第1話【冥府】
冥府とは、いわゆる死後の世界である。
死者は地上で丁重に弔われたあと、魂だけは冥府という地上とは隔絶された別世界にやってくる。最終的には誰もが訪れる異世界という訳だ。
冥府にやってきた死者の魂は裁判を受け、生前に犯した罪と善行を天秤にかけて新たなる人生を与えるか、冥府に於ける重い罰則が適用されて死ぬ痛みよりも辛く苦しむ羽目になる。大半は生前の罪を浄化されて新たな人生を与えられるが、重罪人は冥府の罰則が適用されて死ぬ時に与えられた痛みを何百倍にも増加させた痛苦を与え続けられる。
そんな冥府に、まだ地上で死んでいないにも関わらずやってくる人間が時々いる。
彼らは特別労働者と呼ばれ、冥府に申請があった者のみが適用される罰則だ。分かりやすく言えば『一足お先に冥府を体験』ということである。全く嬉しくない制度だ。
そして今回、名誉ある特別労働者に選ばれたのがヴァラール魔法学院を騒がせる問題児の面々だった。
「本当に来たよ、冥府……」
頭上に広がる赤黒い空を見上げて、ユフィーリアは愕然と呟いた。
見渡す限りゴツゴツと岩肌が剥き出しになった黒い大地が続き、鮮血よりも毒々しい不気味な空には鴉が何羽も飛んでいる。真っ黒な地表には真っ黒な衣装に身を包んだ、青白い顔の人間が覚束ない足取りでどこかを目指してひたすら歩く。
真っ黒な衣装に身を包んだ人間が、死者の魂だ。これより冥府を牛耳る王の裁判が待っていることだろう。
「冥府の特別労働者ってぇ、都市伝説じゃなかったんだねぇ」
「二度と帰ってこれないって聞いたけど、本当かな!?」
「あらやダ♪ 怖いところネ♪」
ユフィーリアと同じく冥府の特別労働者に認定されてしまったエドワード、ハルア、アイゼルネの3人は初めて見る冥府の風景に驚いている様子だった。怖がっている気配は全くない。
本当なら問題児らしく真っ黒な大地を死ぬほど駆け回りたいところだが、残念ながらユフィーリアたちは行動を制限されている。
特別労働者に認定された者は魔法を禁止され、簡単な浮遊魔法すら使えなくなってしまう。さらに逃亡防止の為に、両手は純白の鎖で雁字搦めに縛られているので走ることすら出来ない。逃げようものならすぐに死者の魂の行列に仲間入りすることとなってしまう。
ユフィーリアは鎖をジャラジャラと鳴らしながら、
「おい、お前。魔導書の件で助言してやった恩を仇で返すつもりか」
「此方も仕事だ。文句を言うなら労働を終えて戻った際に、学院長殿へ言うといい」
共に冥府へやってきた髑髏仮面の神父は、
「ふぅ、冥府に戻ってきたからようやく外せるか……」
そんな訳の分からないことを言い出したかと思いきや、髑髏仮面の神父が唐突に装着していた仮面を脱いだのだ。
髑髏仮面の下から現れた顔は、どこか見覚えのある少女めいたもの。
黒曜石の双眸にスッと通った鼻梁、薄い唇。顎の線は細く肌の色は病気を疑いたくなるほど白い。真っ黒な神父服が白い肌を際立たせ、背中を流れる艶やかな黒髪が冥府に吹いた生暖かい風を受けて揺れる。
神父の素顔を見たユフィーリアは、驚愕のあまり呟いていた。
「ショウ……坊……?」
「ん?」
仮面を脱いだ神父は不思議そうに首を傾げると、
「何か言ったかね?」
「いや、お前がウチの新人に似てるなって……めちゃくちゃ、とても」
「そうかね。生憎と、冥府に鏡がないので確認のしようがないのだが」
やれやれと肩を竦める神父は、やはり可愛い新人であるショウと瓜二つの容姿をしていた。
ショウの年齢は15歳なので、そこに20歳程度は加算すれば彼と同じになるだろうか。大人に成長したショウである。
そこで、ユフィーリアはある可能性を思い出した。
ショウは叔父夫婦に育てられ、虐待を受けていた。実の母親はショウが生まれ落ちると同時に他界し、実の父親はショウが幼い頃に行方不明となった。
この神父は、まさか行方不明となったショウの父親ではないだろうか?
