第6話【異世界少年といつも通りじゃない朝】
泥のような眠りから意識が覚醒し、ショウはいつものように目が覚める。
「…………?」
巨大な天蓋付きのベッドには先輩たちであるエドワード、ハルア、アイゼルネがそれぞれ眠っていた。まだ彼らは夢の世界から帰ってくる気配はなく、広々としたベッドを占領している。
だが、肝心の人物がいなかった。普段ならベッドの真ん中を陣取って眠る、あの銀髪の魔女が。
ユフィーリアがいつもの場所にいない。
「ユフィーリア……?」
彼女はどこに行ったのだろう、朝早くから出かけてしまったのだろうか。
ショウは慌てて寝室に視線を彷徨わせると、どこからかいい匂いが漂ってきた。
優しい匂いである。それと、どこかで覚えのあるものだ。
「味噌汁の匂い……」
極東地域では味噌と呼ばれる調味料があり、それはショウの元の世界でも存在していたものだ。叔父夫婦から虐待を受けた記憶が少しだけ蘇るものの、別に気分が悪くなるようなものではない。
この悪しき記憶にも慣れてしまったものだ。それはこの世界で受ける幸せが、馴染んできたということだろうか。
ショウは先輩たちを起こさないようにベッドから降りると、寝室の扉を少しだけ開く。
「ん、おう。おはようさん」
調理台に向かうユフィーリアが、お玉を片手に微笑んだ。
朝日を浴びて輝く銀髪をポニーテールにまとめ、晴れ渡った蒼穹の如く色鮮やかな青い瞳には優しく穏やかな光が湛えられている。人形めいた美貌には相手の起床を喜ぶような笑みが浮かべられていた。
肩だけが剥き出しとなった特殊な形状の黒装束を身につけ、その上から紺色のエプロンを着ていた。朝食の時間帯は食堂を利用するのに、朝から彼女が調理台に立つなんて珍しい。
寝室の扉の隙間から顔を覗かせたまま固まるショウに歩み寄り、ユフィーリアは頬を指先でくすぐってくる。
「どうした、まだ寝てていいんだぞ」
「ぃや、あの、大丈夫だ……」
「そうか?」
ユフィーリアはお玉で鍋の中身をかき混ぜながら、ツイと指を動かす。棚から人数分よりも多めのお椀が運び出され、机の上に並べられた。
見れば机の上にはすでに目玉焼きや焦げ目のついた腸詰などの朝食が並べられてあり、何故か2名分ほど多い気がする。エドワードが3人前ぐらい食べるのだろうか。
眠い目を擦りながら椅子に座るショウに、味噌汁をお椀によそいながらユフィーリアが問いかけてくる。
「体調は?」
「普通だが」
「どこか痛いところとかねえか?」
「ない」
「昨日は何をしていたか覚えてるか?」
「それが全く……」
まるで頭の中に靄がかかったかのようにハッキリせず、思い出そうとしても思い出すことが出来ない。昨日は何をしていただろうか。
ユフィーリアは「思い出せねえならそれでいいよ」と言い、温められた味噌汁のお椀を差し出した。味噌の香りが鼻孔をくすぐる。
眠たげに欠伸を連発する銀髪碧眼の魔女は壁にかけられた時計を見上げ、
「そろそろ来るか」
「?」
何のことだ、とばかりに首を傾げた瞬間だった。
「うわーん!! やっと終わったああああ!!」
「お疲れ」
「君もねユフィーリア!! 本当に助かったよ!!」
大絶叫と共に、学院長のグローリア・イーストエンドが用務員たちの居住区画に飛び込んでくる。その後ろからグッタリと疲れた様子の副学院長であるスカイ・エルクラシスも続いた。
2人揃って床に突っ伏すと、朝の時間帯にも関わらず「疲れた!!」「もう気力が起きないッスわ」などと言っていた。こんな朝早くから仕事だろうか。
ユフィーリアは床に倒れ伏すグローリアの頭をわざと踏みつけ、
「朝っぱらから騒いでんじゃねえよ、グローリア。アタシもお前の手伝いのせいで疲れてんだよ」
「酷いよぉ、ユフィーリアが酷いよぉ」
「ッたく、手が追いつかないからって育児で疲れたアタシまで夜通し作業をさせるとか馬鹿じゃねえのか。おかげで徹夜だぞ」
「僕もスカイも徹夜だよ。条件は同じじゃないかぁ」
「お前らは育児をやってねえだろうが!!」
先程から会話の内容が読めないのだが、気になる部分がある。
それは、ユフィーリアが何度も連呼する「育児」という単語についてだ。
意味合いが正しければ子供を育てる行為だと思うのだが、この場に子供はいない。育児という単語が当てはまるような赤子もいない。
居住区画の床に伏せて「疲れた」と連呼する学院長と副学院長、そしてユフィーリアにわざわざ挙手をしてからショウは質問をした。
「あの、話が見えないんですけど。育児って何のことですか?」
「あ、そうか。ショウ君は覚えてないんスもんね」
何食わぬ顔で起き上がったスカイは、
「学院の生徒や教職員たちが、まとめて子供になっちまったんスよ」
「それは大変ですね」
「他人事のように言ってるッスけど、アンタももれなく子供になってたんスよ」
「え」
