第2話【問題用務員と催眠術】
丑三つ時とも呼べる時間帯。
広々としたベッドを占領して眠る子供化した部下たちを見張りながら、ユフィーリアは角燈の明かりを頼りに魔導書を読んでいた。
題名は『吸血鬼の退治法』である。学院長のグローリアに頼んで『物語の世界樹』から持ってきてもらったのだ。どうせ吸血鬼であるエレイナ・ラーデルと対峙するのはユフィーリアの役目になるので、これぐらいはしてもらわないと困る。
「…………」
吸血鬼の弱点はニンニクや銀製のものである、という頁を捲ったところで、ユフィーリアはふと顔を上げた。
どこからか音が聞こえてくるのだ。
誰かが暴れ回るような音や、扉を叩くような音ではない。夜中と呼べる時間帯ならば絶対に聞こえてこない音なのだ。
「笛の音?」
滑らかな笛の音が、何かの曲をなぞっている。
まるで行進を促すような音楽である。身体が勝手に動いてしまうような雰囲気がある。
ただこの音色は気味が悪い。背筋がゾワゾワと総毛立つような、そんなものがあるのだ。
魔導書を閉じたユフィーリアは、
「一体どこから……」
居住区画を出て用務員室の扉を僅かに開き、夜の闇に沈む廊下を確認する。
窓から差し込む月明かりがぼんやりと照らす廊下には、ポツポツと人の影があった。ふらふらと覚束ない足取りで、音楽に合わせて手を叩きながらどこかに向かっていく。
学生寮や教員寮に閉じ込められていたはずの子供化した生徒や教職員だ。全員揃って虚ろな瞳で、誰かに操られたかのような歩き方で深夜の校舎内を徘徊する。
とんでもない光景を目の当たりにしたユフィーリアは、
「おいおい、どうなってんだ。子供化した奴らは寮に閉じ込めてるはずだろ?」
しかも結界まで使った万全の防衛策である。
それを掻い潜るとしたら、おそらく子供化した生徒や教職員が自ら結界を解除したのか。学院長が用意した結界を、いくら高等吸血鬼の一族に名を連ねていたからと言っても解除するのは難しい。
やはり生徒や教職員が結界を解除して、外に出てきたとしか考えられない。校舎中に響き渡るこの音楽が、子供化した生徒や教職員を操作して解除させたのだろうか。
ユフィーリアは舌打ちをすると、
「グローリアの奴は何をやってやがる。生徒たちが吸血鬼に操られてるってのに!!」
部屋へ引き返そうとしたが、そのすぐ脇を4人の子供がふらふらと覚束ない足取りで用務員室を出ていく。
「エド、ハル、アイゼ、ショウ坊!?」
部屋で寝ていたはずの4人――エドワード、ハルア、アイゼルネ、ショウだった。校内に響く音楽に惹きつけられて、彼らはどこかを目指して覚束ない足取りで歩いていく。
やはり彼らの瞳に光はなく、ぼんやりとした虚ろなものだ。ユフィーリアの呼び声にも反応せず、音楽の聞こえる方角へ向かってしまう。
ユフィーリアは慌てて2歳児のショウを抱き上げ、この中で最年長であるエドワードの腕を掴む。
「おい、どこに行くんだ!!」
「はなして」
エドワードはユフィーリアの腕を振り払い、
「あっちにいく」
「おい!?」
エドワードはユフィーリアを無視して、音楽に導かれる子供たちの集団に混ざってしまう。すでにアイゼルネとハルアも混ざってしまい、見つけるのが困難になってしまった。
残っているのは、かろうじて抱き上げた最年少のショウぐらいである。だがやはり彼もジタバタとユフィーリアの腕の中で暴れ、音楽の聞こえる方向を目指そうとする。
仕方がない、どうせ覚えていないだろうから『絶死の魔眼』を使うことにしよう。
「ショウ坊」
「やあー」
「しょーうぼーう」
「やらー」
「ほら、こっち見ろ。見るだけでいいから、アタシの目を見ろ」
「やー」
ジタバタと暴れるショウの頬を掴み、強制的に自分の方へ向ける。虚ろな赤い瞳とユフィーリアの色鮮やかな青い瞳がかち合い、
「《絶死》――魔眼起動」
