第2話【ひとりぼっち】
真っ暗闇から意識が引き上げられ、ショウはようやく目を覚ます。
「ん……」
霞んだ視界が真っ先に捉えたものは見知らぬ天井。隅々まで清掃が行き届いた照明器具が煌々と明かりを落とし、清潔感というより無機質な印象が先行する。
鼻孔を掠めるのは消毒液めいた薬品の臭い。寝かされているベッドの感触は硬く、枕や敷布にまで薬液の臭いが染み込んでいるようだった。
明らかに用務員室の気配ではない。かといって、記憶が途切れる以前にある魔導書図書館の風景でもない。
まるで病室か医務室のようなそこは、ショウの記憶にない部屋だった。
「ここは……」
「学院の医務室ッスよ」
聞き覚えのある青年の声が、ショウの疑問を呆気なく解消した。
視線だけを声の方向に動かすと、ベッドの脇に影のようなものが佇んでいた。
よく目を凝らすと、もじゃもじゃとした赤い髪を持つ不気味な青年だった。首から下を覆い隠す真っ黒な長衣は不吉な印象しかなく、目元を完全に布で覆った状態なのにも関わらず何故か視線が合っているような気がしてならない。
まるでおとぎ話に出てくる悪役の魔女を想起させる格好の彼は、このヴァラール魔法学院の副学院長だった。
「えと……副学院長ですか?」
「ああ、そういえばちゃんと名乗ってなかったッスね。ボクはスカイ・エルクラシス、副学院長の責務を負わされたしがない魔法使いッス」
「俺から見れば全然しがなくないと言いますか……」
副学院長――スカイ・エルクラシスは、意識を覚醒させたショウに対していくつかの質問を投げてくる。
「体調はどうッスか?」
「体調……」
ショウはベッドから起き上がろうとするが、不思議と起き上がることが出来ない。
身体がベッドに縫い付けられているのかと思いきや、これも違う。ただ寝ていただけなのに、酷い倦怠感が身体に纏わり付いている。身体を起き上がらせることはおろか、指一本持ち上げることさえ億劫になるほどだ。
かろうじて喋ることは出来るので、ショウは現在の自分の体調を伝える。
「あの……倦怠感というか、身体の怠さが酷いです」
「痛む箇所は?」
「それはありません」
「お腹は空いてる?」
「まあ……空いてると言えば空いてますが……」
「中度の魔力欠乏症ッスかね。もっとも、重症化の一歩手前ってところッスけど」
「魔力欠乏症……」
魔導書図書館でもユフィーリアが言っていたが、これが魔力欠乏症の感覚かとショウは驚く。魔法を使いすぎるとこれほど疲れ切ってしまうものなのか。
有酸素運動をどれほど続ければ、同じように疲れることが出来るだろうか。おそらく限界ギリギリまで運動したとしても、ここまで疲れることほないだろう。風邪か、それに類する何かと同等かもしれない。
スカイは「まあ、魔力欠乏症なら食って寝りゃ回復するんで」と言い、
「はい、これ」
「…………?」
「アンタのご飯ッスよ。ここは病院じゃねえんで、病人食なんて出てこないッスよ」
スカイが差し出してきたのは、真っ白な器だった。器には蓋がされていて、中身が零れないような設計になっている。
酷い倦怠感に支配された身体へ鞭を打ち、ショウは何とか上体だけを起こすことに成功する。すぐにまたベッドへ倒れ込みたい衝動に駆られるが、せめて食事だけは済ませておきたかった。
スカイから真っ白な容器を受け取り、紙に包まれた匙も一緒に受け取る。容器から伝わってくる温度は低く、中身の料理はもう冷めてしまっているようだった。
蓋を開けると、白くてドロドロした粥のような料理が入っていた。上には白胡麻が振りかけられ、消化が良さそうな食べ物である。確か『龍国粥』と呼ばれる代物だったか。
「お気遣いいただき、すみません」
