殺人事件編-7
栗子は医者から許可をもらい、文花からもらったチョコレートケーキを食べていた。脅威の回復力で今晩の夕食から食事も復帰、点滴も終わる。一方夕子はまだ体調は芳しく無く、しばらく点滴生活だった。
「それにしても空美子さんどこ行ったのかしら」
結局する事もないので、栗子は夕子とダラダラと話していた。話すといっても昔のドラマに話や少女小説の事などあまり生産性のある会話ではなく、結局事件の事や空美の話題になった。亜弓や文花は空美子を探しに行ったまま、まだ帰ってこない。
「栗子先生は事件についてどう思う?」
「さぁ。なんかさっき来たうちの担当とその友達によれば、警察は私達の読者を疑っているそうよ」
「嘘! 私達の読者でそんな事する人は居ないわ」
「そうよね。少女小説ファンなんてみんな大人しい感じの子ばかりだし、動機もないわ」
栗子がそう言うと、夕子は気分が悪そうな顔を見せた。
「でも私は栗子先生と違ってけっこうアンチ多いかも…」
「えぇ? でもわざわざ毒を盛るかしら?」
「でもうちのブログでも、最近けっこうキツい言葉が書き込まれてた…」
「だからってわざわざ毒を盛るなんて…」
昭和時代は、ファンレターなどに嫌がらせがあったと編集部から聞いた事もあった。しかし、令和の今となってはファンレター自体が珍しいものになってしまったし、今のところ編集部からそんな話は聞いていない。
どうもこの事件は謎が多そうだ。毒ももしかして無差別?幸子や石田書店への嫌がらせとも何か関係があるのだろうか?
そんな事を考えている血、亜弓と文花が息を切らしながら帰ってきた。
「おかえり。空美子先生は見つかった?」
栗子は実に呑気そうに聞いた。さっきは事件が起きたなどと言ってしまったが、冷静に考えればそんな事はないだろう。きっと売店か喫茶室に行ったのでは無いだろうか。
しかし亜弓も文花も険しい表情をしていた。
「事件よ…」
「そうです、本当にまた事件が起きたんです!」
ちょっと変わり者の文花だけでなく、比較的常識人の亜弓までそんな事を言っていて、栗子は目を丸くした。
「え? どういう事?」
「空美子先生が病院の裏手で血を流して倒れていたんです」
「え!?」
亜弓の言葉に栗子も夕子も驚いて、それ以上の言葉も出なかった。
「なんで、どういう事…」
いてもたってもいられない。
さっそく調査しなければ!と思った時、病室に見知らぬ男が入ってきた。
四十代ぐらいのガッチリとした体型の男だった。頭は禿げていないが、かなり短く切っているので印象に残る。
男は刑事の鳥谷友輔だと名乗った。
「すみませんが、お見舞いの方はちょっと席を外そてくれませんかね?」
刑事は、亜弓や文花の方をチラチラと見る。
「え、嫌よ。あなた藍沢って刑事知ってる? あの男がとても失礼で私のこと…」
「あー、文花さん。とりあえず外出ましょう」
文花がぶつぶつと刑事に文句を言いかけたが、亜弓が文花の肩をつかんでズルズルと引っ張って行った。
病室には、栗子と夕子、そして鳥谷刑事だけが残された。
「まあ、まあ刑事さん座って」
栗子はとりあえず鳥谷刑事を座らせた。香坂今日子や真凛の事件ではあまり刑事に接触しなかった。はじめて刑事との対面である。
「毒の事件のこと聞きたいのよね?」
内心、栗子は興奮していた。
刑事と対面するなんてコージーミステリのヒロインみたいである。コージーミステリのヒロインと刑事はロマンスに発展する事もあるが、鳥谷刑事は歳が離れているし、優等生的イケメンが好きの栗子のタイプではなかった。この鳥谷は不細工では無いが、どこか弱そうな顔つきで人間に飼い慣らされた犬を連想させた。
「そうです。察しがいい。その前に空美子さんの事です」
「そう、うちの担当編集者が自己にあったとか言ってるんだけど」
「そう、栗子先生と探そうとしてたんだけど、事故に?」
