第3話【君の色に染まりたい】
店長がこまめにつけていた日誌には、本日入荷予定の爪紅は女子生徒から熱望されたものだと判明した。
「まさか化粧品も置いてるとは」
「何でも揃う購買部だからなァ」
商品棚に多種多様の爪紅を並べ、お客様にも見やすいように爪紅の刻印の向きを全て揃える。赤や青などの基本色はもちろん、見る方向によって色を変える爪紅まで揃っている始末である。
入荷した爪紅は割と有名な商品で、学生のお財布には少し厳しいお値段が普通である。残念ながらここはヴァラール魔法学院の購買部なので、学生に厳しいお値段というものは通用しないが。
ユフィーリアは店長の日誌に視線を落とし、
「値段は600ルイゼだとよ。妥当か?」
「かなりお値段は安いわネ♪ 普通なら基本色だと800ルイゼから900ルイゼ、特殊な色だと1,200ルイゼはするわヨ♪」
「一律600ルイゼとは随分と張り切ったなァ」
値札を色とりどりのペンを用いて書くアイゼルネは、ユフィーリアに「はイ♪」と出来上がったばかりの値札を手渡す。
「なあ、アイゼ」
「何かしラ♪」
「何で臨時店長なんだ?」
出来上がったばかりの値札には『臨時店長のお勧め』とあった。
現在、この店の責任者はユフィーリアだ。多分、流れ的にそうなるだろう。
黒猫の店長が不在の今、店で1番偉いのは問題児筆頭でも一応主任の立場をいただくユフィーリアである。店長を名乗るのは理解できなくもないが、臨時店長お勧めと堂々と書かれると永遠にユフィーリアがお勧めしているように思えてくる。
アイゼルネは「うふフ♪」と楽しそうに笑い、
「お化粧品は女の子がお勧めした方がいいのヨ♪」
「アタシがずっとこの爪紅を推してるみたいになるだろ」
「いいじゃなイ♪ この際だからユーリも爪紅をつけてみたラ♪」
「万年手袋を外さないアタシが爪紅をつけたところで分かると思うか?」
氷の魔法を使いすぎたことによって冷感体質という冷気が身体に蓄積してしまう体質になったユフィーリアは、まず指先から凍りついてしまうのを防ぐ為に手袋を装着しているのだ。
常に手袋をしている影響で、爪紅などをつけても分からない。指先を露出すれば分かるだろうが、指先を露出する機会など永遠にない。
アイゼルネは「えー♪」と不満げに言うが、
「だったらアイゼがつければいいだろ」
「おねーさんとお揃いにしましょうヨ♪」
「何する気だ?」
「それはもウ♪ コッテコテに飾っちゃうワ♪ 宝石も散りばめちゃうワ♪」
「それはあれか? 爪が一種の武器になるような感じなのか? 手袋をさせない気か、お前?」
一部の娼婦や高級な酒場に行った時なんか、女主人や女性店員がギラギラと長い爪に宝石やら何やらを散りばめたお洒落をしていたか。あれはもう武器だろう。他人の眼球でも抉れば失明させられそうだ。
そんな長い爪になれば、手袋なんか出来ない。却下である、全力で却下である。
すると、来客を告げる鈴の音が店内に鳴り響く。
来客かと思えば、購買部に足を踏み入れたのは背の高い強面の男と琥珀色の双眸を爛々と輝かせた少年の2人組だった。
昼食を買いに行っていたエドワードとハルアが帰ってきたのである。彼らの手には人数分の白い箱が抱えられ、空腹感を誘ういい匂いが鼻孔をくすぐる。
「ただいまぁ。勝手にノーマンズダイナーって決めちゃったけどぉ、よかったぁ?」
「おう、お帰り。最近食ってなかったし、ちょうどいいだろ」
エドワードから昼食の箱を受け取り、ユフィーリアは蓋を開ける。
真っ白な箱に入っていたのは、巨大な麵麭に肉や野菜が挟まった料理である。真っ黒な麵麭に分厚い肉が4枚も挟まり、さらに真っ赤なトマトや新鮮なレタスなどの野菜が彩りを添える。
その大きさはユフィーリアの顔面にも匹敵し、常人であれば半分だけで根を上げてしまいそうなほどだ。よくもまあ小さな箱に収まったものである。何かの魔法を使ったとしか思えない。
同じく昼食を受け取り、箱の中に詰め込まれた巨大な麵麭と肉の山とご対面するショウは、その大きさに驚愕していた。
