く……短く長く探り合う。
戯れは熱量が増し、引き返せないところまで来た。もう勝負の事なんて頭になかった。ゆっくり柚佳を仰向けにし、覆い被さる格好でキスを続けた。お互いの中にある愛を、確かめ合うように一心に。
オレの強い望みが次第に切迫して、吐息と共に唇を放す。懇願するように見つめてしまう。どこか熱っぽさのある、少し虚ろな瞳で柚佳が笑う。
「海里……好きだよ」
片想いだった時にはあった心の空洞部分が、大切なもので満たされたような……泣きたい気分だった。
「オレも」
上手く言葉が見つからなくて、簡素な返事になった。右手で白い頬をなぞる。
いつも会う場所・時間に、いつもと違う事をしていた。どこか現実味がない。雨音が遠くでしてる。
この日のオレたちは、キスの先にある道を少しだけ進んだ。
二人の気持ちが通じ合っていると認識し。一旦、落ち着いたら。別の焦りが訪れる。
今の今まで時間なんて忘れていたけど、さすがにもう陽介も帰って来る頃だと慌てる。
「この勝負、オレの勝ちだよな?」
思い出して柚佳へ、ニヤッと笑う。
「な、何で?」
柚佳が驚いた顔をした後、頬を膨らませている。頭を撫で、抱きしめる。
「分かってるくせに」
意地悪く笑って囁く。
「……~~~~」
柚佳はオレの胸に顔を埋めて、不満があるように唸った。
…………キスしていた時、更にメロメロにされた事は内緒だ。
「言う事聞いてくれるんだよね? そうだなぁ……」
篤と柚佳の『関係』について聞くか、篤が柚佳にした『お願い』が何だったのか聞くか……あと、柚佳が持っていた『写真』についても気になるな。どれを尋ねよう?
「篤とお前の関係について、はっきりと教えてほしい」
顔を向けてくる。納得していない目をしている。
「ダメ。教えない」
「何で? 約束と違うじゃん」
「海里の言う事は、もう聞きました」
「は? 何を……」
「よく思い出してよ」
……もしかしてさっきの事? 今までの人生で最高の時だったから、何も文句が言えない。
「くうっ」
悔しさに歯噛みする。柚佳がニヤリと笑っている。無理やり勝利を我が物にした、仕返しをされたようだ。諦めきれずに言い募る。
「じゃあ、篤の事じゃなくて『写真』の事は? 柚佳が持ってたあの『キス偽装写真』! 誰から渡されたんだよ」
「あ、それ?」
何故か左に顔を逸らす柚佳の姿に、脳裏を過った場面がある。今朝の……。
「まさか……?」
「あの写真、桜場君にもらったの」
「あの野郎!」
怒りに歯軋りを強める。慌てたように付け足してくる。
「桜場君、心配して教えてくれたの。……でも本当は、私の心を折りたかったんだと思う」
言葉の後半、彼女は暗い顔になり俯いた。
「許せねぇ!」
「あっ、でも……! 桜場君は本当は、いい人なんだよ!」
再び顔を上げ、必死な様子で。篤を弁護する柚佳に、違和感を覚える。
「柚佳……。何でそんなに篤の事、庇うんだよ」
「えっと、それは……」
口籠もった彼女へ問う。
「また言えないの?」
さっきまで最高に幸せだったのに、急に奈落に叩き落とされたような感覚を味わう。篤と柚佳の秘密が、こんなに胸に応えるなんて。
「桜場君と私は……似てるところがあって」
「何それ」
冷ややかに呟く。語尾は低く消えた。
イライラする。柚佳の口から、他の男の話なんて聞きたくない。
目付きも悪い自覚があった。彼女の顔が見る見る悲しそうに歪む。そんな顔を、させたかった訳じゃないのに。不甲斐ない自分にも腹が立つ。どす黒い感情を、どうする事もできない。
「帰るね」
言い残して、彼女は部屋を出て行った。
追記2022.11.30
「さっき」を削除しました。
追記2022.12.5
「柚佳は」を「彼女は」に修正しました。
追記2024.5.19
「急に勝負の話になって驚き顔の柚佳。頬を膨らませた彼女の頭を撫で、抱きしめる」を「柚佳が驚いた顔をした後、頬を膨らませている。頭を撫で、抱きしめた」、「。オレの脳裏に浮かぶ今朝の一場面」を「の姿に脳裏を過った場面がある。今朝の……」、「口籠もる彼女」を「口籠もった彼女へ問う」、「柚佳」を「彼女」に修正、「を味わう」を追加しました。
追記2025.11.4
改行を調整しました。
追記2025.11.5
「右手を握った」を「手を握る」、「認識し一旦落ち着いたら別の焦りが訪れた」を「認識し。一旦、落ち着いたら。別の焦りが訪れる」、「柚佳に」を「柚佳へ、」、「抱きしめた」を「抱きしめる」、「柚佳が慌てたように付け足す」を「慌てたように付け足してくる」、「再び顔を上げて必死な様子で篤を弁護する柚佳に違和感を覚える」を「再び顔を上げ、必死な様子で。篤を弁護する柚佳に、違和感を覚える」、「歪んだ」を「歪む」に修正、「、」(十六カ所)「……」を追加、「オレが」「それだけ」を削除しました。
「放した」を「放す」、「笑った」を「笑う」、「柚佳が顔を上げてオレを見た」を「顔を向けてくる」に修正、「、」(三カ所)を追加しました。




