第1話【遅刻】
「あ、ユフィーリア」
それは朝食の時間帯だった。
生徒で賑わう食堂に、学院長のグローリア・イーストエンドの声が響く。
彼が名前を呼んだ人物は、ヴァラール魔法学院の問題児だった。しかもその筆頭である。朝から説教か、と周囲の生徒たちは警戒する。
対する問題児――名前を呼ばれた銀髪碧眼の魔女、ユフィーリア・エイクトベルは龍国粥を口に運びながら「何だよ」と応じた。
「まだ何もしてねえぞ」
「常にお説教する為に呼ぶ訳じゃないからね」
グローリアはカリカリに焼いた白い麵麭を皿に移しながら、
「今日の午後3時から会議があるから、君も参加してね」
「あー、はいはい」
「『はい』は1回で十分だよ」
「ワン」
「犬かな、君は?」
全く、などと小言を垂れながら自分の皿に朝食を盛り付けるグローリア。
そんな彼を適当に見送ったユフィーリアは、食べ終わった龍国粥の器を抱えてお代わりに向かうのだった。
数秒前までの話題をすっかり忘れたような態度の上司に、同じく話を聞いていた部下たちはコソコソと話し合う。
「今日の午後3時だってぇ」
「オレ、覚える自信ないよ!!」
「気がついた子が言いましょうカ♪」
「あれは絶対に忘れているだろうな……」
部下たちの懸念に気づくことなく、ユフィーリアは2杯目の龍国粥を器に盛り付けるのだった。「1杯目は白胡麻だったから2杯目は黒胡麻」と呑気なものである。
☆
「ちょ、止めろ止めろ。揺らすな揺らすな」
「揺らしてないよぉ。ユーリの指先が震えてるのがいけないじゃんねぇ」
「いや本当にこれって神経使うんだから止めろよ茶化すな黙れ」
用務員室では極限状態によるやり取りが行われていた。
真剣に何かへ向き合っているのはユフィーリアと、強面の巨漢――エドワード・ヴォルスラムである。
用務員室に並んだ5つの事務机の上を片付けて、その上に散らばっているのは透明な立方体である。ユフィーリアとエドワードはそれを積み上げて遊んでいるようだが、透明な立方体を指で摘む彼女の真剣さが半端なものではない。
実はこの透明な立方体、薄い膜で覆われた水である。
魔法で水を薄い膜に閉じ込めて、立方体に形を整えたものだ。魔法の訓練と遊びの側面を持ち合わせているので、精密な魔法の操作を鍛える為に用いられる。
少し加減を間違えれば立方体が氷のように硬くなったり、逆に触っただけで破れて水が溢れてしまったりするのだ。絶妙な魔法の加減が必要なので、初心者には向いていない遊びである。
「よーし……積めた、積めたぞ」
机の上には5個の立方体が積み重ねられていた。
少しだけ歪んでいるようにも見えるが、透明な塔の完成である。さらに上へ積み重ねるとすれば、相当な労力が必要になってくる。
5個の立方体を塔よろしく積み上げたことに満足げなユフィーリアは、対戦相手であるエドワードの積み方を見やる。
同じく立方体を3個と2個で分けて積み重ねるエドワードは、ユフィーリアよりも安定感があった。指先で触れただけで塔が決壊しそうなユフィーリアとは対照的に、エドワードは安定感のある積み方で勝利を確実なものにしている。
「エド、お前がそんなにつまらねえ男だとは思わなかったぞ」
「俺ちゃんは安定感のある積み方を重要視するんですぅ。余計なお世話だよぉ、ユーリ」
互いに睨み合い、絶対に負けないとばかりに6個目の立方体に手を伸ばすユフィーリアとエドワード。
エドワードは2個の立方体が積み重なった小さな塔に3個目を乗せ、早くも積みの作業を終える。
問題はユフィーリアだ。すでに5個を高い塔のように積み上げてしまっているので、6個目を頂点に積み上げる作業はかなり難航する。手順を間違えれば即決壊、透明な立方体で完成した塔は脆くも儚く崩れることとなる。
そろりそろりと6個目の立方体を頂上に積み重ねようとするユフィーリアだが、
「ただいま!!」
「ただいま」
「ただいまヨ♪」
購買部へ買い物に出かけていたハルア、アイゼルネ、ショウの3人が元気に用務員室へご帰宅なさった。
「あ」
「あららぁ」
勢いよく開いた扉に驚き、その衝撃でユフィーリアは自分が積み上げた透明な立方体の塔を倒してしまう。
机に叩きつけられると同時に薄い膜が破れ、水が溢れて机を容赦なく濡らしてしまう。しかも5個分である。机の上どころか床までビチャビチャである。
6個目の透明な立方体を指で摘んだまま、帰還したばかりの3人へ恨みがましそうな視線をやるユフィーリア。彼らは何も悪くないのだが、少し恨まざるを得ない。
購買部の証である猫の肉球模様が描かれた紙袋を抱えた黒髪赤眼の少年――アズマ・ショウが、申し訳なさそうに謝罪してくる。
「ええと……その、ごめんなさい……?」
「……いや、お前らは悪くねえ。謝るな、ショウ坊」
水に濡れた机を戸棚から魔法で引っ張り出した雑巾で拭き、ユフィーリアは「はーあ」と深々とため息を吐いて自分の椅子に座る。
遅かれ早かれ、あの積み方では負けていたのは間違いない。今回の負け方は間が悪かっただけで、次の戦いでは絶対に負けない。
