カルト疑惑編-3
ちょうど栗子がベーカリー・マツダ和水や直人から話を聞いている時、亜弓は昼出版で仕事をしていた。あんな事件があったので、編集長である貝塚や同僚の円香の表情は重かった。
事件の担当刑事の鳥谷という男もきてファンレターなども調べにきた。といっても嫌がらせのようなものはなく、鳥谷は肩を落として帰っていったが。橋本ちゃんは疑ってはいるようだが、動機や証拠も無いので捕まえる事は無さそうだ。その点においては安心できるのだが。
今日はリモートワークでも無いので会議も多かったが、今日の円香の態度はどうもおかしかった。少女小説レーベルにあるのに『余命666日の花嫁』の作者・蒼井カイリに執筆してもらいたいと空気の読めない発言を繰り返した。貝塚は否定も肯定もせず、円香の話を聞いていたが、亜弓は意味が分からなかった。
亜弓は、昼休憩の時に円香をつかまえ、とりあえず会社の一階のロビーで一緒コーヒーでも飲みながら話を聞く事にした。
「佐藤さん、今日どうしたの? ちょっと様子が変よ」
円香は缶コーヒーを両手ででぎゅっと握り締めながら、泣きそうな表情を浮かべていた。
「事件の事もあるから、ピリピリしちゃうのもわかるけどさ」
亜弓は砂糖とミルクがたっぷりと入ってコーヒーを飲み込む。まろやで少し苦い甘みが心を落ち着かせるようだ。
「それに『余命666日の花嫁』の先生は人気作家じゃない。どうやってこんな少女小説レーベルで書いてもらうの?」
『余命666日の花嫁』は500万部も売れている。とても弱小少女小説レーベルで書いて貰えると思えない。それに作風も少女小説とは違っているし、レーベル内で馴染むどうかも疑問であった。
「それは、私は蒼井先生と個人的に知り合いなんです」
「え、嘘!」
それは驚いた。全く予想外の言葉で亜弓の大きな目は丸くなる。
「でもねぇ、うちで書いてくれるかしら。人気作家でしょ。難しいわよ」
「大丈夫ですよぉ」
何を根拠にそんな自信満々なのか亜弓には全くわからない。
「あと医療ミステリで人気の赤澤隼人先生とも知り合いなんです」
「少女小説と医療ミステリはちょっと相性悪いわね…」
亜弓はこの鈍臭い後輩が何を考えているのかさっぱりわからない。確かに赤澤隼人はそう有名な作家でも無いが、少女小説レーベルで書くとはどうしても思えなかった。
「まあ、ヤル気はあるのはいいけど。そんな作家と知り合いなのは驚きね。一体どこで知り合ったの?」
単純に疑問だった。
なぜ一編集者がこんな他社の人気作家と知り合いなのか?亜弓には見当もつかなかった。
「そんなのはどうでもいいじゃないですか」
なぜか円香は機嫌を悪くし、缶コーヒーを飲み干してオフィスの方に戻って行ってしまった。
「なんなの、あの子…」
亜弓には円香が何を考えているのかさっぱりわからない。確かに鈍臭い所はあるが、ジャンル違いの作家に書かせようとしているなんてやっぱり意味がわからない。