「……この世界にもハンバーガーがあることに驚いたが……その、大きさが……」
「え、これ『はんばーがー』って言うのか?」
「違うのか?」
「ミートサンドって名前で呼んでるけど。まあ『ハンバーガー』って名前の方が面白いな」
ぎゅうぎゅうにミートサンドが詰め込まれた箱を眺めるショウは、
「ノーマンズダイナーとは一体どこにある店なんだ?」
「ああ、地下にあるガッツリした肉料理系の店だな」
箱の隅に押し込まれた揚げた芋を口に運びながら、ユフィーリアは答える。
ノーマンズダイナーは、ヴァラール魔法学院に併設された4つレストランのうち地下にある店だ。
主に肉料理を提供する店であり、そのあまりの大きさと味の濃さから男子生徒に高い人気がある。料理の大きさも基本的に数人で1つの料理を分け合って食べた方がいいと言われるほどであり、中には大盛りの料理を1人で平らげてしまう猛者もいると囁かれる。
店が地下にある理由は、ノーマンズダイナーを経営しているのが土妖精だからだ。土の中を根城とする彼らは地上ではあまり活動することが出来ず、こうして地下に店を構える運びとなったのだ。
まあ地下とはいえ岩肌剥き出しの場所ではなく、ちゃんと明るい雰囲気のある店である。衛生環境もバッチリだ。
大口でミートサンドに齧り付くエドワードは、
「俺ちゃんねぇ、ここのお店が好きなんだよねぇ。お腹いっぱいになるしぃ、お肉大好きだしねぇ」
「それは獣人だからですか?」
「そうとも言うねぇ」
早くも巨大ミートサンドを半分ほど消費するエドワードを真似て、ショウもまた巨大なミートサンドを齧る。
あまりにも小さな一口なので、さすがに全ての部分を食べ切ることは出来なかったようだ。小さな歯形が1番上の麵麭に刻まれることになった。
少し悲しそうに麵麭だけを咀嚼するショウだが、真っ黒な麵麭は表面がカリカリしていて中身がふんわりしている。少し炭の味が楽しめる麵麭である。
「麵麭が美味しい」
「炭火焼きだからね!! 何か知らないけど、拘ってるみたいだよ!!」
そんなことを説明するハルアだが、彼は上の具から順番に口の中へ詰め込むという邪道な食べ方をしていた。いっぺんに齧り付かないとは、まさに邪道である。
とはいえ、食べ方はそれぞれだ。解体しながら食べようが、一気に口の中に詰め込んで喉を詰まらせようが自由である。咎めることはない。
その時、カランカラーンと来客を告げる鈴の音が店内に響き渡った。
「あのう、今日って爪紅が入荷する日だと思うんですけどぉ」
扉をほんの少しだけ開けて店内の様子を窺うのは、金髪碧眼の女子生徒である。
腰まで届く金髪は手入れを欠かさないのか、やけに艶がある。海の如き色鮮やかさと穏やかさを湛える青の双眸は不安げに店内を見渡し、愛らしい顔立ちは男性受けがしそうな気配がある。
恥ずかしがっているのか、警戒しているのか。少女は購買部に入る素振りを見せないでいる。モジモジと扉を半開きにした状態で店内の様子を窺い、やたら高い声で「あのぅ……」と誰かを呼びかけている。
「いらっしゃいませ。爪紅でしたらこちらです」
齧りかけのミートサンドを箱の中に戻し、身なりを手早く整えたショウが接客に向かう。真面目である。
女子生徒は安心した様子で店内に足を踏み入れ、ショウの案内に従って爪紅の売り場まで辿り着いた。
整然と並べられた爪紅の小瓶を前にして、少女は「わあ……」と青い瞳を輝かせる。爪紅を前に喜ぶ彼女の態度は、まさに年相応の少女のようだ。
「可愛い……」
「ごゆっくりお選びください」
「あ、あのぅ」
戻ろうとするショウの外套の裾を摘んだ少女が、上目遣いで小首を傾げる。男なら簡単に心臓を撃ち抜かれちゃう仕草である。
「はい」
しかし、ショウには通用しなかった。
愛らしい表情を維持したままの少女が果たして何を思ったのか不明だが、適当な手つきで並べられた爪紅の小瓶を取り出すと、ショウの眼前に掲げて再び小首を傾げる。