おばさん作家二人は空美子の事が聞きたがために少々うるさく喚く。鳥谷はちょっと不快そうにしていた。
「残念です。空美子さんはたった今息を引き取りました」
「え」
二人は絶句していて言葉が出ない。亜弓達の話では、事故にあったとは聞いていたが。
「この病院の非常階段の下で倒れていました。ここは病院ですから処置は早くできたんですが、打ちどころが悪く…」
夕子は泣きだしてしまった。栗子も泣きたい思いだ。まさかこんな身近な仕事仲間が亡くなったなんて。信じられない。栗子も夕子の涙声を聞きながら涙が溢れた。
「なんで? 何があったの?」
泣き続けて言葉が出せない夕子の代わりに栗子が言った。
「どうやら誰かが突き飛ばしたようですね。言い争う声を聞いたという証言もありまして」
鳥谷の事務的な物言いに栗子はイライラとしてきた。もっとも空美子が亡くなったショックが大きく、目の前の刑事などどうでもいいわけだが。
「それって殺したじゃ無い。殺人事件じゃない」
普段だったらコージーミステリヒロインを気どれるが、身近な人の死では全くそんな気分になれない。夕子の涙声を聞いているだけでもしんどい。
「ええ、だからあなた達も毒を故意に盛られた可能性が高いです」
「え!?」
再び栗子は絶句。
何かの悪戯か、食中毒のようなものだと呑気に考えていた栗子は大きなショックを受けた。夕子もショックで涙が一瞬止まっている。
「どういう事…?」
「あの生チョコから農薬が見つかりましてね。そう毒性が強いわけじゃないんですが」
「もしかして私宛のチョコ…?」
夕子は青ざめていた。
「でもファンの子が毒を盛るなんてありえないわ。動機がないわよ!」
栗子は必死の否定した。
チョコを送った橋本ちゃんが疑われているのは事実のようだった。いよいよ笑えなくなる。実際にこんな状況になってしまうと呑気にコージーミステリのヒロインを気取る気分にも全くなれない。
「この事と空美子先生の事は関係あるんですか?」
夕子は少し震えながら聞く。
「さあ。まだなんとも」
栗子は心の中で舌打ちしたい気分になった。この刑事はどうも頼りない。もしかしたら自分達で事件を調べた方が良いのではないか。今回はコージーミステリのヒロインを気取りたいわけでは無いが、どうもこの刑事を信頼しても良いもの疑問が残る。
「そこであなた達に聞きたいのですが、何か恨まれる事など心当たりはありませんか?」
もしかしたら自分を狙われた可能性もあるのだろうか。いよいよ栗子も笑えなくなってきた。
「わ、私はここ2年ぐらい作品がすごく人気が出てしまって。気に食わない人もいると思います…」
夕子は小さな声で鳥谷刑事に伝えた。
「だからってわざわざ毒盛りにサイン会くるもの?」
「ちょっとあなたは黙っていて」
栗子は鳥谷刑事に話を遮られ、ちょっと嫌な気分だ。この男はなんとなく家でモラハラをやっていそうだ。なんとなくそう感じた。
「私はブログにもけっこうアンチコメントが…」
「わかりました。他には何か心あたりはありませんか?」
鳥谷刑事はチラリと栗子の方を見る。
「ブログだったら私の方もコージーミステリの新作書くなってコメントくるのだけど…」
「そういう些細な事でいいですから、心あたりを言ってください」
夕子はネット書店でもアンチレビューが多いなどと話したが、栗子はそれ以上何も思いつかない。もともと濃いファン向けに作品を書いているようなもので、大きく売れる事もなく、アンチのレビューなども滅多になかった。
「わかりましたよ。では」
鳥谷は栗子達からこれ以上話を聞き出せないと判断して、さっさと帰っていった。
「私達もしかして殺されかけた…?」
「そうかもしれないわ」
夕子の呟きに栗子は再び青ざめる。
「どういう事?」
毒がもられ、空美子が何者かに殺された。毒とこの殺人事件は関係あるの?
栗子はしばらく考えていたが、ちっとも答えは出なかった。




