第2話【事故紹介】
残念ながら異世界人の少年が悪夢から解放されてしまったので、創夢魔法によるハーレム作戦はあえなく終了となった。
問題なく起き上がった異世界人の少年――ショウは、お行儀良く長椅子に腰掛けて興味深げに周囲を見渡している。
鶏ガラのように痩せ細り、ボロボロな外見をしているにも関わらず、元気そうに動けていることが奇跡のようだ。あれが異世界人の標準だとしたら、軽く100回は泣ける。
問題児と名高い用務員一同は素早く円陣を組むと、コソコソと声を潜めて作戦会議を開始した。
「おい、アイツ起きたけど何すりゃいい? 何か食わせた方がいいのか?」
「絶対にその方がいいけどぉ、まずは自己紹介じゃないのぉ?」
「名前知らねえと怖いよな!!」
「ここは盛大に自己紹介をやるしかないわネ♪」
とりあえず、まずは自己紹介からと全員の意見を一致させ、4人の問題児は早速とばかりに行動を開始する。
「えー、ごほん」
わざとらしく咳払いをしてから、ユフィーリアは指揮者の如く雪の結晶が刻まれた煙管を一振りする。
「ようこそ、アズマ・ショウ君。エリシア唯一にして最高峰と名高きヴァラール魔法学院へ!!」
その簡単な動作だけで魔法が発動し、用務員室全体に色とりどりの花弁がひらひらと舞う。
ユフィーリアの後ろでは小太鼓をドコドコと鳴らすエドワード、ぷぴぷーと玩具の喇叭で間抜けな音を奏でるハルア、トランプをばら撒くアイゼルネという統一性のない連中が、各々異世界人の少年を歓迎していた。ただのチンドン屋に見える。
ポカンとした様子のショウに、ユフィーリアは黒い外套の裾を摘んで、淑女のように綺麗な挨拶を披露する。
「初めまして、異世界人。アタシはユフィーリア・エイクトベル、このヴァラール魔法学院の主任用務員だ」
「その部下のエドワード・ヴォルスラムでぇす」
「ハルちゃんです!! うえーい!!」
「アイゼルネでース♪」
よろしくネ、という言葉で締めて、怒涛の自己紹介タイムは終了。
対する異世界人の反応はない。
長椅子にチョコンと腰掛けた状態のまま、何故か瞬きすらせずに固まっている。自己紹介タイムの演出がやりすぎだったのだろうか。
気まずい空気が流れ始める用務員室に、ようやく異世界人の少年は反応を見せた。
「……あの、どうして俺の名前を知ってるんですか?」
「え? そりゃまあ、そこは魔法でチョチョイとな。名前ぐらいは知っておかねえと色々まずいだろ」
そんな調子で答えを返せば、何故かショウは自分の両肩を抱きしめて長椅子の上に縮こまる。長めの前髪から覗く黒い双眸は、ドン引きしている気配さえ滲ませていた。
「え、ちょっとそれは……申し訳ないんですが、怖いです」
「だよな!! 怖いよな悪かった!!」
自己紹介タイム、見事に失敗である。
そもそも初手で『アズマ・ショウ君』などと名乗ってもいないのに名前を高らかに叫んでしまえば、警戒心を抱くのは当たり前だ。ユフィーリアでも警戒するし、何ならもう2度とソイツには近づかない。
誰だ、閲覧魔法とかいうこの世で最も恐ろしい魔法を開発したのは。今ならヴァラール魔法学院の品位を著しく低下させることに一役買っている問題児が、地味に嫌な悪戯の五連撃ぐらいで済ませてやる所存である。
再び円陣を組んだ用務員一同で、作戦会議を再開させる。
「おい、警戒させたんだけど。誰だよ、閲覧魔法なんて危ない魔法を開発したのは。知らねえ間に個人情報を読み取られ放題じゃねえか、あんなの」
「法律で禁止されてるからねぇ、不必要な閲覧魔法の使用はねぇ。今時のお洋服にも閲覧魔法の対抗魔法がしっかりと織り交ぜられてるからねぇ」
「不審者!? なあ、オレって不審者!?」
「ハルちゃん、不審者扱いを受けるべきなのはおねーさんたち全員ヨ♪」
あわや全員仲良く用務員から不審者に転職である。ちょっと色々な条例とか常識とかアレやソレに引っかかる軽率な行為だった。
全員揃って学院長に「僕たち不審者です」と出頭しようか意見を出し合っていると、ショウから声をかけてきた。
