３５ 確認
それから。オレたちは殆ど何も喋らず、アパートの近くまで来た。
といっても柚佳は、終始何か話したそうな様子だった。俯きがちの彼女。時々顔を上げて、こっちを見て口を開きかけるけど。ためらうように、また俯く。
そんな彼女に敢えて何も聞かず、隣を歩いていた。柚佳の肩が濡れないように、傘を右に傾ける。オレの肩が濡れるけど、二人入るには傘の大きさが十分じゃないので仕方ない。
アパートの敷地に隣接する空き地の前で、柚佳が立ち止まった。前に進みかけていた足を止め、彼女を振り返る。
「柚佳？」
濡れないように。彼女へ傘を差し掛ける。
「海里、ごめんね」
澄んでいる響きなのに……絞り出す如く紡がれた、何かの感情が込められた声に…………心臓がぎゅっと掴まれたように脈を打つ。
「何が？ 何が『ごめんね』？」
不安と嫌な予感に、胸がざわつく。上着の前を握り締め、問い掛ける。
口にしてしまってから後悔した。オレには何も覚悟ができていなかった事に、漸く気付く。最後まで、彼女の話を聞ける自信がない。
「……篤の事？」
怖ろしさに勝てず、自分から話を振ってしまった。
柚佳はオレを見て……悲しそうに笑う。
待ってくれ。待て待て待て待て。
柚佳が口を開けるのが見える。
「はいひ」
くぐもった声が聞こえ、我に返る。気が付いた時には、左手で彼女の口を覆っていた。ゆっくり手を離す。
「海里、何？ どうしたの？」
「ごめん」
驚いているらしい彼女に謝って、右下に目線を逸らす。心音の響きが落ち着かない。もし本当に柚佳と篤が「そう」だったとして。オレはきっと、どうする事もできない。
「柚佳。柚佳は篤よりオレの方が好きなんだよな？」
真っ直ぐに、その目を見つめる。彼女は一拍ぐっと詰まるような表情をした後、コクッと頷いた。
「じゃあ話せるよな？ 話してくれるよな？ 篤とお前の関係について。篤がお前にした『お願い』についても」
左手で柚佳の右肩を掴み、揺さぶってしまう。
「お前がオレと花山さんの仲を心配してたように、オレも篤とお前の仲が心配なんだ。頼む」
情けないけど、本心を曝け出す。
柚佳は何も言わない。少しの間、何かを思考しているようにぼーっとした瞳だった彼女の顔に……段々と戸惑いらしい動きと赤みが増していく。
「えっ……と？」
目を下に向けたり横に向けたり頻繁に動かしている様が、オレの視線から逃げているようにも思える。柚佳の肩を放して、苦しく鳴り続ける胸を押さえる。
「……言いたくないのなら、いいよ。無理には聞かない。だけどお前の事、嫌いになるかもしれない」
苦く笑って告げる。柚佳の顔色が強張ったように見える。
「海里！ 桜場君と私が……その……変な関係だと思ってるの？ ……あはは！」
柚佳が笑い出した。笑って出た涙を拭っている姿を、オレは静かに眺めている。
「狡いよ！ そんなに執着してくれるなんて。私の事で、そんな顔してくれるなんて。本当に狡い！」
彼女は一頻り笑い、最後にそう結んだ。
胸の上で上着を握り締めていた左手に、温かな手が重なる。
「行こう。私にばっかり傘を差してるから……海里ってば、びしょ濡れになってる！」
手を引かれるまま、アパートの階段を上った。
追記2022.11.27
「二人入ると傘の大きさが十分でなくなる」を「二人入るには傘の大きさが十分じゃない」に変更しました。
追記2024.5.19
「が聞こえ我に返った」を追加、「オレの視線を避けている気がする彼女の態度」を「いる様がオレの視線から逃げているようにも思える」に修正しました。
追記2024.6.1
「ざわつく胸」を「胸がざわつく」に修正しました。
追記2025.11.4
改行を調整しました。
「、」を「。」（二カ所）、「に」を「へ」、「打った」を「打つ」、「かけた」を「掛ける」、「気付いた」を「気付く」、「笑った」を「笑う」、「見えた」を「見える」、「返った」を「返る」、「逸らした」を「逸らす」、「掴んで」を「掴み、」、「告げた」を「告げる」、「見えた」を「見える」、「重なった」を「重なる」に修正、「、」（十九カ所）「……」（二カ所）「。」を追加、「オレは」「左手で」「柚佳の」（二カ所）を削除しました。
「澄んでいる響きなのに、絞り出すように紡がれた……何かの感情が込められた声。心臓がぎゅっと掴まれたように脈を打つ」を「澄んでいる響きなのに……絞り出す如く紡がれた、何かの感情が込められた声に…………心臓がぎゅっと掴まれたように脈を打つ」、「いた」を「いる」、「、」を「……」に修正、「。」（二カ所）「……」「、」（二カ所）を追加、改行とスペースを削除しました。