「いえいえ。用務員の問題さはボクも気に入ってるんで、ヒッヒ」
引き攣った笑い声を漏らすスカイにどこか不気味さは感じるものの、基本的にいい人なんだなとは思う。こうして気にかけてくれるのも優しさの証拠だ。
ショウは匙を包む紙を取り払い、龍国粥を掬う。
匙で掬った龍国粥を口に運べば、ほんのりと優しい塩気が舌の上に広がった。本来であれば温かいものを食べるべきなのだろうが、冷めた龍国粥も不思議なことに美味しかった。
ゆっくりと咀嚼して龍国粥を味わうショウに、スカイは言う。
「ショウ君」
「はい」
「それを食い終わったら、学院長室に出頭してもらえないッスかね」
「学院長室にですか?」
ショウは首を傾げる。
「俺は何かやってしまいましたか?」
「……記憶にない感じッスか?」
「はい」
医務室へ運び込まれる直前の記憶が、すっぽりと抜け落ちているのだ、覚えているのは魔導書図書館で重要な魔導書が保管されている、と言われている『物語の世界樹』で本をしまう作業をしていた部分までだ。
いざ『物語の世界樹』を出ようとした時から記憶が朧げで、何があったのかも覚えていない。もし何か罪を犯してしまったのであれば、ショウには言い訳できる要素を持ち合わせていない。
学院長室に出頭を命じられる理由に対して、ショウは怯えと警戒心が綯い交ぜになった声で副学院長の青年に問いかける。
「あの……やっぱりお説教、ですか?」
「どうッスかね、そこまでは知らないッス。ボクも呼ぶように言われただけなんで」
スカイはそう言って、小さな椅子から立ち上がる。
彼が魔法で引き寄せてきたのは車椅子だ。この魔法が主流となった世界にも車椅子があるとは驚きである。
キィキィと車輪を軋ませて車椅子を魔法で引き摺ってきた彼は、畳まれていた車椅子をショウが乗れるように調整しながら言う。
「魔力欠乏症のせいで動けないッスからね。学院長もさすがに魔力欠乏症の患者を立たせて説教させるほど、鬼畜な魔法使いじゃないッスから」
☆
「やあ、ショウ君。魔力欠乏症のところ悪いんだけど、よく来てくれたね」
「はあ……」
スカイ・エルクラシスが魔法で引っ張る車椅子に乗せられて学院長室にやってきたショウを、部屋の主人である青年――グローリア・イーストエンドは快く出迎える。
相変わらず、この学院長室は広々としている。上等な調度品や家具は置かれているものの、執務室というだけあって生活感はまるでない。用務員室の雑多な風景と見比べると、たった一人で利用するにはあまりにも広すぎる。
その広い学院長室に、やたら大きな棺が四つほど並んでいた。記憶にある学院長室の光景にこのような調度品はなかったはずだが、随分と趣味の悪いものを置く学院長である。
副学院長に引き摺られる車椅子に腰掛けたショウは、
「それで、用件は一体何ですか?」
「まあまあ、来たばかりで用件を話すのもあれだしね。紅茶でもどう?」
グローリアは朗らかな笑みを見せると、ツイと指先を指揮者のように振るう。
その簡単な動作だけで魔法が発動し、学院長室の隅に置かれていた戸棚から綺麗なカップが人数分だけ運び出される。
学院長の執務机にカップが並べられ、薬缶には茶葉と水が投入される。魔法で温度を操作したのだろう、水はあっという間にお湯へと変化した。
魔法とは便利なもので、身体を動かす必要すらなく紅茶を淹れられるとは凄い。ユフィーリアも魔法の天才だが、彼も十分に魔法が使えるのではないだろうか。
「はい、どうぞ」
「…………」
目の前にカップを差し出され、ショウは気怠い手でそれを掴む。
紅茶に何か混ざっているのかと警戒したが、学院長や副学院長も同じものを平然と飲み始めたので、毒の類は混ざっていないようだ。もっとも、演技という可能性も否定できないが。