固まるショウに、スカイがニヤリと笑いながら言う。
「いやー可愛かったッスね、推定2歳児のショウ君は。ユフィーリアにベッタリでハルア君と一緒に抱きかかえられてたッスよ」
「ええッ」
これには驚いたショウ。まさか記憶のない自分が、そんな恥ずかしいことをしていたとは思わなかった。
助けを求める為にユフィーリアへ視線をやれば、彼女は「まあ事実だしな」と言った。どうやら本当のことらしい。
穴があったら入りたいぐらいに恥ずかしい。記憶がないとはいえ、かなり大胆なことをやらかしていたようだ。
顔を覆うショウへ、トドメとばかりにユフィーリアの踏みつけから何とか解放されたグローリアが追い討ちをかけてきた。
「ついでに君の定位置はユフィーリアの膝の上だったよ」
「ひッ!?」
「仲がいいんだねぇ。子供になった分、素直になれたのかな?」
「ううう……」
朗らかな笑みで言うグローリアのせいで、ショウの恥ずかしさが加速した。本気で死にたくなってくる。
「おい、ウチの可愛い末っ子を虐めんじゃねえ。朝飯を食わせねえぞ」
「え、やだ!! 今日は食堂もやってないんだから、朝ご飯が食べられなくなっちゃう!!」
「じゃあ大人しくしてろ、余計なことを喋んな」
雪の結晶が刻まれた愛用の煙管を咥えるユフィーリアは、慣れた手つきで学院長と副学院長の分の朝食を準備する。2名分ほど多かったのは、彼らの分の朝食だったのか。
ミントに似た清涼感のある匂いの煙を吐き出す彼女は、寝室の扉を開けて「お前ら、朝食が出来たぞ」と呼びかける。ややあって、バタバタとした足取りでエドワード、ハルア、アイゼルネが寝室から飛び出してきた。
彼らも朝食の匂いを嗅ぎつけたようだが、学院長と副学院長がいるのは想定外だったらしい。瞳を見開き、
「何で学院長と副学院長がいるのぉ!?」
「何の用事!?」
「朝からどうしたのかしラ♪」
「さっきまで一緒に仕事をしていたからね、ユフィーリアが僕たちの分まで朝ご飯を用意してくれたんだよ」
いそいそと椅子に座るグローリアは、
「あれ、ユフィーリアは? 寝室から出てこないけど」
「寝てるんじゃないッスか?」
「僕が呼んでこようか」
「俺が呼んでくる」
椅子から立ち上がって、ショウはグローリアを椅子に押し戻す。
何となくだが、ショウの知らない場所で彼らが仲良くしているのが気に食わなかった。たとえそれが、ショウや他の全員の育児に追われていたとしても。
だから、もうこれ以上は見ていたくない。これは悪い感情なのかもしれないけど、学院長と副学院長にユフィーリアが取られたような気がしてならなかった。
グローリアとスカイは不思議そうに首を傾げていたが、特に疑問に思わず「じゃあお願い」「頼むッスわ」と任せる。
「ユフィーリア……?」
寝室を覗き込めば、彼女は大きな天蓋付きのベッドにうつ伏せで倒れ込んでいた。
「ユフィーリア、寝ているのか?」
呼びかけても反応しない。
ユフィーリアは寝る時に着ている部屋着の状態ではなく、肩が剥き出しの状態となった黒装束のまま眠っている。閉ざされた瞳を縁取る長い睫毛、桜色の唇からは規則正しい吐息が漏れる。
どうやら本当に眠っているようだった。このまま寝かせてもいいのだろうか。
「ユフィーリア、朝食だが……」
「ん……」
ポンとユフィーリアの肩を叩けば、彼女はぼんやりと瞼を開く。色鮮やかな青い瞳が真っ直ぐにショウを見上げ、
「ん、ショウ坊……どした……?」
「……眠いのか?」
「ん……」
顔を覗き込むショウの頬を撫でるユフィーリアは、
「悪いな、ちょっと寝かせてくれ……朝飯は食べてていいから……」
「……ああ、ありがとうユフィーリア」
昨日はショウたちのせいで、彼女に迷惑をかけてしまった。だから、せめて今日だけは寝かせてやろう。
そっと瞳を閉じたユフィーリアの頭を撫で、ショウは寝室を出る。「朝食は食べてていいと」と告げれば、用務員としての勤務歴が2番目に長いエドワードが先導して朝食の準備をしていた。
閉ざされた寝室の扉を一瞥したショウは、
「せめて今は休んでくれ、ユフィーリア」
そういえば、昨日の記憶は全くないけれど、一部分だけ覚えていることがある。
冷えた廊下、夜の闇に支配された校舎内。
何故か食堂にいたショウは、ユフィーリアの黒い外套を頭まですっぽりと被せられていた。でも唐突に不安になって、ショウは彼女を追いかけたのだ。
一生懸命に動かない足で廊下を進み、その先にいたのは確かにユフィーリアだ。
その手に持っているのは、銀色の鋏だった。
錆びも曇りもない、綺麗な銀製の鋏である。彼女の身長を超すほど大きな鋏を携え、彼女は暗い廊下を睨みつけていた。
――ショウ坊、どうした?
そう聞いた彼女の瞳は、青色ではなく極光色に輝いていた。
(あれは何だったのだろう)
彼女の作った味噌汁を啜りながら、ショウはふと考えるのだった。




