第4話【花見を邪魔するモノ】
人生で初めて経験する花宴は、非常に賑やかなものと化した。
雪が降り注ぐかの如く真っ白な花弁が舞い散る温室で、立派な桜の木の下で花見のような酒宴が執り行われる。
赤い絨毯が広げられ、その上には見慣れた用務員の先輩方と純白の狐が酒杯を酌み交わしている。特に先輩のエドワード・ヴォルスラムは何故か狐様と気が合うのか、互いに赤ら顔で肩を組んで笑っていた。何が起きたのか。
賑やかを通り越して騒がしさのある花宴の様子を眺めるショウは、ふと隣に視線をやる。
「どうした、ショウ坊?」
朱塗の盃に注がれた清酒を傾け、ほんのりと頬を桜色に染めた銀髪碧眼の魔女が不思議そうに首を傾げる。
透き通るような銀髪が綺麗な桜によく映え、宝石と見紛う色鮮やかな青い色の双眸がショウを真っ直ぐに射抜く。肩だけ剥き出しとなった特殊な黒装束が酒精によって赤らんだ肌を際立たせ、少しだけ艶っぽさを感じる。
ほろ酔い気分だからか、それ以外か。「ショウ坊」と呼ぶ声は妙に優しく端々に凄艶さが孕む。小首を傾げる仕草もどこか色気があり、こんな屋外でお目にかかるべきなのかと混乱する。
ショウは少しだけ視線を逸らすと、
「何でもない」
「そっかァ」
朱塗の盃に注がれた清酒をグイッと呷った銀髪の魔女――ユフィーリアは、近くに置かれた酒瓶を手に取る。
この酒瓶は、八雲夕凪という花宴の中心で馬鹿みたいに飲んで騒ぐ白い狐から提供されたものだ。「花宴に参加したい」という彼に条件として飲み物などを頼んだら、この世界では上等な清酒と綺麗に作られたお茶菓子が用意された。
漆塗りの器にチョコンと乗せられた桜の形を象るお茶菓子を竹串で切り分け、その欠片を口に運ぶ。黄緑色の餡が切り分けられた部分から顔を覗かせ、上品な甘さとモチモチとした食感が舌の上に広がる。
桜の下で食べるお茶菓子がこれほど美味しいとは想定外だ。会話に参加できていないが、こうして見ているだけでも楽しい。
「ショウ坊」
「何だ、ユフィーリア?」
「花宴は楽しいか?」
「ああ」
清酒をチビチビと飲むユフィーリアに問われ、ショウはしっかりと首肯で返した。
「とても楽しい。これほど楽しい催しは初めてだ」
「そうか、そうか」
黒い長手袋で覆われた指先を伸ばし、ユフィーリアはショウの頬をくすぐってくる。
「これからは、もっといっぱい楽しいことをしようなァ」
「……例えば、どんな?」
「んー?」
くぴり、と清酒を舐めるユフィーリアは「そうだなァ」と思案する。
「収穫祭に聖夜祭、年越しなんかも全員で馬鹿みたいに騒いでよ。それでグローリアに怒られて、適当に誤魔化して……あとは旅行なんかもいいな。夏休みは比較的長めに取れるだろうから、どっか遠くに出掛けて目一杯遊んで……」
それから、彼女はいつものようにニヤリと笑った。
「面白そうだろ、そういうの」
「そうだな」
季節ごとの催しを語るユフィーリアにショウも笑いかけ、
「貴女と一緒なら、きっと楽しいだろうな」
「何言ってんだ。全ての楽しいことは、面白いことに心血を注ぐこのアタシがいないと始まらねえだろ」
「それもそうだ」
元の世界では絶対に経験できなかった催しだ。
収穫祭も、聖夜祭も、年越しも、叔父夫婦は何もしなかったしさせてくれなかった。ただいつも楽しそうにしている同年代の子供たちを、ショウは羨ましそうに眺めているだけだった。
叔母を怒らせて外に追い出された時、たまたまその日は聖夜祭で、目の前を大きなプレゼントを抱えた子供が両親と手を繋いでいる光景を見たことがある。
