第6話【???と終わり】
「はあッ……はあッ……」
人気のない校舎裏を、1人の男子生徒が走っていた。
足を縺れさせ、何度も転びながらひた走る。その姿は必死で、何かから逃げているような気がした。
走っている間に暑くなったのか、彼は自分の髪に手をやる。どこにでもある栗色の髪を掴んで引っ張れば、ずるりと髪の毛が丸ごと抜け落ちた。
何かの魔法ではなく、ただのありきたりな鬘だ。その下から露わになった彼の頭は髪の毛1本ないつるりとした禿頭で、地肌にドラゴンを象った刺青を施していた。
「クソが……ッ、国1つを滅ぼしたドラゴンだぞ!? 数百人という魔女や魔法使いが犠牲になったドラゴンを、たった4人で倒しただと……!?」
男は驚愕していた。
校庭に降り立ったドラゴンは、男の使い魔だった。魔法学院の地下に広がる世界最大級の迷宮区に何とか連れ込んで、迷宮区に群がる魔物を食わせてきた自分の相棒とも呼べるドラゴンだったのだ。
かつて共に1つの国を滅ぼした黒いドラゴンを、この学院で幅を利かせる問題児どもが討伐してしまったのだ。これはもう逃げる他はない。
男にはドラゴンを育てる以外の才能はない。魔法はからっきし、魔力も誇れるほど持っていない。それでも幻想種と呼ばれるドラゴンに憧れを抱き、独自の方法でドラゴンの卵を孵して、ドラゴンを育ててきた。
結果的に国を丸ごと1つ滅ぼしてしまったが、そこはご愛嬌だろう。育ててきたドラゴンが、国を滅ぼすほど力を持った個体だとは想定していなかったのだ。
校舎の壁に背中を預けて、人の気配が完全にないことを確認してから、男は張り詰めていた息を盛大に吐き出した。
「どうする、どうすりゃいい……?」
鬘を足元に捨てながら、男は懸命に思考を巡らせる。
とにかく、この学院から逃げなければならない。
ここは危険だ。ドラゴンをあっさりと倒してしまう馬鹿みたいに強い問題児がいる時点で、男は負けを察しなければならなかった。「相手は馬鹿だから気づかない」と言ったのは誰だったか。
違う、相手を問題児だからと言って舐め過ぎていたのだ。
学院を丸ごと火事にした挙句、その校舎を大規模修繕魔法であっさりと修復するほどの実力を持った連中を「馬鹿だから」の一言で片付ける方が馬鹿だ。奴らは根っからの魔法の天才なのだ。
――特に、あの問題児筆頭と名高い銀髪碧眼の魔女は。
「逃げねえと……俺が死ぬ……!!」
疲れた身体に鞭を打ち、男は学院の出口を目指しそうとする。
「そんなに急いでどこに行く気だ?」
呼吸が止まりそうになった。
この場所には誰もいなかったはずだ。周囲があまりにも静かなので、身を潜めていてもどこに隠れているか分かる。
それなのに、全く気配を感じさせずに『それ』はやってきた。
奥歯を噛み締めた男は、ゆっくりと背後を振り返る。
「中間考査の結果が散々だから実家に逃げ帰るつもりか?」
そこに立っていたのは、銀髪碧眼の女性だった。
透き通るような銀髪が目深に被られた頭巾の下から零れ落ち、こちらの様子を窺う青い瞳は宝石のような気品を漂わせる。ゾッとするほど美しい顔立ちには無表情が貼り付けられ、夜の闇に紛れる黒衣が淡雪のような白い肌を際立たせる。
袖のない黒い外套には頭巾が縫い付けられ、それを被って顔を隠しているようだった。隠しているつもりでも顔は見えてしまっている。
銀髪碧眼に、肩だけが剥き出しとなった特殊な形の黒装束――問題児筆頭と名高いあの魔女だ。
「よ、用務員さん……こんにちはぁ……」
男は引き攣った笑顔で応じるが、
「ウィドロだな、ウィドロ・マルチダ」
「…………」
「無言は肯定と捉えるぞ」
おかしい、普段から見かけている問題児筆頭の態度にしては驚くほど冷たい。
いつでもどこでも面白いことや楽しいことを求めるのが、この魔女なのだ。
思いつきで実習用の教室を占拠したり、授業に使う素材を大量に消費したり、学院長から説教を受けている場面に遭遇した回数はキリがないほどだ。反省のはの字も見えない態度で謝罪する姿を見かけたことはあるが、あの時も彼女はヘラヘラと笑っていた。
それがないのだ。冗談を言う気配もなく、ただただ氷のように冷たい雰囲気があるだけ。
「……だったらどうした」
違和感を覚えながらも、男は――ウィドロは応じた。
「殺すつもりか?」
「いいや」
銀髪の魔女は首を横に振って否定する。
「殺すなんてそんな――生易しい真似で済むと思うか?」
「……は?」
訳が分からなかった。
この世の最上級の刑罰は『死刑』以外にない。冥府の特別労働者という制度もあるが、それは色々と厄介だ。そんなものを食らっても、ウィドロに捨てるものなどない。
死刑執行を上回る刑罰など、この世にはないのだ。彼女は何を言っている?
