第3話【異世界少年と魔法の実践】
軽めの準備運動と柔軟も済ませ、ショウはユフィーリアに「終わったぞ」と告げる。
「よし、じゃあこれな」
「?」
早速とばかりに手渡されたものは、数枚の紙だった。
その紙面には、やはりショウの読めない奇怪な記号と理解できない幾何学模様が踊り、紙を広げて首を傾げるしかなかった。
迷宮区で巨大な黒い蜘蛛に囲まれた際、ユフィーリアから手渡された紙に似ている。あの時は弓矢の飛距離を上昇させる魔法と相手を勝手に照準する魔法がかけられていた気がする。
今回はお札の大きさとなった紙を見下ろし、ショウは「これは?」と問いかける。
「ああ、身体能力上昇魔法を使う為の呪符だな」
「これがそうなのか? 浮遊魔法のように想像で発動する訳ではないのだな」
「身体能力上昇魔法は身体に刻み込む場合が多いんだよな」
雪の結晶が刻まれた煙管を口に咥え、ユフィーリアは言葉を続ける。
「魔法刻印っていう方法なんだけど、この方法を選ぶとそれしか使えなくなっちまうからやらない。呪符の方が時間管理も出来るしな」
「時間管理……確か、身体能力上昇魔法には制限時間があったと言っていたが、それか?」
「理解が早いな。お前は本当に優秀だよ」
ユフィーリアに頭を撫でられ、ショウはどこか誇らしげに思う。
元の世界では父親のように文武両道であることを求められ、その希望に応えてきた甲斐があったものだ。あの時の厳しい教育が敬愛する魔女に褒められる要因になってよかった。
彼女の話では、身体能力上昇魔法では体格によって制限時間が異なると言っていた。
制限時間を超えて使用すると身体に異常を来たす恐れがあり、場合によっては自力での歩行が困難になってしまうとか。その場合は治癒魔法でどうにか出来るようだが、問題は魔法を使う為の神経である魔力回路が切れてしまうことだ。これを損傷してしまうと、魔法が使えなくなってしまう。
魔法が使えなくなってしまったらユフィーリアに多大な迷惑をかけてしまうことになる。それだけは避けたいところだ。
「ところでユフィーリア、俺はどれほど身体能力上昇魔法を使えるようになるんだ?」
「お前の身体付きだと、大体1分ぐらいが限度だな」
思った以上に短かった。それぐらいに自分の身体は筋肉がないらしい。
「ハルぐらいになると、3分に伸びる」
「そうなのか」
「エドぐらいだと5分だな」
「エドワードさんでも5分なのか……?」
ハルアは理解できなくもないが、筋骨隆々としたエドワードでも身体能力上昇魔法の使用制限は5分程度なのか。危険な魔法のようだ。
「お前は多めに見積もって1分ってところだ。本当は10秒ぐらいがいいんだけど、それだと本当に呆気なく終わるからな」
「なるほど」
「だから身体に痛みがあったりしたら、即座に使用を中止すること。いいな?」
「分かった」
「よし」
ショウの了承に満足げな様子で頷いたユフィーリアは、
「じゃあまずは紙を咥えます」
「咥えていいのか」
「咥えていいんだよ」
ユフィーリアに言われ、ショウはお札を口に咥える。
すると、咥えた呪符の表面が赤く輝き始めた。
一瞬だけ煌々と輝いた呪符だが、呪符に描かれた幾何学模様をなぞると光が収まる。視界の端で僅かに幾何学模様が赤く光っているのを確認できた。
何が起きたと驚くショウだが、もっと驚愕することが分かった。
(身体が軽い……?)