寒くて仕方がなかったが、それ以上にあの子供がひどく羨ましかった。あれほど幸せそうな家族の姿を、ショウは見たことがない。
きっと元の世界では今後も経験できず大人になり、血反吐を吐くような労働の日々を送ることになるのだろう。いいや、それより先に叔父か叔母の手によって殺されるのではないだろうか。実際に何度も命の危険に晒されたことがある。
だから、異世界に召喚されてから送る日々は幸せ以外の何物でもない。
少しばかり複雑な事情はあったが、今はとても幸せだ。
「ユフィーリア」
ほろ酔い気分の魔女へ向き直り、ショウは言う。
「俺は、今が1番幸せだ」
この感謝の気持ちを言葉にするには足りないぐらいだが、それでも伝えずにはいられなかった。
「ありがとう」
そう言って、ショウは微笑んだ。
朱塗の盃を傾けていたユフィーリアは、驚いたように青い瞳を見開く。それから盃に残っていた清酒を一気に飲み干して、ショウに近寄ってくる。
ほんのりと赤らんだ頬と宝石にも似た青い双眸、神々が作り出した彫像の如き美貌が間近に迫る。思わず背筋を仰け反らせると、ユフィーリアが後頭部を押さえ付けて「動くな」と言った。
真剣な眼差しでショウの赤く染まったままの瞳を見つめるユフィーリアは、
「炎だ」
「え?」
「お前の目、炎が揺らいでる」
パッと後頭部を解放したユフィーリアは、
「神造兵器の使い手に選ばれて目が赤いままになっちまったけど、変色魔力反応がこういう形で出るなんてな。初めて見た」
「そうなのか……? 俺には何も見えないのだが」
「お、ならアタシが1番乗りか」
満足げに微笑んだユフィーリアは、朱塗の盃に清酒を注ぎながら言う。
「ただ赤いだけってのも好きなんだけど、そこに炎が加わるとより一層綺麗になるよな」
「え」
「アタシは好きだぜ、お前の目。変色魔力反応で黒から赤に染まるってのもオツなものだったけど、炎が揺らぐ変色魔力反応も綺麗だ」
にへら、と彫刻の如き美貌が緩み、ユフィーリアの指先がショウの頬を撫でる。冷たい指先がショウの火照った頬を冷まし、少しだけ落ち着きを取り戻す。
そうだ、今は花宴の真っ最中だ。
エドワードやアイゼルネ、八雲夕凪は清酒を浴びるほど飲んで酔っ払っている。ユフィーリアもそれなりの量を飲んでいるので、酔っ払って変なことを口走るのは確実だ。
多分、今の言葉も酒精が抜ければ「覚えてねえ」と言うのだろう。
「ユフィーリア、酔っているなら水を飲んだ方がいいぞ」
「何でだよ、まだそこまで酔ってねえよ」
「酔った時の発言をそのままにしておくと、あとで痛い目を見るぞ」
「え? 何が?」
「――――だから」
好きだぜ、という言葉を本気にしてしまうではないか。
小心者のショウは、そう言えなかった。
ユフィーリアの『好き』は家族愛的なアレであり、身内に向けるような純粋な愛情だ。母親が我が子に注ぐ無償の愛情で、きっとショウの思うような感情ではない。
酔っ払って口から滑り出てしまった言葉で、一時的な間違いだ。酒精が抜ければきっと正気を取り戻してくれるはず。
ショウはすっくと立ち上がると、
「ハルさん」
「なぁに、ショウちゃん!!」
広げられた弁当から肉料理と卵料理のみを狙って肉叉で襲撃していたハルアが、ショウに呼ばれて反応する。
「冷たい飲み物を取りに行こう。エドワードさんも、アイゼルネさんも、みんな酔っているみたいだ」
「うん!!」
「何だよ、じゃあアタシも」
「ユフィーリアは待っていてくれ」