少女の手に握られた爪紅の瓶は基本色の紫と桃色である。もう少し可愛い色を選べばよかったのに。
「わたし、爪紅を選ぶの初めてなんですぅ。だから、一緒に似合う色を選んでほしくてぇ」
媚びっ媚びの甘い声で、ショウに爪紅を一緒に選ぶよう要求する少女。
全ての流れを傍観していたユフィーリアは、極小の舌打ちをした。
あの少女、ショウを狙っている様子である。確かにショウの顔立ちは整った方であり、立ち振る舞いも落ち着きがあって異性からの人気は高いだろう。将来も有望だ。狙いたくなる気持ちも分からんでもない。
ただ、何かこうムカつく。「お前のようなアバズレにショウ坊は似合わねえんだよボケェ!!」と言いたくなる。
「そうですか」
ショウは淡々とした口調で応じると、
「貴女の好きな色を選べばいいと思います」
「え、あのぅ」
「化粧品の知識に疎いので、責任は負いかねます」
少し冷たい態度で突き放された少女は、それ以上に何も言えなくなって「そ、そうですか」とだけ絞り出した。
可哀想とは思わない。むしろ全力で「ざまあみろ」と叫びたかった。ちょっとだけ喉から出かけたのは秘密だ。
すると、ショウはじっと爪紅が並べられた棚を見つめる。
少女が期待するような素振りを見せるが、残念ながらその思惑は外れることとなる。
商品棚に整列する爪紅の瓶を手に取って眺め、棚に戻しては再び手に取ってを繰り返す。吟味するかのように真剣な眼差しで爪紅の小瓶と向き合う彼は、数え切れないほどある爪紅の中から数種類の小瓶を選び抜いた。
「何してんだ、ショウ坊」
「ユフィーリアに似合う爪紅を探している」
会計台に爪紅の小瓶を丁寧に並べて、ショウは言う。
「ユフィーリアは指も長いし細いから、きっと爪紅がよく似合うと思うのだが……」
そう言ってから、ショウはユフィーリアの手へ視線をやった。
ユフィーリアの手は真っ黒な長手袋で覆われている。
たとえ爪紅を塗ったところで手袋を脱がない限りは分からないだろうし、ならば爪紅などつけない方がマシだ。手袋をしている以上は爪紅など意味のないお洒落である。
そのことに気づいたショウは、そっと会計台に置いた爪紅の小瓶を片し始めた。
「戻してくる……」
「ショウ坊」
商品棚に戻ろうとするショウを呼び止め、ユフィーリアは彼が抱える爪紅を指差す。
「その中で、お前がアタシにつけてほしい色はあるか?」
「え……」
「選べよ。1つだけな」
ショウは少し逡巡すると、自分が持ってきた爪紅の中から「これを……」と選び取る。
小瓶の中に揺れる爪紅は暗めの青だった。深海を想起させるそれは、見る方向によって色鮮やかな青と夜の闇に変化し、少年の選択にしてはなかなかいい代物である。
ユフィーリアはショウの手からその爪紅を引ったくると、
「ふぅん、いい色じゃねえか」
二の腕まで覆う真っ黒な長手袋を脱ぎ、爪紅の蓋を開ける。
小瓶から抜き取られた小さな筆を、手袋を脱いだ右手に翳して息を吹きかける。キラキラと青色の粒子が飛び散ると同時に、ユフィーリアの何も塗られていない爪の上に青の粒子が降りかかった。
手入れだけが施された無色の爪に、深海の色が載る。見え方を変えれば色鮮やかな青や夜の闇を想起させる黒に変化し、白魚のような指先も相まって万人を魅了する。
「どうよ? お前が選んだ色」
ユフィーリアは深海の色が載せられた右手の指先を掲げ、ショウに指先を見せつける。
「……ああ、よく似合ってる」
ショウの口から望む回答が得られたので、ユフィーリアは満足げに頷いた。
ちなみに完全な放置を食らったあの女子生徒は、いつのまにか姿を消していた。
ユフィーリアが使用した爪紅以外は残されたままだったので、おそらく購入しなかったのだろう。爪紅の入荷を心待ちにしていたのであれば購入すればよかったのに、実にもったいない。
まあユフィーリアとショウの見せつけるような無自覚な行動が原因なのだが、本人たちには与り知らぬことである。




