第5話【肉食人花】
ハルに腕を引かれて遠ざかっていく可愛い新人の背中を見送り、ユフィーリアはつまらなさそうに唇を尖らせた。
ユフィーリアは自他共に認める酒豪である。
どれだけ酒を飲んでも酔わず、今も酔ったという感覚はない。意識もハッキリしているので水を飲んで酔いを覚ます必要もないのだ。
それなのに、ショウは「酔っているから水を飲んだ方がいい」と言う。自覚症状はないのだが、本当に酔っているのだろうか。
「振られたのう」
どこかしょんぼりとした様子で朱塗の盃を傾けるユフィーリアに、大きめの盃に注がれた清酒をグビグビと呷る八雲夕凪が言う。
「可哀想にのう、ゆり殿が振られてしまったのじゃ」
「振られてねえし」
ヤケ酒だとばかりに朱塗の盃へ注がれた清酒を一気に飲み干すユフィーリアは、赤ら顔を揺らす白狐を睨みつける。
「アタシの可愛い部下だよ。振られるもクソもねえだろ」
「いいや、あれは振られたのじゃ。儂には分かる」
「何を根拠に言ってやがる」
「だってのう」
ニンマリと楽しそうに笑う八雲夕凪は、
「『お前の目は綺麗だ』『お前の目が好きだ』と告げて、その答えが『水を飲んで酔いを覚ました方がいい』ときた。これはもう完全に脈がないのと同意義ではないじゃろうか?」
「――――うるせえッ」
空っぽとなった朱塗の盃を乱暴に置き、ユフィーリアは側に転がっていた雪の結晶が刻まれた煙管を掴む。
ほぼ反射的に発動させた氷の魔法は、氷柱の形となって赤ら顔の白狐へ牙を剥く。詠唱も何もなしに煙管を一振りしただけで魔法を発動させる手腕は、さすが魔法の天才と言えようか。
だが、相手もユフィーリアと同程度の魔法の腕前を持った魔法使いである。東国では豊穣神として奉られる身で、魔法の技術も魔力量も一般の魔法使いと比べて飛び抜けている。
酔っ払っていても魔法の腕前は健在で、ユフィーリアの氷の魔法は「おおっとぉ」と危なげなく発動された防衛魔法によって阻まれてしまった。
「失恋の八つ当たりは止すのじゃ。儂に当たられても何も出来んぞい」
「全ての記憶をなくすぐらいは出来るだろ」
「頭を重点的に殴るつもりか、お主ッ!?」
連続で3度ほど無詠唱による氷魔法で記憶の消却を目論んだが、八雲夕凪は「止めるのじゃ」と防衛魔法で防いでしまう。これでは魔力の無駄だ。
八雲夕凪の記憶を削除するのは諦め、ユフィーリアは憮然とした表情で近くに転がっていた酒瓶から清酒を盃に注ぐ。
残り僅かとなった清酒がユフィーリアの持つ朱塗の盃に全て収まり、それを苛立ちを誤魔化すようにグイッと飲み下した。これで酔っ払って眠りでもすれば1番いいのだろうが、ぐーすかと眠りこけることが出来るほどユフィーリアは酒に弱くない。強すぎて困る日が訪れるなど初めてだ。
美人に似つかわしくないブスッとした表情で盃を傾けるユフィーリアに、八雲夕凪は苦笑しながら言う。
「お主も変わったのう」
「何がだよ」
「1000年前のお主だったら考えられんわい、今の生活など」
ジロリと八雲夕凪を睨みつければ、長い時を生きる白狐の薄紅色の眼差しには優しい光が宿っていた。
「学院長とはまた別方向の魔法馬鹿でのう。数え切れんぐらいの魔導書に囲まれて日がな一日読書しかせず、全くと言っていいほど笑わんかったお主がよぅく笑うようになったのじゃ。それどころか、他人さえ寄り付かせなかったお主の周りがこんなに賑やかになったのじゃ」
八雲夕凪は盃を片手にしたままベロベロに酔っ払っているエドワードとアイゼルネを一瞥すると、
「一体、どういう風の吹き回しかのう」
「1000年も経てば、魔女や魔法使いだって心変わりぐらいするんだよ」
雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、ユフィーリアは清涼感のある匂いの煙を弄ぶ。
