第6話【異世界少年と膝枕】
ショウは眠れなかった。
ここ最近、ずっと浅い睡眠を繰り返している気がする。
虐待を受けていた頃とは違い、夜にもだいぶ慣れてきた。悪夢を見る回数も減ってきたのだが、やはり眠れない時は眠れないのだ。
その現象は、最近だとより顕著になった。
「…………」
ゴロリと寝返りを打てば、1人分の空間を開けて先輩のハルアが大の字で眠っている。「んがー」などと盛大ないびきを掻いていた。
用務員の5人が寝転がっても余裕の広さがある巨大なベッドには、あの銀髪碧眼の魔女の姿はない。
おそらく彼女は深夜の校舎内の見回りに出かけているのだろう。本当は手伝いに行きたいところだが、本人が「寝てろ」と言うものだから手伝いに行けずにいた。
(……ユフィーリア)
胸中で彼女の名前を呼ぶ。
暴力と暴言だけが支配する人生を変えてくれた魔女、常に面白いことを求める問題児。ショウを幸せにしてくれると約束した大切な女性。
彼女が何か大きなものを抱えているのであれば、少しでもいいので背負ってやりたい。それで押し潰されてしまいそうなら、助けてやりたい。
だってユフィーリアは、ショウを助けてくれた魔女だから。
「…………」
ギィ、という蝶番の軋んだ音を聞いて、ショウは顔を上げる。
扉が開く音だ。
おそらくユフィーリアが見回りから帰ってきたのだろう。目が冴えてしまっているので、せめて彼女の様子だけでも見ておきたい。
ショウは他の先輩たちを起こさないように広々としたベッドから抜け出すと、なるべく足音を立てずに寝室を出た。
「――これだけ探しても見つからねえなら、迷宮区を根城にしてんじゃねえか?」
寝室を出て用務員室に繋がる扉を開けようと取手に指を伸ばすが、それより先に薄い扉の向こう側から話し声が聞こえてきた。
百合の花を想起させる凛とした声が、男性を思わせる乱暴な口調をなぞる。
ユフィーリアであることは間違いないが、会話をしている様子はない。通信魔法で誰かと話をしているのだろうか。
扉の表面に耳を添え、ショウはユフィーリアが何の話をしているのか探る。
「あれだけ広大な迷宮区だ、虱潰しに探しても10年はかかるだろうよ。だったらどこかしらで動きがあった時に終わらせた方が早い。――それとも探索魔法でも使ってみるか? 相手はそれを見越してると思うぞ。何せ死刑囚と終身刑を食らった囚人しかいねえドゥンケルハイト監獄から脱走した馬鹿野郎どもだ、対策をしてねえ訳がねえからな」
脱走? 囚人?
扉に耳を欹てるショウは、彼女の話の内容が掴めずに混乱した。
確かに新聞でそんな内容の記事を見かけたことはあるが、何故その事件とユフィーリアが関係あるのだろう。監獄を脱走した彼らは、現在も行方が知れないとあったのに。
息を呑むショウに気づいた様子はなく、ユフィーリアは会話相手に舌打ちをした。
「弱音を吐くんじゃねえよ、どうせお前も忘れるんだから。今日はピクシードラゴンを放たれただけで終わったけど、次は学院が火の海になるかもしれねえんだ。お前も少しは対策をしっかりしろよ」
あ? とユフィーリアは低い声を漏らすと、
「今更だろ、そんなの。お前はどうせ何も覚えてねえんだ、何でお前が苦しむ必要があるんだよ。いいかお前は学院の経営に集中してろ、生徒が大切なんだろ。――どのみち、こっちは悪者だ。雑な扱いには慣れてるよ」
そんな寂しそうな言葉を吐き捨ててから、ガチャンと何かを叩きつける音がショウの鼓膜に突き刺さった。
疲れたようなため息を吐いてから、戸棚らしき場所の扉を開ける音がする。いつもはアイゼルネに任せているお茶汲みも、彼女が寝ているのであれば本人で入れるしかないのだろう。
茶葉を探しながらユフィーリアは「あれ、どこに置いてあるんだ?」などとぶつくさ呟く。扉の向こうに控えるショウの存在には気づかないまま、お茶の用意をしようとしている。
彼女の為なら、きっとこの場で身を翻してベッドに寝転がった方がいいのだろう。眠ったフリでもして、明日は何気ない様子で接して方がいいのだろう。
「…………」
扉の取手から離れる指先を押し留め、ショウは意を決して扉を開けた。
「……ユフィーリア?」
「――――ッ!!」
あまりに唐突な出来事だったからか、ユフィーリアの口から声なき悲鳴が漏れた。彼女でも驚くことはあるのか、と少し意外に思う。
