第4話【問題用務員と吸血鬼との戦い】
「あらあらあらぁ、そんな簡単に言うけれどねぇ」
紅玉にも似た赤い瞳を眇めて笑う高等吸血鬼エレイナ・ラーデルは、
「私のことを簡単に倒せると思ったら大間違いよぉ、魔女さん」
錆びた笛を口に当て、エレイナは音を奏でる。
それは短い旋律だった。弾むような音色に反応して、食堂に倒れていた子供化した生徒や教職員どもが一斉に起き上がる。
催眠術に囚われている子供たちにとって、エレイナの笛の音は操り糸だ。その催眠術を断ち切らないと、子供たちを傷つける羽目になってしまう。
正直な話、ユフィーリアにとって子供化した生徒や教職員はどうでもよかった。
自身も「2、3人ぐらい食われて学院長のグローリアが失脚する様を腹抱えて笑いながら見ていようかと思った」と豪語するほどだ。ユフィーリアにとって生徒たちは金蔓や面白い何かを生み出してくれる程度の存在としか認識しておらず、別に庇護欲もクソも感じない。
でも催眠術に囚われた中には、ユフィーリアの部下であるエドワード、ハルア、アイゼルネの3人もいる。もれなく起き上がった彼らも、小さな手を伸ばしてユフィーリアに襲い掛かろうとしていた。
周りを虚ろな目をした子供たちに取り囲まれたユフィーリアは、
「おう、吸血鬼」
瞳を極光色に輝かせ、ユフィーリアは銀製の巨大な鋏を振り上げる。
「アタシに勝てると思ってんのか」
――蒼雪、抜刀。
ユフィーリアは小声でそう唱えた。
両手で掲げた銀製の鋏を留める雪の結晶が、青い光を弾けさせて消えた。巨大な鋏はその一言を皮切りに分離し、双刀のような形となる。
同時にユフィーリアは、極光色に輝かせる瞳でぐるりと周囲を見渡す。
「ああ、やっぱりな」
子供たちの身体には黒い操り糸のようなものが纏わりつき、エレイナが奏でる旋律に合わせて糸が動かされる。
一般人の眼球では理解できないだろうが、ユフィーリアの持つ『絶死の魔眼』の前では無意味だ。操り人形にされているのであれば、その糸を断ち切ってしまえばいい。
右手に握りしめた刃を、ユフィーリアは適当に横へ薙ぐ。
「あ」
高等吸血鬼エレイナ・ラーデルは、その赤い瞳を見開いた。
彼女の視界には、ユフィーリアが子供たちの頭上――何もない空間を鋏の刃で薙ぎ払ったというおかしなものとして映っただろう。
現実には違う。ユフィーリアにはエレイナの催眠術が黒い操り糸として認識され、鋏の刃でそれを断ち切っただけに過ぎない。
そのおかげだろうか、黒い操り糸から解放された子供たちはバタバタとその場に倒れ込んだ。
「ええ? 何やったのよぉ?」
「きちんと魔法の勉強してたのかよ、七魔法王のことは魔法神話学とか魔法歴史学に出てくるぜ?」
もっとも、ユフィーリアは進んで魔導書の記述に載ろうとしなかったので、他人から忘れ去られてもおかしくないのだが。
教科書に載るのが面倒臭いのだ、後世にも記述は残るし嫌である。
そこまで有名人になろうという願望もなく、ただユフィーリアは面白いことが出来ればいいと思っている享楽主義なので、書籍に情報が残るのが何かちょっと考えられなかったのだ。意外とあやふやな理由である。
エレイナは「だってぇ」と唇を尖らせ、
「つまらないんだから仕方がないじゃなぁい。吸血鬼の歴史を学ぶ訳でもないしぃ」
「学びたいか? 吸血鬼の歴史とやらを」
「いいえ?」
ユフィーリアはすかさず「〈蒼氷の塊〉」と唱えて、エレイナの顔面めがけて一抱えほどもある氷の塊をぶん投げた。
いや、決してムカついたとかそう言う訳ではない。彼女は脱獄して新入生の中に潜り込んだ不正行為を働いているので、授業に興味がなくてもおかしくないなとは思った。
いややっぱり嘘である、ムカついた。単にムカついたから氷塊をぶん投げてやったのだ。失敗に終わったけど。
「おらァ、大人しく殴られろ!!」
「嫌よぉ、何で私が殴られなきゃいけないのよぉ。それに殴るって言っても氷の塊か、もしくはその銀製の鋏じゃないのぉ!!」
「じゃあこの鋏でお前の喉を掻き切ってやるよ!!」
「悪化したわぁ」
吸血鬼の催眠術から解放されて冷たい床に身体を横たえる子供たちを、ユフィーリアは軽々と跳躍して飛び越える。
空中を舞う銀髪の魔女。月明かりを反射する銀色の鋏は、幻想的な雰囲気を纏う。
極光色に輝く瞳で呆然と立ち尽くすエレイナだったが、ほぼ反射的に錆びた笛を口元に押し当てていた。またあの旋律で子供たちを催眠術で操るつもりか。
