24 悪魔の囁き
「……あのさ」
バスの到着が遅れているようなので、昨日聞きそびれた事を確認しようとした。声を掛けると柚佳が顔を上げてこっちを見た。
「オレたちって、今……付き合ってる?」
少しドキドキして視線を彷徨わせながら尋ねた。チラッと表情を窺う。彼女はびっくりしたように目と口を開いた後、太陽の光が零れるような微笑みを見せた。
「付き合ってる! 絶対にそう!」
言い切り左手を握ってくる。付き合っているという事実と柚佳から手を繋いでくれた事が嬉しくて……じーんとしていた。再び目を戻すと、こちらを見ていた彼女と視線が重なった。
いつもの短めのポニーテールに、いつもの制服姿。でも今は……いつもと違って見えた。眼差しや、ちょっとした表情のキラキラした感じ。愕然とした。
オレの彼女は最高に可愛い。
見つめ合っているところへバスが来た。パッと手を放される。この時間のバスには同じ学校の生徒も多く乗っているからだと思う。
乗車する為に歩いている時、頼まれた。
「でもまだ美南ちゃんには言わないで。私が言うから」
伏目がちなその表情はさっきまでと違い、陰りを帯びているようにも見えた。
学校の自分の席へ着いてから思い至る。結局、篤と柚佳の関係について聞けなかった。さっき柚佳に『付き合ってる』と認めてもらえた事が嬉し過ぎて、ここに来るまでそればかり考えていた。
柚佳のいる方をチラ見する。彼女はいつもの学校用の澄ました顔で鞄から取り出した教科書やノートを机に移しているところだ。柚佳は何をしていても可愛いな……と和む。
浮かれまくっていたオレは、忍び寄る暗雲にまだ気が付いていなかった。
視界の端から今一番目に入れたくない人物が侵入し、柚佳の側に立った。彼女に話し掛けている。
「一井さん、おはよう。ちょっと話があるんだけど……いいかな? ここじゃ言いづらくて。少しの間、場所を変えても大丈夫?」
柚佳は座った状態からその人物……桜場篤の顔を見上げた。そしてチラリと、こちらへ目線を移動させてくる。
ダメだダメだ。行くな!
そう心の中で念じて必死に首を横に振るオレ。柚佳の視線に気付いたように、篤もこちらへ体を向けた。
「ああ。沼田君か。悪いけど、沼田君に聞かれたくない話なんだ」
ガタッ。
思わず椅子を倒しそうな勢いで立ち上がった。柚佳が焦ったように言葉を放つ。
「わ、分かった! 話を聞く。行こう」
篤に続いて教室の外へと歩む彼女が、廊下へ出る直前……足を止めこっちを見た。心配そうな顔で。だけど何も言ってくれなかった。二人の足音が遠ざかる。
オレは呆然となって自分の椅子に座り直した。机の上に目線を落とす。
「え? オレ彼氏なのに」
ポツリと声が漏れてしまう。普通こういう時って彼氏を優先してくれるもんじゃないの?
クックック……と小さめに笑う声が聞こえてきた。
「ふーん? やっぱり付き合ってたんだ」
内緒話をするように口の横に手を当てた花山さんが、右隣の席から喋りかけてくる。目を細めた含みのありそうな笑顔を向けられている。いつもの彼女のイメージと違って、どことなく妖艶な雰囲気がある。
「……昨日から」
釣られて声を抑えて答える。そしてハッとする。『まだ美南ちゃんには言わないで』と柚佳に言い含められていた事を思い出した。ヤバっ! 言っちまった。
「そうなんだぁ」
花山さんの笑みが増した。表情を読まれている気がする。何か怖い、この人。
「でも私、諦めないから」
彼女は立ち上がると、オレの右手を両の手で握ってきた。周囲にいるクラスメイトたちのざわめきが聞こえる。オレも何でこうなっているのか分からず、動揺が半端ない。
「今日の放課後、私とデートして」
「えっ? 何で? い……」
『嫌だ』と断ろうとしていた。柚佳に誤解されるような事はしたくない。けれどそれよりも早く……オレの頬の近くに顔を寄せた花山さんの囁きが、オレを動けなくした。
「キス、してたでしょ。柚佳ちゃんじゃない子と。証拠写真があるんだぁ」
一瞬、理解が追いつかず……ただ彼女の綺麗な顔を見つめた。
まるで無害そうな微笑みを浮かべた顔で、可愛らしい声で。しかしその要求は、オレの中の花山さんのイメージを悪の権化へと変貌させた。
「返事、イエスと言わないと柚佳ちゃんにバラすよ?」
「イエス」
我に返った時には、口が勝手に答えていた。
せっかく柚佳と付き合えたのに、この幸せを壊そうとする輩が現れるなんて……! しかもオレのすぐ隣の席にいやがった!