警戒心を抱いてはいるが、確認作業の為ということだろうか。ともあれ、こんな不審者扱いを受けても文句が言えないような連中に、勇気を出して話しかけてきた訳である。
「あの」
「はい、不審者です。ご用件をどうぞ」
「いえ、あの、そこまで言ってないんですけど……」
困惑気味なショウは、
「あの、俺の名前を知っているということは、俺がどういう扱いを受けてきたってことも分かっているんですか?」
「まあな」
余計なことを言わず、ユフィーリアは肯定の言葉だけを返す。
彼の扱いなど、今の姿を見れば大体の予想は出来る。
髪はボサボサ、鶏ガラのように痩せ細った身体。頬は腫れ、手のひらには数え切れないほどの火傷痕。この目で確かめたことはないが、おそらく服の下には無数の痛々しい痣が残っているはずだ。
親族からの虐待――それは、少年の心身を傷つけるには十分すぎるものだった。
ショウは「そうですか……」と呟き、
「小さい頃から叔父夫婦による暴力を受けて、でも叔父夫婦は外面だけはいいから警察も児童相談所の職員も信じてくれなくて」
「おい、おい坊ちゃん」
「中学に上がった頃には暴力もさらに酷くなっていって、何度も自死を選ぼうと思ったけど」
「話を聞けや」
聞いてもいない話を訥々と語り始めるショウの頭を、ユフィーリアは容赦なく殴った。スパン!! と小気味いい音がした。
もちろん、手加減はした。手加減をせずにぶん殴れば、ショウの首が大変なことになっている。頚椎が折れて冥府に旅立つ、という事態は避けなければならない。
だが、相手の心情を汲むことだけはなかった。そんな欠伸が出るような不幸話など、退屈でつまらない話でしかない。
ぶん殴られた頭を押さえて唖然と見上げてくるショウの両肩を掴み、ユフィーリアは真剣な表情で言う。
「あのな、お前が今まで何をされてたかなんて知ってんだよ。こっちは魔法で全部見てんだ、今更語られても『へえ』以外の感想が出てくるかよ」
「あ、ご、ごめんなさ……」
「誰が謝れって言った。話は最後まで聞け」
怒られたと勘違いして怯えるショウに、ユフィーリアは言葉を続ける。
「いいか、坊ちゃん。お前が10年近くに渡って受けた傷は消えねえだろうが、忘れることは出来る。ふとした拍子に思い出すこともあるけど、アタシがそれを忘れさせてやる」
「…………」
「今まで十分に苦しんだだろ。これからは悲観的なことを考えないで幸せになることだけを考えろ。この世界で、お前の幸せを探せよ」
「…………」
「少なくとも、ここにいる奴らはお前の幸せを望んでる。お前が面白おかしく生きることを望んでる。――だから」
ユフィーリアはショウのボサボサになった髪を指で梳き、頭を撫でてやる。
「もう大丈夫だ。お前が思うような痛みも苦しみも、ここにはねえよ」
そう言った瞬間、ショウの瞳からボロリと大粒の涙が零れた。
ギョッとした表情を見せるユフィーリアをよそに、ショウの瞳からはボロボロと絶えず大粒の涙が溢れ出てくる。それほど嫌なことを言ったつもりはなかったが、何かが彼の地雷を踏んでしまったようだ。
慌ててショウの頬を伝う涙を拭ってやるが、やはり涙は止まらない。どうしたって止まらない。
「あーあ、ユーリが泣かせたぁ」
「泣かせちゃダメなんだよ!!」
「酷いわヨ♪」
「何がダメだったんだよ!! 別に何も悪いこと言ってねえだろ!!」
まるで子供のように「なーかした、なーかした」と囃し立ててくるエドワード、ハルア、アイゼルネの3人へ、ユフィーリアは即座に反論する。
今までの発言を振り返ってみても、地雷を踏むような言葉は選んでいないはずだ。いや、自分でも「気障だなこりゃ」と頭を抱えたくなるが、吐いた唾は飲み込めないのと同じく、言ってしまったことは取り消せない。
全く、異世界人の感性はよく分からない。当たり障りのない台詞で泣かれるなら、この先まともに会話が成立しなくなる。
「ちが、違うんです……違います……」
グイグイと涙が伝う頬を乱暴に拭われながら、ショウは否定する。
「そんなこと言われたの、初めてで……嬉しいんです」