「魔導書を読んで過ごすよりも、面白おかしく悪戯でもしていた方がいいって気づいたからな」
「まあ、お主が言うのであればそういうことにしておこうかのう」
自分の盃に追加の清酒を注ぎながら、八雲夕凪は笑いながら言う。
全く、この狐も食えない奴である。何を考えているのかまるで分からない。学院長よりも腹の中身は黒いかもしれない。
まあ今は何の被害もないので特に言うことはないが、これで余計なことを言ってくるのであれば本気で記憶の消却を実行しようと思う。
――平和な花宴の席に相応しくない悲鳴が聞こえたのは、そんな時だ。
「ひッ、うわああああああああああああッ!?」
弾かれたように顔を上げるユフィーリア。
へべれけ状態のエドワードとアイゼルネは反応しなかったが、盃に注がれた清酒を呷る八雲夕凪も「何じゃ?」と悲鳴に眉根を寄せる。
この声は聞き覚えのあるものだ。大切な部下で、可愛い新人の声。。
「ショウ坊ッ!!」
「ゆり殿!? どこ行くんじゃい!!」
それまでしこたま酒を飲んだとは思えない俊敏さで立ち上がると、ユフィーリアは雪桜の咲く温室から飛び出すのだった。
どこに行く? もちろん決まっているだろう。
こんな悲鳴を上げるほど窮地に立たされた、可愛い部下の元だ。
☆
硝子製の扉を蹴破らん勢いで開き、植物園に転がり込んだユフィーリアが見た光景は衝撃的なものだった。
「――――」
呼吸が止まるかと思った。
綺麗な花が咲く花壇や数え切れないほどの実をつけた樹木、飛んでくる虫を誘導して食らう肉食系の魔法植物などが存在する中、それは視界の中心にあって他とは比べ物にならないほどの異様性を発していた。
見上げるほど巨大な花であり、綺麗に舗装された小道を踏みしめる両足は2つに分かれた根っこ。太い茎から両腕を示す2本の触手が生え、ぶらぶらと揺らされている。
頭に相当する花の部分は、鬣の如く赤い花弁が配置され、その中心には分厚い唇のような部位が存在感を主張していた。唇から覗くのは人間のものらしき歯、さらに口の端から粘着性の高い涎が垂れ落ちる。
垂れた涎が舗装された小道に落ちると、じゅうという嫌な音と同時に小道を構成する石畳を溶かした。触れただけでまずいと分かる代物だ。
「肉食人花……ッ!?」
この辺りでは見かけない種類の魔法植物である。
その名の通り、人間や動物の肉を主食とし、普段は南側の密林に生息する希少な魔法植物だ。
元より個体数が少なく、密林でも見つけることが発見される回数は少ない。人間の肉を食べるということで一般人はおろか、魔女や魔法使いだって肉食人花には近づかない。悍ましい見た目に合致した凶暴性を持つ植物である。
いいや、呑気に解説を垂れている場合ではない。
問題なのは肉食人花の触手に捕まった人間である。
容赦なく上下左右に振り回されるのは2人の少年。
片方は毬栗を思わせる赤茶色の短髪をした、黒いつなぎ姿の少年。もう片方は長い黒髪と赤い瞳で、東国の和装を魔改造した礼装姿の少年である。
水を取りに行く、と言って温室から出て行ったショウとハルアである。
「この雑草野郎が、ウチの可愛い部下たちに何しやがる!!」
雪の結晶が刻まれた煙管を握り直したユフィーリアは、怒りに身を任せて魔法を発動させる。
「〈絶氷の刃〉!!」
煙管を一振りすると、氷の刃が生み出されてショウの足に絡み付いた触手を断ち切る。
「わあッ!?」
「おおぅッ!?」
唐突に空中へ放り出されたことにより、2人揃って短い悲鳴を漏らす。
すかさずユフィーリアはショウとハルアに浮遊魔法をかけ、安全に地面へ下ろした。
ぽすんと無事に地面へ下ろされた2人は、目を白黒させていた。何が起きたのかまだ状況が掴めていないらしい。
見た限りだと怪我はないようだが、あれだけ上下左右に振り回されていたのだ。あとで状態の確認だけでもしておいた方がいいだろう。
「――GYA、GYA」