銀髪の魔女は雪の結晶が刻まれた煙管を取り出すと、空中に放り投げた。
「喜べ、脱獄犯」
陽光を受けた鈍い輝きを放つ煙管は、
「今日がお前の終わりだ」
空中でその形を変えると、魔女の身長を超える巨大な鋏となって落ちてきた。
鋏の切先が、ザックリと地面に突き刺さる。
無機質な輝きを放つ鋏は、2枚の刃を留める真ん中の部分が雪の結晶となっていた。文具でも髪を切る用の鋏でもなく、骨董品のような簡単に触れてはならない空気が鋏に纏わりつく。
「――終わり、だと?」
ウィドロの頭に、ある名前が浮かぶ。
世界を形作った7人の魔女・魔法使い。世界に対して絶大な力と発言権を持つ、手の届かない存在。
そのうちの7番目――世界の終わりを司り、一切の情報が伏せられた名前のない何某。鋏は終わりの証であり、黒衣は終焉を示すものである。
身の丈を超える鋏と、夜の闇よりなお深い黒装束。
――ああ、まさしくその7番目の特徴に合致している。
「まさか、第七席【世界終焉】って訳じゃ……」
「よく分かったな、その通りだよ」
銀髪の魔女は、その時初めて笑顔を見せた。
「お前は今ここで終わるんだ。生命も、お前が残してきた功績も、何もかもがこの世から消え去ってなかったことになる。お前の存在は誰も覚えていねえし、お前は最初からこの世界にいなかった存在となる」
地面に突き刺さった鋏を引き抜く魔女は、
「だから言ったろ、殺すなんて生易しいってな」
ウィドロには想像が出来なかった。
終わりというそのものが理解できない。
生命も、功績も、存在すらもそこで断ち切られるなんて本当に可能なのか? そんな刑罰など、ただの1度も聞いたことがない。
「はッ、終わりだなんて眉唾だろ」
「試してみるか?」
え、と反応する間もなかった。
1足でウィドロに肉薄してきた銀髪の魔女は、小さく呟く。
それは間近にならなければ聞けないほど小さな声。
「《絶死》――魔眼起動」
それと同時に、彼女の持つ銀色の巨大な鋏が分解される。
2枚の刃を留めていた真ん中の雪の結晶が弾けて消え、さながら双剣のように鋏が分かれる。
両手に鋏の刃を1枚ずつ握った彼女は、
「あばよ」
ウィドロの首めがけて、両手に握った刃を振るう。
その時に、ウィドロの視界には何も映らなかった。ただ黒い頭巾の向こう側から垣間見えた魔女の青い瞳の左側だけが、極光色に染まっていたのだ。
刃が首を通過した時、不思議と痛みはなかった。首が落ちることもなかった。ただ何か糸のようなものがプツンと音を立てて切れ、ウィドロの身体が地面から解き放たれるような感覚があった。
足元から存在が消えていく。
「あああ……ああああぁぁぁあああ……」
情けない声を上げて、ウィドロは逃れられない終わりの感覚を恐れた。
何もかもが消えていく、何もかもが消えていく。
過去も、現在も、罪も、功績も。ウィドロを構成していた何もかもが、一瞬にして消え去っていく。
「嫌だ……だ、誰か……」
助けて。
ウィドロの最期の言葉は声に乗らず、彼の意識は途絶えた。
☆
消えていった脱獄犯の1人を、ユフィーリアは最後まで眺めていた。
足先から感覚がなくなり、最後には魂までも砂となって消えた。
今はもう何も残っていない。誰の記憶にもなく、冥府の台帳からも彼の名前は消えたはずだ。
この世でたった1人、終わりを与えた張本人であるユフィーリア以外は。
「助けて、か。初めて聞いたな」
鋏を元の煙管の状態に戻しながら、ユフィーリアは呟く。
「誰かに助けを求めるぐらいなら、脱獄なんてしなきゃよかったのに」
その呟きに応じる人間はいなかった。