ゾッとして花山さんの顔を見ていた。どこかから走る足音が聞こえた。教室前方の出入口に柚佳がいた。息を切らしたように肩を動かしている。彼女はこちらを見ていたけど何も言わないで自分の席へと戻った。机に突っ伏している。
「柚佳……?」
「あら? 見られちゃったね」
花山さんがニコッと笑いかけてくる。オレもやっと思い至って、慌てて手を離した。
きっと今、何を言ったって柚佳の心には届かないだろう。嘘くさい言い訳に聞こえると思う。
「あー」
泣きたくなった。オレも机に突っ伏す。
付き合ったばかりなのに。今日も柚佳と一緒に帰りたかったのに。
昨日はお休みしてすみませんでした。
追記2022.11.8
「オレの表情も」を「表情を」に修正しました。
追記2022.11.18
「クラスメイトたちが」を「クラスメイトたちの」に修正しました。
追記2024.5.12
「柚佳」を削除、「柚佳は」を追加、「こちらを見た」を「、こちらへ目線を移動させてくる」に修正しました。
「篤に続いて歩き出す柚佳。彼女は廊下へ出る前、心配そうな顔でオレを見ていたけど何も言わずに教室を後にした」を「柚佳は篤に続いて教室の外へと歩む。廊下へ出る直前、足を止め心配そうな顔でこっちを見ていたけど何も言ってくれなかった。二人分の足音が遠ざかる」に修正しました。
「オレ」を削除、「笑みを増す花山さん」を「花山さんの笑みが増した」に、「そう言って花山さんが立ち上がった。オレの横へ立った彼女は、オレの右手を両手で握ってきた」を「そう言って立ち上がった彼女は、オレの右手を両の手で握ってきた」に、「ざわめく声」を「ざわめき」に修正しました。
追記2024.5.13
「柚佳は」、「分」を削除、「。廊下へ出る直前、足を止め心配そうな顔でこっちを見ていたけど」を「彼女が、廊下へ出る直前……足を止めこっちを見た。心配そうな顔で。だけど」に、「言った」を「言葉を放つ」に修正しました。
「座っていた」を「座った」に修正しました。
追記2024.5.31
「花山さん」を削除、「花山さんが」を追加、「て」を「た」、「た」を「る」に修正しました。
追記2025.9.5
「、」(十カ所)「……」(二カ所)を追加、「オレが声をかけると隣に立つ」を「声を掛けると」、「言い切った柚佳に左手を握られた」を「柚佳は言い切り、オレの左手を握ってきた」、「乗車する為に歩きながら柚佳が言った」を「乗車する為に歩いている時、聞いた」、「に」を「へ」、「花山さんが右隣の席から内緒話をするように口の横に手を当て声を潜めながら喋りかけてきた」を「内緒話をするように口の横に手を当てた花山さんが、右隣の席から喋りかけてくる」、「向けられる」を「向けられている」、「そう言って立ち上がった彼女は」を「彼女は立ち上がると」に修正、「横から」「オレに」を削除、改行を調整しました。
「柚佳の」を削除しました。
「柚佳は言い切り、オレの左手を握ってきた」を「言い切り左手を握ってくる」に修正しました。
「、」を追加しました。
「…………」を削除、改行とスペースを調整しました。
「……」を追加しました。
「来て、彼女はパッと手を離した」を「来た。パッと手を放される」に修正しました。
「聞いた」を「頼まれた」に修正しました。
「気付いた」を「思い至る」に修正しました。
「かけて」を「掛けて」に修正しました。
「、」を追加、「と思っていたら」を「。」、「泣きたくなってオレも机に突っ伏した」を「泣きたくなった。オレも机に突っ伏す」に修正しました。