――そうはさせるか。
「せいッ!!」
身体を縦回転させ、銀製の鋏でエレイナの構える錆びた笛を断ち切る。
どんな切れ味の良さなのか、錆びた笛は鋏の刃を受けて耐えられずに壊れてしまう。笛の破片がエレイナの足元に散らばり、真っ二つになってしまった錆びた笛を見てエレイナが悲鳴を上げた。
難なく食堂の床に着地を果たしたユフィーリアは、エレイナの喉元に鋏の鋭く尖った先端を突き入れてやろうと刃を引き絞る。半身を捻り、勢いをつけて鋏の刃を突き出すが、
「なんてねぇ♪」
「ッ!?」
背後で殺気を感じ、ユフィーリアは左手に握りしめた鋏の刃を薙いだ。
背後から伸びていた赤い棘が折れて、空中に霧となって消える。
そういえば忘れていた、吸血鬼は血の魔法に長けているのだ。エレイナ・ラーデルも催眠術に隠れてしまったが、他の高等吸血鬼と同じく血の魔法を使えるのか。
エレイナはクスクスと笑って「ざぁんねん」と言い、
「もう少しで血を吸えたのにぃ。でも魔女の血って不味いのよねぇ」
ちら、とエレイナの瞳が床に転がる子供たちを見やる。
「ねぇ? 少しぐらいいいでしょぉ? 大丈夫よぉ、あなたの大切な子供たちは狙わないでおいてあげるからぁ」
「やだよ、それで減給されたらお前に責任を取らせるぞ」
ユフィーリアはエレイナを睨みつけ、
「お前はここで殺すって決めてんだよ、大人しく死ね」
「嫌よって言ったのを忘れたのかしらぁ?」
双方の睨み合いで、食堂に息が詰まるような緊張感が漂う。
視線による牽制だ。互いに少しでも動けば、それが合図である。
エレイナは血の魔法によってユフィーリアを串刺しにするか、それとも寝ている子供に飛びかかって人質にでもするか。それより先にユフィーリアの鋏の刃が、エレイナの喉を突き破るか。
勝負の引き金は、食堂の扉を覗き込んだ子供たちの中で唯一ユフィーリアに叩き起こされた、小さな少年である。
「ふぃー……?」
「ッ!!」
ユフィーリアは息を呑んだ。
殺意がブレてしまう。
その隙を突かれて、エレイナが力強く食堂の床を蹴飛ばした。
飛び抜けた吸血鬼の身体能力を駆使して飛びかかるのは、食堂の外でユフィーリアの戦いを心配そうに見つめていたショウである。赤い瞳を爛々と輝かせて襲いかかる吸血鬼の姿は、幼い彼にとって怪物にでも見えることだろう。
「させるかァ!!」
ユフィーリアは左手に握った鋏の刃をぶん投げていた。
エレイナが振り返り、ショウの首根っこを掴むはずだった手で銀製の鋏を弾き飛ばす。
その隙があれば十分だった。ユフィーリアは強く食堂の床を蹴飛ばして、エレイナへ肉薄する。
「ッ!?」
目を見開くエレイナ。
一瞬にして距離を詰めてきたユフィーリアに驚くのも束の間、銀髪の魔女が銀製の鋏を振るったことで表情が引き攣る。
エレイナの腕が切断されていた。鮮やかな断面から鮮血が噴き出て、食堂の床に落ちたエレイナの腕は砂になって消える。
「チッ」
忌々しげに舌打ちをしたエレイナは、砂と化した自分の腕を据え置いて食堂から飛び出す。その際にショウを突き飛ばして逃げたので、おかげで可愛いショウが尻餅をついてしまった。
「あう」
「ショウ坊!!」
尻餅をついたショウを抱き起こしてやったユフィーリアは、
「怪我はねえか?」
「うん」
「あの金髪のお姉さんに何もされてねえな?」
「うん」
「よし」
ショウの頭まですっぽりと外套を被せてやり、ユフィーリアは笑う。
「ショウ坊、ちょっとここで待っててくれるか?」
「どして?」
「今からあの金髪のお姉さんとお話しなきゃいけねえんだ。アタシの帰りを待っててくれると嬉しいんだけど」
「わかた」
ショウはストンとその場に腰を下ろし、膝を抱えてユフィーリアを待つ姿勢を作る。
幼い彼を1人で取り残すのは気が引けるが、これからやることを純粋無垢な彼に見せる訳にはいかなかった。
頭まですっぽりとユフィーリアの外套に覆われたショウの頭を撫でてやり、ユフィーリアは「行ってくるな」と告げる。
「蒼雪」
左腕を掲げながらユフィーリアがそう唱えれば、先程エレイナに投擲した銀製の鋏が勝手に持ち上がる。それから主人であるユフィーリアの呼び声に応じて、その手にすっぽりと収まった。
さあ、仕事だ。
第七席【世界終焉】が動く時間である。
「行くかな」
――ウチの可愛い新人どもに手を出そうとした罪は、世界が終わることよりも重いのだ。




