ミス・シープル爆誕編-3
漫画家の犬村猫子先生の家は、文花の家の近くにあった。
栗子と亜弓は文花の家で待ち合わせをして、三人で一緒に向かう。今日は橋本ちゃんの会えるという事で栗子はサイン本を持参した。もっとも彼女に気に入ってもらえるかはわからないが、やはり警察に疑われている彼女を思うと気が気ではなかった。
「えぇ? カルトがこの事件に関わっている可能性があるの?」
栗子と亜弓は、今まで知った情報を全て文花に共有した。文花はかなり驚いたようだったが、すぐに納得していた。
「そうね。私もエンジェル万歳教についてもう少し調べてみるわ。全く近所に住んでる信者がまだ来るのよ。あの人達かなりしつこいわね」
文花にそう言われるのはよっぽどだと亜弓は思う。文花も夫の不倫調査については常軌を逸しているのだが。まあ、今は文花の夫も不倫をしていようだし、心なしか文花の表情も以前よりやわらかである。
「猫子先生ってどんな人?」
栗子はちょっとワクワクした目で文花に聞いた。
「ちょっと変わってるけど、いい人だと思うわ」
「私、猫子先生の作品読んだ事ありますよ。めちゃくちゃ怖いホラーで」
「そんなの? 怖い先生じゃなければいいわね、亜弓さん」
そんな事を話しながら、猫子先生の家についた。三階建ての大きな家で、庭も広い。ここで一人で生活するのはかえって家事が大変じゃないだろうかと栗子は思ったが、なんとお手伝いさんに迎えられた。女性のお手伝いさんではあったが、文花をチラリと見ると少し笑ったような顔を見せた。文花が睨み返すとお手伝いさんは肩をすくめていた。
通されたリビングは広々とし、すでに橋本ちゃんがいて飲んだくれていた。
その隣に猫耳のカチューシャをつけた男がいて宥めている。この男が猫子だという。明らかに変わり者だったが、文花も橋本ちゃんもそんな事は気にしていない。亜弓もさほど驚いていないので、これはジェネレーションギャップという事だろうか。若い集団に自分だけ年寄りがいるようで、栗子はちょっと居心地が悪く肩をすくめる。桃果も一緒に連れてくればよかったか。そんな事を考えつつ、猫子先生と自己紹介を交わす。
「本当は、アシスタントの井村って男もいるんですがね、あの男は今日は別の先生の所で仕事ですよ」
「そんなのはどうでもいいじゃない。こちらは、編集者の滝沢亜弓さん」
文花が亜弓を紹介した。
「ほー、はじめまして。滝沢さん」
亜弓は美人であるが、猫子先生は特に興味を示さなかった。
「まあ、今日は橋本ちゃんを励まそうではないか。パーっといこう!」
そう猫子先生がグダグダと泣いている橋本ちゃんに励ますようにいい、食事が始まった。先程のお手伝いが、ピザやピラフ、クラッカーやチーズやチキンなどを続々と持ってくる。最後にワインやビールなども持ってきて飲み会のような形になった。
「それにしても橋本ちゃん大丈夫? 警察に疑われてるって本当?」
珍しく文花は優しいところを見せて、橋本ちゃんを宥めていた。心なしか橋本ちゃんのピンクの頭もしぼんで見える。
「そうなんです〜。私、本当にチョコに毒なんていれていませんよ」
「大丈夫よ。あんな無能な警察が言う事なんて信用できないんだから!」
栗子も続いて橋本ちゃんを宥めた。亜弓が「珍しくコージーミステリを根拠に推理していませんね」と突っ込んでいたが、それどころではない。
ワインをちびちびと飲みながら、栗子は詳しい話を聞く事にした。一応自分のサイン本をあげた。新作のサイン本という事で、少しは橋本ちゃんの機嫌も治ったようだった。
「いいなー、俺も栗子先生のサイン本欲しいよ」
「大正時代のシンデレラストーリーなんて読むの?」
栗子が聞く。
「うん、俺は漫画家だ、なんでもインプットするよ」
見た目と違って意外と勉強熱心なところもあるらしい。栗子は余分に持ってきたサイン本を一冊猫子先生にあげる。
「こうしてみると私もサイン本欲しくなちゃった」
「はは、いいわよ」
文花もそう言うので、サイン本をあげた。聞くと文花の夫である恋愛小説家の田辺も少女小説執筆にチャレンジ中なのだという。夫の作品の参考にしたいのかもしれない。やはり文花は自分の夫の事しか考えていないようだ。
「それはいいけどさ、なんで橋本ちゃんが疑われるんだ? 動機もないし、毒だってどこで入手するんだよ」
猫子先生はチキンを食べながらもっともな指摘をする。
「確かにそうね。橋本ちゃん何か心当たりある?」
亜弓もチキンを頬張りながら聞く。