肉食人花の中心に埋め込まれた唇がモゴモゴと動いたかと思えば、その場にいる人間の鼓膜を破らん勢いの咆哮が轟く。
「――GYAAAAAAAAAAAAAA!!」
「うるせえ雑草だな」
触手を切断されたことで「何をするんだ」とばかりに叫ぶ肉食人花を睨みつけ、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を突きつける。
「躾のなってねえ雑草野郎には冷たい罰を食らわせてやるよ」
ヒュオ、と漂う真冬にも似た冷たい空気。
異変を感じ取った肉食人花が周囲を見渡し、耳障りな声で訴えてくる。「これは一体何だ」と言わんばかりに騒ぐが、問答無用だ。
肉食人花は南側に生息する魔法植物なので、寒さが最大の弱点である。どれほど湿気が多くても、どれほど暑くても、逆に肉食人花はいきいきと動けるのだが、冬の寒さだけは耐えられないのだ。
そしてユフィーリアは氷の魔法を得意とする。これが何を意味するのか簡単だ。
「〈凍結〉!!」
煙管を一振りして魔法を発動。
肉食人花は悲鳴も断末魔も上げることを許されず、あっという間に巨大な花の氷像と化した。空中に伸ばされた触手は助けを求める腕のようであり、花の中心に埋め込まれた唇は引き攣っている。
寒さを苦手とする肉食人花に、氷の魔法は鬼門である。冬になれば冬眠状態となって動かなくなるし、凍りつかせれば死んでしまう。
もちろん故意だ。大切な部下を乱暴に扱った罰である。
「ショウ坊、ハル。怪我はねえか?」
「ユフィーリア……!!」
「ユーリ!!」
地面に座り込むショウとハルアに駆け寄り、ユフィーリアは怪我の有無を確認する。
見える範囲に怪我はなく、肉食人花の触手に掴まれていたショウの足も礼装に汚れがついただけで済んだ。これで骨折でもしていたなら、氷像と化した肉食人花を粉々に砕いていたかもしれない。
無傷ということが判明し、ユフィーリアは「はあああぁ……」と脱力した。
肉食人花に足を掴まれて上下左右に振り回されている瞬間を目撃した時、サッと血の気が引いた。
もし肉食人花が2人を地面に叩きつけていたら、と思うと怖くなる。生きた心地がしない。
「えと、ユフィーリア……」
「ユーリ……」
ショウとハルアは何か言いたげに口を開くが、それを遮るかのように「何じゃいこれは!!」という絶叫が鼓膜を揺らした。
不気味な氷像と化した肉食人花を見上げる八雲夕凪が、あんぐりと口を開けていた。腰から生えた9本の尻尾は揃ってだらりと垂れ落ち、薄紅色の双眸が皿の如く見開かれている。
南側の密林にしか生息しない希少な魔法植物が、氷に包まれて死を迎えたのだ。絶望しない訳がない。
「ゆり殿……? これはゆり殿が?」
「ウチの可愛い部下たちが乱暴な扱いを受けてたんだぞ。粉々にしないだけありがたいと思え」
「そうかぁ……そうかぁ……」
八雲夕凪はため息を吐くと、
「ゆり殿、儂はとりあえず報告書を作るぞい。希少な魔法植物で、学院に1株しかおらんのじゃ。授業の資料にも使う貴重な植物を殺されては堪らんからのう」
「え、ちょ、待てよ。学院長は冥府の特別労働者として働いてて、それなら……」
「報告するのは副学院長じゃな」
八雲夕凪の無情な一言で、ユフィーリアはサァと顔を青褪めさせる。
学院長のグローリアであれば適当に謝罪して誤魔化せるのだが、副学院長のスカイは本当にまずい。説教はそうでもないけど、罰がまずい。
過去に1度だけ副学院長のスカイに怒られたことはあるが、説教よりもそのあとに待ち受ける罰則が嫌だ。2度と経験したくない罰則だ。
「や、八雲の爺さん……?」
「何じゃ、ゆり殿」
「見逃してくれたりは……?」
「儂はこれでも植物園の管理人じゃからのう。ダメじゃ」
ちくしょう、というユフィーリアの心からの本音が叫びとなって植物園に木霊した。