真剣勝負の行方はエドワードの戦略的勝利で決まり、無様に負けを喫したユフィーリアは不貞腐れたように雑な感じで積まれた新聞を手に取った。バサバサと音を立てながら広げて、まずは大きく掲載されている記事に目を通す。
「目当てのものは買えたのぉ?」
「買えたわヨ♪ 黒猫店長もいい紅茶を仕入れてくれたノ♪」
「ついでにお茶菓子もおまけして貰えたんだよ!! 太っ腹!!」
「よかったねぇ」
残った透明な立方体を片付けながら、エドワードが購買部から帰ってきた3人の話を聞く。特にお茶菓子をおまけしてもらって嬉しそうなハルアが、エドワードに何度か体当たりをして嬉しさを表現していた。
「ユーリもお茶を入れるわネ♪ 冷たいのでいいかしラ♪」
「おう、頼む」
新聞の記事を読みながら、ユフィーリアはアイゼルネに短く応じた。
「……何の記事を読んでいるんだ?」
「んぁ? これか?」
机の上に放置された愛用の煙管へ手を伸ばせば、購買部で買ってきた品物を棚に収納するショウがそんなことを聞いてくる。
どの部分を読んでいたっけ、とユフィーリアは新聞に視線を落とした。
ちょうどその部分は、脱獄犯がどうのと書かれた記事だった。世界最大規模の監獄から囚人3名が脱獄し、現在も行方が分からなくなっているという内容である。
「脱獄犯だってよ。怖いよなァ、ショウ坊も夜の見回りは気をつけろよ」
「今日はハルさんと一緒だから平気だ」
「……校舎も半壊させないように見張っておいてくれよな。もう一度大規模修復魔法を使って校舎を直すのは嫌だぞ、アタシは」
正直な話、ハルアならやりかねないのだ。何かに興奮したあまり、校舎を半壊させるなどという出来事が簡単に想像できてしまう。
ショウもそのことを理解しているのか、苦笑いしながら「分かった」と応じた。
うん、今日も可愛い新人は心の底から可愛い。世界の常識である。ヴァラール魔法学院の入学試験に出してもいいだろう。
その時、用務員室に飾ってある仕掛け時計が動き始めた。
ぱっぽー、ぱっぽー、ぱっぽー。
無難に時計から鳩が飛び出して、回数で時刻を知らせてくれるというものである。鳩が飛び出してくるのが面白いので、購買部で安売りされている時に購入したのだ。
ちょうど鳩が3回鳴いたので、午後3時ということだろう。午後の最後の授業は3時30分に終わるので生徒たちはまだ眠気と戦いながら授業に励んでいるはずだ。
アイゼルネが「あラ♪」と時計を見上げ、ハルアの体当たりを受け止めていたエドワードが「3時だねぇ」と言う。ショウもまた3回鳴いた鳩に反応を示していた。
「ユフィーリア」
「何だよ、ショウ坊」
アイゼルネが入れた冷たい紅茶を受け取りながら、ユフィーリアはショウに応じる。
「今日、会議と言っていなかったか?」
「えー、そうだっけ?」
「学院長が言っていたと思うのだが……」
「…………」
冷たい紅茶を1口だけ飲んでから、ユフィーリアは弾かれたように席を立ち上がった。
「忘れてた!!!!」
雪の結晶が刻まれた煙管を引っ掴み、ユフィーリアは新聞を放り出して用務員室から飛び出していく。
3時からの会議なのに、3時に現場へ向かうとは遅刻確定である。
誰もいない廊下を爆速で駆けながら、ユフィーリアは「絶対に怒られる!!」と嘆いた。忘れる方が悪いのだ。
☆
用務員室を飛び出したユフィーリアを見送り、エドワードが「やっぱりねぇ」と言う。
「ユーリってば、学院長の言ったことをすーぐ忘れるんだからねぇ」
「さすがに会議のことは覚えていると思ったんですけど……」
「覚えてる訳ないじゃんねぇ。そもそも普段から学院長に説教された内容を忘れてるんだからぁ、学院長の言葉はもう忘れるようにしてるのかねぇ」
やれやれと肩を竦めるエドワードに、ショウは「あはは……」と苦笑いするしかなかった。
ともあれ、会議の存在は思い出したようなので安心である。
何の会議なのか聞いていないのだが、主任用務員が呼ばれるような会議なのだろうか。その話を事前に聞いておけばよかった。
「エドワードさん」
「何よぉ?」
「ユフィーリアは何の会議に参加したんだ?」
「知らないねぇ」
エドワードは首を横に振って、
「俺ちゃんねぇ、用務員として働いて長いけどさぁ。ユーリが何の会議に出てるのか知らないんだよねぇ。定期的に呼ばれてるみたいだけどぉ」
「知らないんですか? じゃあ他は……」
ショウはハルアとアイゼルネに視線をやるが、彼らもまた首を横に振るだけだった。会議の内容を知らないようだ。
まあ会議の内容について詮索するのは野暮だろう。あとで彼女から報告があることを待つとする。
そんなことを思うショウは、
「…………?」
ユフィーリアの事務机に積まれている本の山、その1番下。
やたら古い背表紙の本があることに気づいたショウは、その上に積まれている他の本を退かす。ボロボロの革表紙は年季が入り、題名の文字も掠れて読みにくくなってしまっている。
表紙を慎重な手つきで開けば、黄ばんだ紙の上に題名である文字が踊っていた。
「『ヴァラール魔法学院と七魔法王』……?」
聞き覚えのない単語なのに、何故か胸がざわめいた気がした。