「なあ、神父様よ」
「何かね」
「アズマ・ショウって名前に聞き覚えは?」
「私の息子だが」
神父は特に疑問を持つことなく、平然と答えた。
「君は何故、息子の名前を知っている?」
「知ってるも何も、ウチの新人の名前だ。少し前に異世界から召喚して、用務員として雇うことにしたんだよ」
「何と」
神父は驚きを露わにすると、
「それはそれは、いつも息子が大変世話になっている。挨拶が遅くなって申し訳ない」
「あ、いやこちらこそ大切な息子さんをお預かりして……いやそうじゃねえ!! いいのかお前、大切な息子にあることないこと吹き込んでるぞこっちは!?」
「む?」
くどいようだが、何度でも言おう。ユフィーリアたちは問題児なのだ。
日々を面白おかしく過ごすことに余念がなく、悪戯をしては方々に迷惑をかけるお騒がせ者である。そのせいでヴァラール魔法学院の生徒や教職員には煙たがられ、嫌われる始末だ。
今回、冥府の特別労働者に選ばれた理由も、魔導書図書館の中核である『物語の世界樹』を燃やした上で氷漬けにしたのだ。貴重な魔導書を残らず消し炭にしたのは重罪であり、下手をすれば冥府で重い罰則を与えられる人間である。
ところが、神父は「何故かね」と言うと、
「君の場合は日々の悪行よりも過去の善行が多いので、冥府側の意見としては何も思わない。そして父親としての意見は――」
神父は少し何かを思い出す素振りを見せてから、
「――息子が心底楽しそうなので、まあいいかと」
「いいのかよ……」
「君は、身内に対しては悪いようにはしないと知っているからだがね。ユフィーリア・エイクトベル君」
神父は思い出したように「ああ、そうだ」と言い、
「私はアズマ・キクガ。冥王ザァトが第一補佐官を務めている。どうかこれからも息子をよろしく頼む」
「え、あ、どうも……よろしく頼まれます?」
互いにペコリとお行儀よく頭を下げてから、神父――アズマ・キクガは表情を真剣なものに戻す。
「いいかね、君たちは特別労働者として申請があった。いくら息子が世話になっているからとはいえ、此方も仕事なので加減をすることはない。心してくれたまえ」
「特別労働者って何するんだよ」
長いこと生きているユフィーリアだが、さすがに冥府の特別労働者の労働内容までは把握していない。
この申請は、普段であれば滅多に通ることのない申請なのだ。適用される人間がおらず、もはや都市伝説であると噂されるほどである。
キクガは「いい質問だ」と頷き、
「基本的に労働内容は冥王ザァト様がお決めになられる。今回、申請期間は1ヶ月とあったので1ヶ月は冥府から出られないと覚悟したまえ」
「労働予定が前倒しになる可能性は?」
「残念ながら、虚数の彼方と見てほしい」
キクガはユフィーリアたちに手招きをすると、
「此方だ。冥王ザァト様がお待ちである」
☆
冥府を統括する冥王の居城は、ヴァラール魔法学院より立派とは言えないが、それなりに規模の大きな城だった。
赤黒い空を貫かんばかりに高い尖塔が建ち並び、死者の魂が行列をなしている。
列を整理するのは獄卒と呼ばれる冥府の従業員たちだ。彼らは赤黒い肌をした怪物だったり、半分だけ顔面が溶けた化け物だったり様々だ。その恐ろしい様相に怯えた死者の魂は、列を乱すことなく並んでいる。
キクガは獄卒たちに一言断ってから、ユフィーリアたちを連れて冥王の城に足を踏み入れた。
「凄い広いねぇ」
エドワードが居城の内部を見渡しながら言う。
さすが冥王の城と言うべきか、真っ黒な絨毯が敷かれた脇には彼岸花や真っ黒な薔薇が花瓶に飾られている。趣味が悪いとしか言えない。
飾られた絵画はどれも人間が処刑される瞬間が描かれていて、悲鳴が聞こえてきそうな代物がずらりと並んでいる。これもやはり趣味が悪い。
「死者の魂が集まる場だからね、立派なものを建てなければ示しがつかない」
先頭を歩くキクガは、目の前に現れた巨大な扉の前で立ち止まる。
髑髏の燭台に橙色の炎が灯され、扉の両脇を飾る。