重力から解放されたのかと言わんばかりに身体が軽い。あまりの軽さに驚きが隠せず、ショウは赤い瞳を見開いた。
ユフィーリアを見れば、彼女は笑いを堪えた様子で指先をショウの後ろに向ける。
背後には修練場の地面が改造されて作られた、岩の柱のようなものが何本か立っている。高さがそれぞれ違い、最も低いものであれば頑張ってよじ登れそうなものから、最も高いもので跳躍でも届かないほどのものまで様々な柱が乱立している。
それに登れ、という指示なのだろうか。今のショウなら出来るかもしれない。
「――――ッ」
下駄と長靴が一体化したような靴なのに、何故かいつもより速く走れる。
風のように地面を駆け、跳躍。地面を蹴飛ばせば軽々とショウの身体は宙を舞い、目標にしていた最も低い柱を飛び越して中ぐらいの高さがある柱の上に着地した。
牛若丸にでもなった気分である。八艘跳びではないが、想像ではそんな感じだ。
ショウは柱を蹴飛ばし、再び跳躍。ほんの少しだけ高い柱に着地して、徐々にその高さを上げていく。跳躍と着地を順調に繰り返していき、あっという間に最も高い柱の上まで到達した。
「あ」
最も高い柱の上に着地をすると同時に、口に咥えていた呪符が紅蓮の炎に包まれて燃え落ちる。どうやら時間制限が来ると同時に、呪符が燃える仕組みになっているようだ。
高い柱の上にポツンと取り残されてしまい、気分は勢いで高いところに登ったものの自力で降りられなくなった猫である。
あまりの高さに思わずしゃがみ込んでしまい、ショウは「ひええ……」と小さく呟く。この高い柱から落ちて、打ち所が悪ければ死んでしまうかもしれない。
身体能力上昇魔法を使用している際は感覚が麻痺していたが、いざ魔法が解けてしまうと大変なことになってしまった。これは色々と大変な魔法である。
「凄えな、ショウ坊」
浮遊魔法で1番高い柱の上に立つショウを迎えにきたユフィーリアが、感心したように言う。
「初めて身体能力上昇魔法を使ったとは思えねえ動きだったぞ」
「思った以上に身体が軽くなったから、少し調子に乗ってしまった」
恥ずかしさを隠す為に笑えば、ユフィーリアもつられて「そっか」と微笑む。
「ほら、掴まれよ」
そう言って、彼女はショウに手を差し出してくる。
差し出された手を掴めば、ユフィーリアが勢いよくショウを引っ張った。
落ちるかと思ったがその前に浮遊魔法をかけてくれたようで落下せずに済み、ショウはユフィーリアの豊かな胸へ飛び込んで、自然と抱き止められる体勢となる。柔らかくて、小さくて、思いの外いい匂いがして――という抱いてはいけないアレな感情が再び湧き上がる。
思春期男子には少々刺激が強すぎる空中浮遊を楽しんでから、ショウはふわりと修練場の地面に降り立った。
「身体に痛みはあるか?」
「ないが……」
「どうした、ショウ坊。ないけどなんだ?」
「心臓に悪い……」
ユフィーリアに触診された時もそうだったが、抱きしめられるのは慣れていないのだ。頭を撫でられるのは嬉しいのだが、それ以上の接触行為は心臓に悪い。ギリギリ手を繋ぐまでは許容範囲である。
そのことに気づいていないのか、はたまた確信犯なのか、ユフィーリアは不思議そうに首を傾げていた。疑問に思わないでほしい。
元々距離感が近いような気がしたが、意識してしまうと気になってしまう。いつか心臓が壊れてしまうかもしれない。
雪の結晶が特徴の煙管を咥えるユフィーリアは、
「お前だけだから安心しろ」
「え」
「はい、2回目行くぞ」
サラッととんでもないことを言われたような気がしたが、急に話題を逸らされてしまった。
ショウは慌てて数枚ある呪符を口に咥えて、再び身体能力上昇魔法を発動させる。
身体が急激に軽くなり、先程と同じ容量で柱に飛び乗る。高低差のある柱の上を飛んだり跳ねたりを繰り返し、身体能力上昇魔法の感覚を掴んでいく。気分はまるで大道芸人のようだ。
軽々と宙を舞いながら柱に着地をするショウだが、
「――ユフィーリア、修練場を勝手に占拠したね!!」
修練場の扉が叩き開けられ、学院長のグローリア・イーストエンドが怒鳴り込んでくる。
中間考査前の大切な時期に生徒を追い出して修練場を占拠した問題児を叱りに来たのだろう、彼の怒声はやたら大きく修練場内を木霊した。
ちょうどその時、柱の上で身体能力上昇魔法が解除されてしまい、咥えていた呪符が燃え落ちてしまう。最も高さのある柱の上ではないのだが、それでも魔法を使わずに飛び降りればタダでは済まない高さだ。骨折ぐらいはするだろうか。
ショウは浮遊魔法を使って柱から降りると、静かに身体能力上昇魔法の呪符を咥える。
「大体、生徒たちは中間考査前なんだよ!! 成績が下がったら君のせいだよ!?」
「知ってるか、グローリア。他人のものはアタシのものっていう格言をな」
「今知ったよ!! 何その傲慢と強欲を掛け合わせたみたいな格言は!?」
いつもの如く説教するグローリアに、ユフィーリアが飄々とした口調で冗談を返す。それが学院長の怒りを煽ることになり、説教の時間が伸びていく。
身体能力上昇魔法によって常識を超えた速さで走るショウは、ユフィーリアの横を通り過ぎると地面を蹴飛ばして跳躍した。
ふわりと空中を舞う矮躯。動きに合わせてはためく外套の裾と、雪の結晶の模様が縫い付けられた長い袖。
唖然と見上げる学院長に狙いを定めたら、やるべきことは1つだけだ。
「うるさい」
綺麗な飛び蹴りをグローリアの顔面に叩き込み、満点の着地を決めるショウ。
顔面へ飛び蹴りを食らった学院長は地面に倒れ、その衝撃のあまり鼻血を出しながら気絶を果たした。この程度で気絶をするのは、学院長としてどうなのだろうか。
ショウの蛮行に修練場の空気は凍りついたが、やがてユフィーリアたちの大爆笑が響き渡るのだった。