ショウはそっと紅茶のカップに口をつけ、火傷をしないように注意をしながら飲む。
「どうかな?」
「……どう、とは」
「紅茶の味だよ。僕、紅茶を淹れるのはちょっと自信があってね。毎日色んな紅茶を飲んで研究しているのさ」
「はあ……」
ショウは飴色の液体に視線を落とすと、
「普通ですね」
「普通?」
「はい。ユフィーリアやアイゼルネさんが淹れてくれた紅茶の方が美味しいです」
「ええー」
グローリアはしょんぼりと肩を落とし、
「あの二人に比べられると勝てないなぁ。ユフィーリアもアイゼルネちゃんも、紅茶に詳しいもんなぁ……」
「話し相手がご所望でしたら、俺以外の人間を呼んだらいいのでは?」
学院長室に出頭してほしい、と言われたので警戒していたが、ただのお茶会であれば付き合う必要はない。
魔力欠乏症が重症化する一歩手前にいるショウを車椅子に乗せて引き摺ってきた挙句、用事はただの雑談ならば付き合いたくはない。学院長は苦手な人種なのだ。可能ならば、一人で会話に付き合いたくない。
グローリアは不満げに唇を尖らせ、
「酷いなぁ。僕は君とお喋りがしたいのに」
「体調不良の人間を雑談に付き合わせる頭の中身を疑いますが」
「君も言うようになったね。最初の頃はビクビクしてて可愛かったのに」
「貴方に可愛げ云々を言われても嬉しくありません」
この場にユフィーリアや他の先輩用務員たちがいようがいまいが、ショウは言おうと思ったら言う性質の人間である。きっとあの銀髪の魔女がいれば、腹を抱えて笑い転げていることだろう。
やれやれと肩を竦めたグローリアは、
「実はね、魔導書図書館の『物語の世界樹』が火事に遭ったんだ」
「火事に……?」
眉根を寄せるショウに構わず、グローリアは呑気に紅茶を飲みながら話を続ける。
「火事の原因は、君の魔力暴走によって引き起こされたものと推測されている。君って今、魔力欠乏症の状態なんだよね? おそらく魔力暴走を引き起こしたことが原因だと思うよ」
「そんな……」
ショウは愕然と呟いた。
紅茶を零してしまいそうになるほどの衝撃だ。
魔導書図書館の『物語の世界樹』には重要な魔導書が何冊も保管されていて、ヴァラール魔法学院でも指折りの危険区域だと教えてもらった。そんな重要施設が火事に遭い、しかも原因が自分だとは誰が想定できるだろうか。
だが、グローリアの話は続く。
むしろ、ここからが本番だった。
「それでね」
「…………」
「焼け跡から救出できたのは君だけだったんだ」
「…………俺だけ?」
「そう」
グローリアは少し寂しげな表情で頷き、
「倒れた君の周囲に、その、彼らがいたんだ。原型が留められていないほど焼けちゃったんだけど、多分……」
ツイとグローリアの指先が、床に置かれた四つの棺に向けられる。
ショウはその動きに合わせて棺に視線をやった。
人間をちょうど収納できるほどの大きさがある棺桶には、金色の文字で名前が記されている。四つの棺に記載された名前はバラバラで、だけどきちんと理解できた。
アイゼルネ。
ハルア・アナスタシス。
エドワード・ヴォルスラム。
――ユフィーリア・エイクトベル。
ショウの大切な、彼らの名前だった。
「お気の毒に」
グローリアの憐れむような声が耳朶に触れるも、ショウの意識までは届かない。
彼らの死はショウにとって絶望的であり、世界が崩壊することと同義を示していた。
今回の火事は、ショウの魔力暴走が起因である。
彼らがこの火事に巻き込まれたのだとすれば――――。
(――嘘、だ)
――――彼らを殺してしまったのは、自分ではないか?