扉の表面には『裁判場』とデカデカと記され、これより先が死者の魂の裁判を行う場であることを示していた。一気に緊張感が走る場である。
そういえば、ユフィーリアは冥王ザァトの存在は知っていても、会うのは初めてのことだ。何か粗相をする前に、ザァトの存在をよく知る補佐官に礼儀を尋ねておくべきだろう。
「な、なぁ補佐官殿や」
「何かね」
「礼儀作法とか、その、あるか? 地雷を踏んで死者の魂の行列に並ぶとかしたくねえんだけど……」
いや、この際自分はいい。ユフィーリアだけならまだ何とかなる。
ただ、一緒に特別労働者として巻き込んでしまったエドワード、ハルア、アイゼルネの3人だけは勘弁してやってほしい。彼らには明るい未来が残されていたのに、それを摘み取ってしまったのはユフィーリアの責任だ。
キクガは「そんなことかね」と言うと、
「特に礼儀作法はない。目上に対する態度だけは心がけてくれたまえ」
「それだけでいいのか、冥府の王」
「いいとも。きっと驚くからな」
キクガは扉を押し開けて、
「ザァト様、特別労働者をお連れいたしました」
「おお。キクガか、よくぞ帰った」
聞こえてきた声は若干――いや、とんでもなく幼い。
裁判場らしき部屋はあまりにも広く、ヴァラール魔法学院の講堂よりも広いと感じた。空間を拡張させる魔法でも使っているのだろうか。
部屋の奥には執務机があり、大量の書類が山のように積み重ねられて両脇を固めていた。他にも通信魔法用の端末やインク瓶など、書類仕事をするのに必要な道具が揃っている。
骨を削り出して作られたらしい真っ白なペンを走らせているのは、真っ白な髪と赤い瞳をした小さな男児だった。
頭には壊れかけの王冠を被り、仰々しい外套まで羽織っているものの、やはり見た目は10歳程度の男児である。ハルアよりも若く見える。
小さな手で真っ白なペンを握り、ガリガリガリガリと羊皮紙に滑らせては次の書類へ。子供らしい可愛げのある顔立ちは忙しさのあまりやつれ、肌も淡雪のように白い。
その男児はパッと顔を上げると、
「おお、おお、其方らが噂の問題児か。よく来たよく来た」
男児は一度ペンを置くと、
「我が名は冥王ザァト、冥府を統括する王だ」
「え、若くない……?」
ユフィーリアが思わず呟けば、白髪の男児は機嫌を悪くする訳でもなく大声で笑った。
「其方より若いがな、ユフィーリア・エイクトベル。我は5代目の冥王だ、就任して1000年も経過していない若輩である」
「おい、ちゃっかりアタシの年齢をバラしてんじゃねえぞ」
「それは相すまんかった」
白髪の男児――冥王ザァトは「さて」と話題を切り替え、
「見ての通り、我も裁判なり雑務なりで忙しくてな。まあ、我よりそこの補佐官の方が死ぬほど忙しいのだが。――其方らは予定通り、補佐官の仕事を手伝ってくれ」
「え、ザァト様。それは聞いておりませんが」
キクガも寝耳に水の出来事だったようで自分の上司に聞き返すが、肝心の冥王ザァトは書類仕事に戻ってしまう。
「其方の魔法の実力は聞いておる。補佐官を助けてやっておくれ。余裕が出来たら我の仕事も手伝ってくれ」
「待ってください、特別労働者はそのような仕事をさせる役割では」
「補佐官、さっさと己の職務を全うせよ」
冥王ザァトは書類を片付けながら、キクガへ一瞥もくれることなく言う。
「このところ、地上での死者の数が多い。其方の連れてきた人材がいれば、この仕事を乗り切ることが出来る。――分かったのであれば、さっさと仕事を手伝わせろ。時間が惜しい」
「……承知しました」
キクガは冥王ザァトの命令を受けると、ユフィーリアたちの両手を戒めていた純白の鎖を解く。
あっさりと自由の身を手に入れたユフィーリアたちだが、待ち受ける未来は何となく予想はついていた。
柄にもなくお仕事開始である。死ぬ気でお仕事を終わらせなければ、地上に帰れない系の。
まあ、特別労働者の労働内容は辛いと噂があったので、意外と軽く済んでよかったと言えばよかったのだが。




