読書会大作戦編-2
栗子の小女小説の担当編集でもあり、栗子と同じシェアハウスのメゾン・ヤモメの住人である滝沢亜弓は、うんざりした顔をし、退社し電車に乗り込んでいた。
ついに栗子が、長年希望していたコージーミステリが書ける事になったそうだ。かつての同僚であり、同じ出版社の文芸部の編集者である常盤からも連絡を貰った。
それは悪い事では無いのだが、先程栗子から舞い上がった長文メールを貰った。いかに自分がコージーミステリが好きで長年書く事を希望していた事を長文でぎっしりと書いてきて読むだけで疲れた。
上司でもある編集長・貝塚瑠美にこの事を伝えると「そんなコージーミステリに熱中したら困るわよ。西洋風のファンタジーの出版も決まってるんだから。とにかく滝沢サンは栗子さんの事をよく監視しているのよ」と釘を刺されて怒られた。
栗子は西洋風ファンタジーの出版も決まり、プロット作りなども進行している。これは悪魔に狙われた聖女とエクソシストの牧師とのゴシックファンタジーだ。本当はメイドと王子様のシンデレラストーリーの予定だったが、先月に真凛の生贄誘拐事件などがあったりしてこんな設定になってしまった。
とはいえ、亜弓もこの設定は気に入っていた。亜弓は火因町の牧師である三上千尋に惚れてしまい、是非ヒーローを牧師にしましょうとごり押し中だ。
若干、職権濫用ではあったが、出来上がった栗子の企画内容が素晴らしかったので、何としてでも出版すべく会議で何度もぎり押しし、この企画が通った。編集長である貝塚は、シンデレラストーリーの方が売れると渋い顔だったが、いかにこの牧師のヒーローがかっこいいか、読者である少女の心を掴むのか力説したものだった。
少女小説の編集者としては、こっちの新作に集中してもらいたいものである。この調子だとコージーミステリの新作に熱中し、少女小説の方も忘れ去られる可能性もある。
貝塚が言う通り、さらに気を引き締めて栗子を監視しなくては。
そんな事を考えていると、電車は火因町駅につき下車する。もうすっかり夕方も過ぎ夜だった。
今日は栗子の事もあったが、新しく同じ部署に入った編集者・佐藤円香かオオポカをやらかし、その尻拭いで残業になってしまったのだったが。
円香はまだ23歳ぐらいだが鈍臭く、トロい雰囲気の太った女だった。化粧も濃いめで落ち着きも無い。
もともと昼間出版社内でも少女小説は全く売れていない。今は青村夕子という作家のヒット作が一つだけあるが、基本的に社内のお荷物部署である。そんな所にくる新人の出来はお察しである。かくいう亜弓の作家との不倫がバレ、文芸部署から少女小説レーベルに移動になっていたのだった。
円香の事も思い出し、さらに疲れた気分になりながら火因町商店街に入る。今日は疲れたのでベーカリー・マツダでシナモンロールでも買って帰ろうか。それとも思い切ってケーキ屋スズキでシュークリームかチーズケーキでも買おうかと考えを巡らせていた時、幸子のカフェの方が何やら騒がしい事に気づいた。
「幸子さん!」
「ああ、亜弓さん…」
幸子はぐったりとうなだれていた。普段はおっとりと優しいタイプだが、こんな風に落ち込んでいる姿は見たことがない。
カフェの外観を見ると、チラシが貼ってあったり、落書きもされていた。どちらも「疫病なのに営業するな!」という文言が手書きで書かれていた。
「酷い…」
思わず亜弓の口からこんな言葉が溢れる。ケーキ屋スズキの拓也やベーカリー・マツダの和水も店から出てきて、この現状に文句を言っていた。
「誰がこんな事したんだ? 和水くんは見なかった?」
「いいや、俺は見てない。夕方から夜にかけてやられたの?」
和水がきくと幸子はうなづいた。疫病の影響で、幸子は最近は早めに店を閉めていたはずだった。
「誰がやったんだ? オレじゃないからな、疑うなよ」
そういったのは工藤。町の嫌われもので、香坂今日子の事件の時は疑われていた。その工藤がこの惨状に気付いて、すでにメゾン・ヤモメへ帰宅途中だった幸子に連絡したのだという。
「まあ、工藤さんがする動機は無いよね」
亜弓が工藤を庇うように言った。工藤は、町に新しくやってきた陰謀論者・船木陽介に影響されていた。陽介は毎日駅前で疫病騒ぎは茶番だと演説して、マスクもするな、旅行や飲食店へ行けと吠えていた。時々陽介のそんな演説を熱心に聞いている工藤の姿を見たし、その証拠にマスクもしていない。
こんな飲食店に嫌がらせをするのは、陰謀論好きそうな工藤ではいないだろう。
「じゃあ、誰がやったのですか?」
幸子は泣きそうに呟く。
誰も犯人を見ていないという。もちろん亜弓も犯人でないし、心あたりも無い。
結局みんなでチラシを外し、落書きもできるだけ落としたが、誰が犯人かはわからなかった。帰りに幸子と一緒にベーカリー・マツダでシナモンロールやカレーパンを買ったが、亜弓の気分は全く晴れなかった。