第6話【それはまるで澱のような】
「お、届いてる」
用務員室の前に、見慣れない真っ黒な箱が置かれていた。
銀色のリボンがかけられ、夜の闇を想起させる黒い包装紙には桃色の猫の肉球模様が印刷されていた。かなり可愛い意匠となっている。
縮小魔法がどうのと言っていたが、一抱えほどもある箱の中に果たして何が入っているのか。購買部に注文しようと思い立ち、店番を任されたところで有耶無耶になった大きなベッドが入っているのか。
ユフィーリアが黒い箱を持ち上げ、銀色のリボンを取り払う。
「ハル、やるよ」
「わーい!!」
銀色のリボンを貰った先輩用務員のハルアは、リボンの端を握りしめて楽しそうに振り回す。キラキラとしたリボンに若干興奮気味の様子だった。
用務員室の扉にかけられた施錠魔法を解除し、ユフィーリアたちは居住区画に移動する。
向かった先は寝室だ。本来であれば人数分のベッドが置かれているのだが、昼間に遊び道具として用いて壊してしまったので伽藍としている。隅に置かれた長椅子が物寂しげな空気を醸し出していた。
寝室に足を踏み入れたユフィーリアが桃色の肉球模様が刻まれた黒い包装紙を破り、箱の蓋を開ける。
「わッ」
ショウは思わず声を上げてしまった。
ユフィーリアが箱の蓋を開けた瞬間、どすんと重々しい音を立てて寝室に巨大なベッドが召喚された。
規格外に大きなベッドはおとぎ話や少女漫画に出てきそうな豪奢な天蓋付きのベッドであり、5人全員で寝転がっても余りあるほど巨大だ。敷布団も掛け布団も今まで体験したことのないほどふかふかのふわふわで、まさに夢心地と表現するに値する。
豪華で大きなベッドを前に、問題児と名高い用務員たちが我慢できる訳がなかった。
「うわっほーい!!」
「ひゃほーい!!」
「うっきゃーッ!!」
「きゃー♪」
全員揃っていい大人だというのに、まるで子供の如くベッドの上ではしゃぎ回る先輩方。特にハルアは銀色のリボンを振り回しながらはしゃいでいるので、リボンがペシペシとエドワードやアイゼルネにぶつかっている。
部屋いっぱいに詰め込まれた豪奢なベッドを前に、ショウは先輩方のようにはしゃげなかった。完全に置いてけぼりを食らった。
ぽんぽんとベッドを壊さん勢いで跳ね回り、飛び回り、奇声を上げて興奮するユフィーリアたちを眺め、もう笑うしかなかった。みんなが楽しければそれでいい。
ひとしきり騒いだあと、ユフィーリアたちはベッドから降りてくる。いい運動になったのか、彼らの額には汗が滲んでいた。
「いやー、まさかこんな豪華なベッドをほぼ無料でくれるなんてなァ。黒猫店長も太っ腹だぜ」
想定外の豪華なベッドに、ユフィーリアも満足げである。彼女は雪の結晶が刻まれた煙管を咥えると、
「さてお前ら、どこで寝る?」
もちろん、彼女の質問の意味は「どの順番でベッドに寝るか」である。
問題児筆頭であり主任用務員のユフィーリアが身長的にも真ん中の方がいいだろうが、問題はその他だ。特にユフィーリアの隣についてである。
戦争でも勃発するのかと内心でヒヤヒヤするが、意外と先輩方は冷静だった。ちゃんと均衡的なあれそれを考えている様子だった。
「俺ちゃんとアイゼが端っこかねぇ。ショウちゃんは身長いくつぅ?」
「173です」
「じゃあユーリの隣がいいかもねぇ」
そんなことを言うエドワードは、
「反対側はどっちがいい? 俺ちゃんか、アイゼになるけどぉ」
「エドワードさんでお願いします」
「あららぁ? 女の子に挟まれて寝られるのにぃ?」
「それはちょっと……」
別に女性2人に挟まれて眠ることも吝かではないのだが、耐性がないのだ。朝起きたら大変なことになっていそうである。
自分の身の安全の為にも、片方は男性でお願いしたい所存だ。特に身長が高くて体格もガッシリしているエドワードなら、多少の寝相が悪くても受け止めてくれそうである。
最終的に、問題児筆頭のユフィーリアが意見をまとめる。
「じゃあエド、ショウ坊、アタシ、ハル、アイゼの順番でいいな?」
「賛成だよぉ」
「異議なし!!」
「分かったワ♪」
「問題ない」