下駄と長靴が一体化したような靴を履きながら、ショウは銀髪の魔女へ振り返って微笑む。
「酒を大量に飲んでいるだろう。転んだら危ないし、酔いを覚ました方がいい。ハルさんがついてるから大丈夫だ」
「任せてユーリ!! ショウちゃんはオレが守るから!!」
親指をグッと立てて応じるハルアに腕を引かれ、ショウは雪桜が咲き誇る温室から立ち去った。
☆
背後から聞こえる賑やかな宴会の声も、硝子の扉を閉じればすぐに聞こえなくなってしまう。この硝子は防音の効果もあるようだ。
ようやく解放された。
あのまま、花宴の席にいれば確実に心臓が持たなかった。どうにかなってしまうかと思った。
「ショウちゃん、大丈夫?」
「ハルさん……」
水を取りに行く、という口実に巻き込んでしまった優しい先輩は、ショウを心配そうに見上げていた。
「お酒の席とか苦手?」
「いいや、そうでもない」
叔父夫婦は共に酒を嗜む程度だったが、酔った拍子に殴りかかるような真似はしなかった。彼らが酒を飲み始めると笑い声でうるさいので、ショウは専ら自室に閉じこもって耳を塞いでいた。
たまに叔父夫婦に「酌をしろ」と引き摺られたが、暴力はあまりなかった。話に耳を傾けて、適度な相槌を打てば、それだけで叔父からの暴力も叔母からの小言も解放されたから。
でも、あの空間は無理だ。幸せすぎてどうにかなってしまいそう、という意味合いで。
「ハルさん」
「どしたの?」
「俺の顔、変になっていないだろうか」
幸せすぎて、ユフィーリアからの言葉が嬉しくて、頬が自然と緩んでしまっている。こんなだらしのない表情を彼女の前では見せたくない。
懸命にムニムニと自分の頬を揉み込んで元の状態に戻そうとするショウの手を、ハルアが「ダメだよ」と押さえる。
蜂蜜を想起させる琥珀色の双眸が真っ直ぐにショウを射抜き、それからすぐに快活な笑みを見せた。
「ショウちゃん、今すっごい可愛いよ!!」
「かわ……」
「その顔ね、ユーリに見せたら鼻血でも噴くんじゃないかな!!」
「それは止めてほしいな」
「うん、だから言わない!!」
ハルアは「内緒ね」と人差し指を自分の唇に添え、
「ユーリだけしか見れない顔があるなら、オレにしか見れない顔があってもいいよね!!」
「ハルさんは優しいな」
「そうかな!!」
「そうだぞ。出会った時からいつも優しいし、助けられている」
素直な気持ちを伝えれば、ハルアは「えへへ」とはにかんだ。頼れる先輩でも照れる場面はあるのだ。
「行こう、ハルさん。水を取りに行って、酔っ払いたちの目を覚まさせよう」
「そうだね!! 行こうか!!」
ハルアに手を引かれ、ショウは植物園の出口に向かう。
その時、ドシンドシンと重々しい足音が聞こえてきた。
怪獣を彷彿とさせる足音は、背後から徐々に近づいてくる。ショウもハルアも植物園内の異常な空気を察知して、ピタリと足を止めた。
これは振り返るべきか、振り返らないべきか。果たしてどの判断が正しいのだろうか。
「ハルさん……」
「ショウちゃん、多分これ振り向いちゃダメなんだと思う」
ショウの手を強く握るハルアは、
「ショウちゃん、逃げよう!!」
「ッ、ああ」
グイ、と腕を引っ張られたショウは前につんのめりながらも走り出す。
しかし、出来なかった。
足に蔦のようなものが絡みつき、唐突に宙吊りの状態にされてしまった。さすがに相手の力には敵わず、ハルアと一緒に吊り上げられてしまう。
そこでショウとハルアが見たものは――――。
「ひッ、うわああああああああああああッ!?」
ショウの口から悲鳴が迸った。