ユフィーリアの碧眼の片方だけが、極光色に染まっていく。
視界に入り込んだ色とりどりの糸。
そのうちの1本が、ショウをまるで操り人形のように引っ張り上げている。黒々としたその糸は邪悪を体現したかのようであり、音楽に合わせてクイクイとショウの腕や足を動かしているようだ。
指先でその黒い糸を摘み、ユフィーリアは黒い糸を引き千切る。指先で触れた途端に糸は簡単に切れ、子供化の呪いを示す糸とは違って、もう復活することはなかった。
「あう……?」
黒い糸を引き千切った瞬間、ショウの赤い瞳に光が戻る。
「よう、ショウ坊。アタシが誰だか分かるか?」
「…………ふぃー?」
「そうだぞ、よく分かったな」
ショウの頭を撫でてやるユフィーリアは、
「どうして外に出てたか分かるか?」
「んーん」
ショウは首を横に振る。
完全に夢見心地で部屋の外に出てしまったらしい。
魔眼を通して見えたが、やはりあの糸が子供化した生徒や教職員を操っているのだ。そしてその操っている相手は、子供の血液を欲して止まないあの死刑囚となった高等吸血鬼。
エレイナ・ラーデル――彼女が中心にいると見ていいだろう。
『ユフィーリア!!』
「わ」
唐突に聞き慣れた声が降ってきて、腕に抱いたショウが驚いたような声を漏らした。
天井付近には紙製の鳥が、パタパタと翼の部分を動かして旋回している。声が聞こえてきたのはあの鳥からだ。
通信魔法の魔法陣を書き込んだ羊皮紙を、鳥の形に折って飛ばしたのだろう。かなり高度な技術が必要だが、学べば誰にでも使える通信魔法の1種である。
「グローリアか、どうなってやがる?」
『どうやら吸血鬼の催眠術によるものらしい。校内に強い魔力が漂っているよ!!』
「吸血鬼は夜の貴族とか呼ばれてるからな、夜が本番なんだろうよ」
ユフィーリアは舌打ちをすると、
「今まで何してやがった、生徒や教職員連中が軒並み寮から出てる始末だぞ」
『エレイナ・ラーデルについて調査していたに決まっているでしょ!!』
「ンなことしてる暇があるならこの状況をちったァどうにかしやがれ、このグズが!!」
『ええ!? 何かすっごく苛立ってるけど、どうしちゃったの一体!?』
「エドたちが連れて行かれたからに決まってるだろうが!!」
ユフィーリアの渾身の怒りをぶつければ、ショウが「ぴいッ」と甲高い声を漏らして耳を塞いだ。普段から声を荒げないユフィーリアが声を荒げれば、当然の反応と言えようか。
慌ててユフィーリアは「お前じゃねえから安心しろ、ショウ坊」と頭を撫でて宥めてやる。ただ、この口の悪さを真似されては困るので耳は塞いでいて貰おうか。
ショウがしっかりと耳を塞いでいるところを確認してから、ユフィーリアは天井から吊り下がる照明器具を止まり木の代わりにする鳥の形をした羊皮紙を睨みつける。
「とにかく音源を突き止めろ。アタシが終わらせに行ってやる」
『エドワード君たちが操られていったから、八つ当たりが酷すぎるや。分かった分かった、少し待っててね』
照明器具に留まる紙製の鳥は、パタパタと翼の部分を揺らして虚空に飛び立つ。薄暗い廊下を滑るように進んでいく先は、子供化した生徒や教職員が歩いて向かうどこかだ。
紙製の鳥を視線で追いかければ、鳥は滞空した状態でこちらを一瞥する、「こっちについてこい」と言わんばかりの態度だった。
ユフィーリアはショウを抱きかかえたまま、鳥を追いかけることにする。
「ふぃー……にーちゃ、は?」
「ハルアのことか?」
「うん」
「あのな、悪い奴に連れてかれちまったんだ」
不安げな眼差しで見上げてくるショウの頬を指先で撫でてやり、ユフィーリアは言う。
「これから助けに行くから、お前は耳を塞いでな」
「ん」
コクン、と小さく頷いたショウに「いい子だな」と笑いかけるユフィーリアは、密かに雪の結晶が刻まれた煙管を強く握りしめていた。