満場一致で寝る順番が確定し、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管をペン回しの要領でくるんと回す。
「じゃあパンクックでも食いに行こうぜ。水風船戦争なんてやったら軽く腹減ったしな」
賛成、と全員が口を揃えたのは言うまでもない。
☆
いつもなら少し離れた位置で感じる規則正しい寝息と「むがー、もう食べられない……」という先輩の寝言。
夜の気配に包まれた寝室は、昨日までと少しばかり違っていた。
全員の距離が近くなり、手を伸ばせば届く範囲にいる。誰かと一緒のベッドで眠るという経験をしたことがなく、ショウは何となく寝れずにいた。
「…………」
ぼんやりと瞼を開けば、そこにいたのは瞳を閉ざした銀髪の魔女だ。
艶やかな銀色の髪は柔らかな敷布の上に大河を成し、閉ざされた瞼を縁取る銀色の長い睫毛は瞬きだけで旋風を起こせそうだ。半開きになった桜色の唇から吐息が漏れ、時々「ん……」と艶っぽい掠れ声が耳朶に触れる。
肩だけを剥き出しにした黒い礼装を部屋着の形に変化させ、随所にレースやリボンがあしらわれた可愛らしい意匠となっている。部屋着の形式でも長手袋は欠かさないのか、二の腕から指先まで真っ黒な手袋が覆い隠す。
ユフィーリア・エイクトベル――問題児筆頭にして主任用務員、そしてショウの1番大切な人。
「…………」
ショウはそっと、眠るユフィーリアの手に自分の手を重ねる。
彼女の手は氷のように冷たく、しかし女性らしい柔らかさを併せ持っている。ほっそりとした指先に自分の指を絡め、さりげなく手を握る。
不思議なことに、ユフィーリアは起きなかった。手を握られたことにも気づかず、すぅすぅと規則正しい寝息を立てたまま夢の世界から帰ってこない。
そんな安らかに眠るユフィーリアを見つめ、ショウは消え入りそうな声で言う。
「ごめんなさい……」
――ここ最近、彼女に対する想いに変化があるのを感じ取っていた。
そのきっかけは何だったか。神造兵器を手にした時からか。
ユフィーリア・エイクトベルという魔女に対して抱く感情が、ただの感謝や憧憬などの純粋なものではなくなっていた。
ドロドロした黒い澱のようなものが、ショウの心の中に溜まっているのだ。
(こんな感情を、貴女に対して抱くなんて)
汚くて、醜くて。
(こんな感情を、貴女に対して向けるなんて)
目を逸らしたくて、なかったことにしたくて。
(――でも、出来なかった)
彼女と過ごすうちに黒い澱のようなドロドロとした感情は溜まっていき、いつしか決壊してユフィーリアの眼前に晒されることとなるだろう。
この呪いにも似た想いを切り離そうとしても不可能で、彼女の隣にいるだけで「もっと」と望んでしまう。このままずっと、2人でいられたならと。
そんなことを、果たして彼女が望むだろうか。
(――それでも、どうか)
キュ、と眠るユフィーリアの手を握る。
もう2度と離さないとばかりに、それでもやや躊躇いがちに。
繋いだ手に、呪いにも似た感情を乗せながら。
(貴女の側にいたいと、望むことだけは許してほしい)
ユフィーリアの手を握りながら、ショウは静かに瞳を閉じた。
意識が深淵に沈んでいく。
その先に待ち受けるのは、自分自身がユフィーリア・エイクトベルという美しく優しい魔女に対する黒い澱のような心の中だ。
この不毛な『愛』にいつか終わりが訪れるなら、その時は。
(どうか貴女の手で、終わらせてほしい)
可愛い新人が眠りについた頃合いを見計らって、ユフィーリアはそっと目を覚ます。
唐突に手を握ってきたと思えば、何故か「ごめんなさい」と謝る始末だ。
まさか手を握っただけで怒られるとでも思っているのだろうか。そんなことは絶対にあり得ないのに。
「可愛いなァ、本当」
コソコソしなくても、手を繋ぐ程度ならばいつでもしてやるのに。
掛け布団を肩まで引っ張り上げてやり、ユフィーリアは空いている手でショウの頭を撫でる。
艶やかな彼の黒髪は手触りがよく、上質な絹糸を遥かに超える柔らかさがある。いつのまにか夢の世界へ旅立ったのか、頭を撫でてもショウが起きる気配はない。
眠る少年を眺め、銀髪の魔女は小さく微笑む。
「おやすみ、ショウ坊」
どうか、貴方がいい夢を見られますように。