「私の実家って農家なんですよ。それで農薬も簡単に入手できるだろうって…」
橋本ちゃんは疑われた事を思い出して、ちょっと涙目である。
「うーん、でもそれだけでは何の証拠にならないじゃん。おそらく橋本ちゃんのチョコをどこかで毒入りのとすり替えたんじゃない?」
猫耳の変わったルックスの男であるが、その指摘はもっともである。
「そういえば読書会でチョコをあげる事を言ってたわね。他にこの事を知ってる人はいる?」
亜弓はカバンからメモをだして、橋本ちゃんに聞いた。今回のメモは亜弓に任せておこう。栗子はお酒も飲んでしまったし、ちゃんとメモを取れるか自信がなかった。
「SNSでも言ったから、私がチョコをあげる事はみんなしってると思いますよ」
「チョコ買った後はどこか行った?」
橋本ちゃんはちょっとバツの悪い顔を見せはじめた。何か気づいたかもしれない。
「夕子先生にサインして貰えると思うとすごい緊張しちゃって。駅前のロータリーであの変な陰謀論の演説聞いてました。意外とすごい人混みで、一回こけたし、その時にチョコがすり替わってもおかしくないかも…」
という事は、陽介の演説の客の中に犯人が混ざっていてもおかしくないわけだ。亜弓の話によると陽介の演説には、ファンだけでなくヤジを飛ばすアンチも多いという。ますますカルトが関わっている事に栗子は確信をもつ。
「本当に誰が犯人かしら…」
文花はため息をつきながら、チーズを摘む。
「文花さんは誰だと思う?文花さんだって殺人犯捕まえた事3回もあるんだろ?」
猫子先生は面白がりながら言う。彼も気付くとメモ帳を出している。これは事件捜査というより作品のネタにするにだろう。相当に熱心な漫画家のようだ。やはり見た目とは中身はだいぶ違う男だろうと栗子は感じる。
「そうねぇ。やっぱりカルトが怪しいわね。全く私のところのにもよく勧誘来るのよね」
文花は、再びため息をついた。
「そういう猫子先生は、犯人は誰だと思うんですか?」
栗子は人畜無害な羊のように微笑んで聞いた。
「いや、俺はそんな推理とかはできないけどさ。草生教の噂はよく聞くね…」
「噂?」
この場の全員がその話題に食いついた。猫子先生はちょっと言いづらそうに口から籠る。
「まあ、草生教は権力があるからね。入信すれば、ごり押ししてあげるよと勧誘された事あるね」
一同驚きで言葉もない。
「ああ、うちの夫からも似たような聞いた事あるわ。勧誘を断った作家が干されたとか…」
文花も続いて言う。草生教は出版業界でも強い権力があるという噂だった。
「栗子先生はそういう話聞いた事ないの?」
文花が聞く。すっかり食欲が失せたようでもうチーズはつまんでいなかった。
「うーん、私はすごいマイナーな少女小説っていうジャンルですしね…」
「ああ、他の部署の編集者では草生教の信者がいるっていう噂は私も聞きますが、少女小説ではね…」
亜弓も続けて言う。
「猫子先生は勧誘断って妨害受けたりしなかったの?」
文花は心配そうに聞いた。
「あったよ!」
猫子先生はあまりにもあっけらかんと言うので、深刻な話題である事を栗子は忘れそうになった。
「だからデビューしたところは追い出されて、名前も変えたんだよな。確かに草生教の信者はごり押しされてたね。嫌なものだね」
そうは言ってもいても猫子先生の表情は笑顔で、深刻さは感じられない。それなのにこうして成功しているという事は、相当な努力をしたのだろうと栗子は思った。
「それとこの事件は何か関係あるのですかね?」
橋本ちゃんは、みんなとこうして話しているうちに少しは気分が落ち着いたらしい。暗い表情も薄れていた。
「まあ、その空美子先生や夕子先生が勧誘を断って逆恨みされたっていうケースはあるかもな?」
猫子先生の推理は筋が通っている。勧誘もしつこく、断った人を業界で干すぐらいのならやりかねない。
「なんか怖いわねぇ、カルトって」
「おー、強そうな文花さんが珍しく怖がってるぞ!」
「うるさい〜」
猫子先生と文花が冗談を言い合い、暗くなりかけた会が少し明るさを取り戻す。まだ何もわからないが、業界で幅を利かせているカルトの事である。夕子や空美子が逆恨みされていてもおかしくない。
今日は大きな手がかりが手に入った。栗子も機嫌が良くなり、ピザやお酒を楽しみながらみんなと過ごした。その後、大きな手がかりが得られたわけでもなかったが、お酒を飲みながらみんなで事件の事をしばし忘れてアニメソングを歌った。




