第4話【問題用務員と深夜の会話】
深夜のヴァラール魔法学院に、足音が落ちる。
明かりが完全に落とされた薄暗い廊下がどこまでも伸び、僅かに角燈が行先を照らすだけだ。
壁に飾られた絵画は不気味で、気ままに深夜の校内見回りに勤しむ魔女を静かに見下ろしている。今日だけは彼女のただならぬ雰囲気でも感じているのか、普段ならお喋りな絵画たちも閉口していた。
そう、喋るのだ。壁に飾られた貴婦人の絵画や紳士の絵画、姫君の絵画はみんな喋るし言葉の意味を理解する。ある意味で1番の情報通は、彼らなのかもしれない。
「静かだなァ」
雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、ユフィーリアはのんびりと言う。
見回りも1人でやっているから、話し相手がいなくてつまらない。
ここ最近は見回りも楽しく出来ていた。それは可愛い新人が「自分も校舎の見回り業務を手伝う」と言ってくれたことで、2人1組という新たな規則が設けられたからだ。1人で見回り業務に取り組むのは、久々のことである。
コツコツ、とユフィーリアの足音が響く廊下だが、
「――――おう。いるのは分かってんだぞ」
足を止めて、ユフィーリアは振り返る。
そこには誰もいない。窓から差し込む月明かりが、青白く廊下を照らしているだけだ。
だけどその下――床には、誰もいないはずなのに影だけが残っている状態だった。そこに誰かが立っているかのように、影はユフィーリアから少し距離を置いた場所でピタリと止まっている。
すると、床に張り付いた影がモコリと隆起した。
「鋭いな、君は」
盛り上がった影は、やがて人の姿をなす。
趣味の悪い髑髏の仮面を顔に装着し、艶やかな黒髪は足首にまで届かん勢いで長い。真っ黒な神父服は装飾品すら最低限のものを着用し、胸元では錆びた十字架が揺れる。
冥王第一補佐官であり、ショウの父親――アズマ・キクガがそこにいた。
ユフィーリアは「当たり前だろ」と言い、
「こっちはお前より年季の入った魔女なんだよ」
「反応に困るな」
キクガは髑髏仮面の下で苦笑する。
反応に困るも何も、笑ってくれるのが1番だ。冗談で言ったつもりなのに、キクガは思いの外いい反応をくれなかった。
まあ仕方がないと言えば仕方がないだろう。この親にしてこの子あり、めはなくあの子供にしてこの親ありとでも言うべきだろうか。見た目だけではなく中身までキクガとショウはそっくりである。
やれやれと肩を竦めたユフィーリアは、
「補佐官殿、少し付き合えよ」
「どこにかね?」
「見て分かんだろ、こっちは深夜の校内見回りの仕事中なんだよ」
「君がまともに用務員の仕事へ取り組むのは、天変地異の前触れか?」
「嫌味かな?」
ユフィーリアがジト目でキクガを睨みつければ、髑髏仮面の神父は「冗談だ」と言った。やはり可愛げがないので、ショウとは似ていない気がする。そっくりなのは見た目だけか。
「そうだな。では同行させてもらおう」
髑髏仮面の神父は、どこか真剣さを孕んだ声で言う。
「君には確認したいことがある」
☆
コツコツ、という足音が2人分、薄暗い深夜の廊下に落ちる。
先頭を歩くユフィーリアの後ろから、キクガがまるで雛鳥のようについて回るという構図が出来ていた。
その間、2人に会話はない。気まずい空気が流れているかと思いきや、別に互いに話題がなければ喋らないのだ。
「――で、確認したいことって?」
角燈で廊下の先を照らしながら、ユフィーリアはキクガに問いかける。
「今日の会議についてだ」
「ああ、お前は初めてだったな。今までは冥王ザァトがこまめに参加していたから、代理が来るってのは驚いたな」
冥府を牛耳る王である冥王ザァトは、裁判などの冥府の業務で忙しいのは理解している。多忙だから代理人を立てるのは予想できた。
キクガは冥王ザァトの第一補佐官を務める優秀な魔法使いだ。今回の会議に代理で出席しても文句が出なかったのは、彼の実力を少なからず知っていたのだ。ユフィーリアとしても文句はない。
ユフィーリアが「あれがどうしたよ」と問えば、キクガは少し沈んだ声で言う。
「君はいつもあの役割を負っているのかね?」
「あの役割?」
「終焉の役割だとも。確かに君しか出来ないことではあるけども」
キクガに指摘され、ユフィーリアは「ああ」と納得したように頷いた。
終焉――それは文字通り、終わらせること。
通常、人間は死んだあとに冥府へ旅立ち、冥王ザァトの裁判を受けて魂を浄化した上で新たな人生に生まれ変わる。どれほど重い罪を犯そうと、冥府の呵責を受けて痛苦に耐え凌ぎ、その果てに魂の浄化を施されて新たな生を受けるのだ。
この終焉というものは、その流れを断ち切ることを示す。