それから、彼はほんの少しだけ口元を緩めた。
笑顔と呼ぶにはあまりにぎこちなく、まだ表情筋が強張っている気もするが、彼にとっては立派な笑顔と呼べた。
「ありがとうございます、ユフィーリアさん」
「……名前覚えてたのか」
「すぐに忘れるほど馬鹿じゃないです、俺」
キッパリと言い切るショウに、ユフィーリアは彼が聡明であることを思い出す。
閲覧魔法から得た情報では非常に優秀な成績を修めた優等生だったとあり、頭脳面では大いに期待できる。ヴァラール魔法学院の生徒にでもなれば、学年首席になれるだろう。まあ、それを選ぶのは彼の自由だが。
ショウは涙の跡がついた頬を拭うと、
「もう知っていると思いますが、アズマ・ショウです。よろしくお願いします、ユフィーリアさん」
「さん付けはいらねえ、あと敬語もな。そんな高尚な生き方してねえから、アタシ」
「えと、分かり――分かった。出来る限り努力はする、ユフィーリア」
さて、事故になる寸前だった自己紹介も無事に終わり、用務員室にはショウを歓迎する空気が漂い始める。
早速とばかりに異世界人に対して興味津々なハルアが突撃し、ショウは困惑した様子でハルアとの会話に応じる。彼らの年齢も近いので、すぐに仲良くなれるはずだ。
よし、諸々問題なし。あとは和やかにお茶会でも出来れば完璧だ。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、
「アイゼ、お茶淹れてくれ。人数分」
「はぁイ♪ とっておきのお紅茶を淹れちゃうワ♪」
「ユーリ、この前買ってきたお菓子も出しちゃっていいよねぇ?」
「おう、出せ出せ。アタシもこの前、学院長室からかっぱらってきた高級菓子を開けるから」
「えー、ユーリそんなことしてたのぉ? いっけないんだぁ」
「どうせグローリアの奴は食べずに腐らせるんだから、有効的に活用してやることに感謝してほしいぐらいだっての」
ショウの相手はハルアに任せ、いそいそとお茶会の準備をし始めるユフィーリア。エドワードは戸棚に隠してあった茶菓子の箱を取り出して、アイゼルネは人数分の紅茶を淹れる。
事務机の引き出しに保管しておいた綺麗な箱を引っ張り出し、包装紙をビリビリに破いて捨てる。中身は個包装された焼き菓子のようで、様々な種類が箱の中で整列していた。
焼き菓子が詰まった箱をショウとハルアの前に差し出し、
「未成年特権だ。最初に選ばせてやるよ」
「いいのか?」
「オレもいいの!?」
「美味いかどうかは保証しねえけどな。ここの焼き菓子って高いから食べたことねえんだよ」
基本的に甘いものを好まないので、どこの焼き菓子が美味いかとかよく分かっていないユフィーリアである。このお菓子も、学院長室に放置されていたものを無断で持ち出したものなので、美味しさは保証しかねる。
箱の中に並んだ焼き菓子の袋を1つ摘んで、ショウは「じゃあ、これを」と控えめな大きさのものを選択する。ハルアもそれに倣って、小さめな焼き菓子の袋を1つ選んで箱から取っていった。
大きめの焼き菓子もあるというのに、健気な子供である。なので、適当に焼き菓子を3個ほど追加で選んで、ショウとハルアにそれぞれ押し付けた。
着々とお茶会の準備は進んでいく。
あとは南瓜のハリボテを被った娼婦の淹れる、用務員室自慢の紅茶が全員に行き渡ればお茶会の開始だ。
――そう思っていたのに。
「ユフィーリア!! 君ってば、また無断で儀式場を使ったね!?」
突如として扉を開け放ち、部屋の主人に向かって文句を叫ぶ学院長が乗り込んでこなければ、平和なお茶会が開けたはずだった。
学院長――グローリア・イーストエンドは主犯に対する説教をしようとするが、長椅子にチョコンと腰掛けたショウの存在に気づくと、その色鮮やかな紫色の双眸を瞬かせてこう言った。
「あれ? 君、誰?」
まあ、そりゃそうか。
ショウは異世界人だし、今さっき召喚したばかりなので面識がなくても仕方がない。
ユフィーリアは、これから説明する面倒臭さと説教に頭を抱えるのだった。