思わず落としそうになった紅茶のカップを魔法で浮かばせ、地面に叩きつけることだけは回避したらしいユフィーリアは、ホッと安堵の息を吐く。入れたばかりの紅茶も無駄にならずに終わったようだ。
ユフィーリアの青い瞳が、用務員室の隣に作られた居住区画の扉からひょっこりと顔を覗かせるショウを見据える。空中を漂う紅茶のカップを手繰り寄せた彼女は、
「ショウ坊か。どうしたんだよ、こんな時間に。あまり遅くまで起きてると大きくなれねえぞ」
先程までのやり取りを誤魔化すように、ユフィーリアは笑った。
「……誰かと話している声が聞こえて、喧嘩をしているようだったから……」
ショウが先程の会話内容には触れずに告げれば、ユフィーリアの表情は明らかに強張った。
まるで、その先に触れることを警戒しているような雰囲気だ。やはり会話の内容には気づいてほしくないと見える。
首を傾げるショウは、
「誰かと話をしていたのか? それとも、深夜の見回りの最中に問題でも起こして、学院長に怒られたのか?」
「…………」
ショウはあえて嘘を吐いた。
ここで会話の内容に深く踏み込んでも、きっと彼女は口を割らない。
いつか彼女が話してくれる瞬間が訪れるはず――そうショウは信じることしか出来ない。ユフィーリア・エイクトベルという魔女の助けになれないことが、ショウにとって悔やまれることだった。
ユフィーリアはヘラリと笑って、
「そうなんだよ。聞いてくれ、ショウ坊。アタシは全然悪くねえんだよ」
「何故?」
「だって深夜の校内は危ないからアタシがこうして見回ってるってのに、生徒が何人か出歩いてたんだぜ? もうこうなったらお化けに扮して驚かすしかねえだろ?」
「どうしてその発想になったのか」
会話の内容まで聞かれていない、と彼女は判断したのだろう。本当に起こしたのか起こしていないのか分からない問題行動を、自然に語り始めたのだ。
深夜の校舎内を出歩いていた生徒がいたが、ただ注意喚起しただけではきっと聞かないと思ったユフィーリアは、幽霊に扮して生徒たちを驚かせたようだ。その話が深夜まで仕事中だった学院長の耳に入り、用務員室に戻ってきた瞬間に通信魔法による説教が飛んできたとか。
それが本当の話だったら、どれほど心地よく聞けただろうか。努めて笑顔を崩さず適度な相槌を打つショウは、何だか泣きそうになった。
「――ふあぁ、あと1時間後にまた見回りか。面倒だな」
ユフィーリアは欠伸をしながら、用務員室の壁にかけられた仕掛け時計を見上げる。
時刻は夜中の1時を過ぎた頃合いだ。
2時間おきに見回りをするので、次の見回りの時間は2時ということになる。少し仮眠ぐらいは出来そうだ。
ショウは用務員室の隅に置かれた革張りの長椅子に座ると、
「ユフィーリア」
「ん?」
「んッ」
首を傾げるユフィーリアに、ショウは自分の膝を叩いた。
「仮眠する時間はあるだろう? 寝心地は悪いだろうが、膝を貸そう」
そう申し出れば、何故かユフィーリアは天井を仰いで目頭を揉んだ。
「……ユフィーリア?」
「ちょっと待て、ショウ坊。かわい子ちゃんの膝枕を堪能してもいいのか理性と本能で戦ってるから」
たまにユフィーリアは変なことを言うのだが、ショウはどう反応をしていいのか困惑した。食生活が改善されたとはいえ、肉付きの悪い鶏ガラの如く痩せ細った男である。膝枕をされてもいい印象は残らないはずだが。
「え、えーと、じゃあ……お邪魔しまーす……」
長椅子に座るショウの太腿を枕にして、ユフィーリアはゴロリと寝転ぶ。横になったことで眠気が忍び寄ってきたのか、すぐにうとうとと微睡み始めた。
ショウはユフィーリアの綺麗な銀髪を指先で弄びながら、
「おやすみ、ユフィーリア」
「んー……2時になったら起こしてくれ……」
それからすぐに、ユフィーリアの規則正しい吐息が漏れる。
何も知らない風を装って、馬鹿を演じることで彼女の安寧が保たれるのであればそうしよう。
きっと彼女にも事情があるのだ。ショウにも言えない事情が、きっと。
「ユフィーリア」
眠る銀髪の魔女の名を呼んで、ショウは言う。
「俺はずっと、貴女の側にいるから」
たとえ世界中が貴女の敵になったとしても、ショウだけは彼女の側を離れないと決めたのだ。