世界から魂そのものを永遠に消滅させ、その人がいたというあらゆる痕跡が消える。親族の記憶にすら残ることはなく、対象者の全てが終わるのだ。
だからこそ、終焉という真の意味での死を与えるには、七魔法王の決議が必要になるのだ。
「君は何も異議を唱えなかった。本当にそれでいいのかね?」
「何でお前が気にするんだ?」
ユフィーリアは純粋な疑問を口にした。
「知ってるか? 終焉を与えられた奴らは、誰1人として覚えてねえし記録にも残らねえ。当然ながら七魔法王も覚えてねえ。――アタシ以外はな」
終焉を与えられた人間は、この世の誰1人として記憶に残らない。記録すらも存在しない。
それは七魔法王も例外ではなく、終焉を与えられた人間は誰も覚えていない。その最期も、何と喚いて命乞いをしたかなんて。
――唯一、終焉を与える張本人であるユフィーリアだけは覚えている。
「どうせお前も忘れるさ。脱獄犯の最期なんて、記憶に残すほどのものでもねえだろ」
「……君はそれでいいのかね」
「もう慣れた」
角燈で行先を照らしながら廊下を進むユフィーリアは、
「お前の記憶どころか冥府の記録にも残ってねえだろうが、アタシが終焉を与えた人数は97人だ」
「…………」
「お、今度の終焉で100人の大台に上るな。覚えてるのはアタシだけだけどな」
「君は、終焉を与えた人物の最期を全て覚えているのかね」
ピタリ、とユフィーリアは足を止める。
ユフィーリア・エイクトベルに終焉は適用されない。世界中が忘れたとしても、彼女だけは終焉を与えた人間たちの末路を記憶している。
全て、何もかも。命が、魂が終わる瞬間まで全部。
「覚えてるよ」
ユフィーリアはキクガへ振り返り、
「それが?」
「誰かに背負ってもらおうと思ったことは?」
終焉の役割はひどく重い。
どこを切り取っても忘れることなど出来ない、楔のようなものだ。消えゆく魂の断末魔が、この世界に対する怨嗟が、ユフィーリアの耳にこびりついて離れない。
その苦しさを理解しているのはユフィーリアだ。
こんなものを、自分以外の誰かに背負わせてはならない。
「魔女や魔法使いには従僕契約がある。それを用いれば、君の背負う重荷も少しは軽く」
キクガの台詞を途中で遮るように、ユフィーリアは彼の顔面に装着された髑髏仮面の口元に自分の人差し指を押し当てた。
「それ以上はダメだ」
この重荷は、ユフィーリアが1人で背負うと決めたのだ。
「アタシはな、アイツらにこの重荷を背負わせるつもりはねえ」
そこまで束縛をするつもりも、毛頭ない。
「アイツらには人並みに生きて、人並みに死んでほしいんだよ」
従僕契約は、魔女と配下になる為の契約である。
これを交わせば魔女の従僕としての役割を与えられ、魔女と命が繋がる。契約者である魔女が生きている限りは1000年でも5000年でも生き続け、魔女が死んだその時は従僕も死ぬ時と定められている。
ユフィーリアは、大切な部下たちに従僕契約を強いたくなかった。
従僕契約は魔女の独りよがりだ。人の枠を外れ、永遠を生きるようになった魔女が、長い長い旅路に連れ添う相手を求める為の契約だ。
もし望まぬ従僕契約だった場合、配下となった者は魔女が生き続ける限り死ぬことが出来ない。家族にも、友人にも、恋人にも置いてかれて、魔女と生きるしかなくなるのだ。
それに、ユフィーリアは終焉の役割を担う魔女だ。従僕契約をすれば確かに背負った重荷は軽くなるだろうが、それは彼らにもあの悍ましい呪いを背負わせることになる。
それだけは、どうしても避けたかった。
「だからこの呪いは、アタシだけのものだ」
大切な彼らには知られたくない――知ってほしくない。
消えゆく魂が鼓膜に残す断末魔を、最後の最後まで世界に対して残す呪詛を。
どれほど「改心する」と叫んでも、赦しを乞うても、世界から『不必要』の烙印を押されてしまった彼らに待ち受ける最期は魂ごと消滅させることだ。理不尽に消され、終わりを迎える罪人の最期を見せたくない。
ユフィーリアはトンとキクガから離れると、
「じゃあな、補佐官殿。少しは楽しめたぜ」
☆
その場に取り残されたアズマ・キクガは、遠ざかっていく銀髪碧眼の魔女の背中に語りかける。
「君の優しさは間違っているよ、ユフィーリア君」
従僕契約は魔女や魔法使いの独りよがりと言うが、では対象者が望んだ場合はどうなる?
契約者となる魔女のことを心の底から敬愛し、従僕契約に真摯な態度で向き合う相手ならばどうするだろうか?
必ずしも、その契約は望まないことではない。「共に生きたい」と強く願う人物だっているのだ。
「距離を置かず、強がらず、ただ君は手を伸ばせばいいだけなのに」
長いこと、孤独に慣れてしまった魔女に、その声は届かない。




