第8話【連行】
深淵に沈んでいた意識が急浮上し、ユフィーリアは目を覚ます。
「…………ぁ?」
霞んだ視界が捉えたものは、見慣れない天井。
煌々と明かりを落とす照明器具まで清掃が行き届き、消毒液めいた臭いが鼻孔を掠める。清潔感のある硬めのベッドに汚れ1つない敷布、胸元までかけられた掛布にも消毒液のような臭いが染み付いていた。
どうやら医務室のベッドで寝かされているらしい。現実を把握するのに10秒ほど要した。
「……何で医務室なんかに……いッ」
現実を認識すると、頭に鋭い痛みが走った。
思わず額を手で押さえると、何故か右腕の長手袋が消失していた。
そういえば、魔導書図書館の中央にある『物語の世界樹』が火事になった際に右腕へ大火傷を負ったことを思い出す。火傷痕は綺麗さっぱり消えており、長手袋が脱がされた状態で放置されていた。
火傷を負った際に長手袋も燃えたか、とユフィーリアは密かにため息を吐く。予備は用務員室に揃っているが、取りに行くのが面倒だ。
「煙管は……」
「はいよぉ」
「うおッ」
愛用の煙管を探すと、真横から大きな手のひらが伸びてきた。
手のひらには雪の結晶が刻まれた愛用の煙管が乗せられ、折り曲げられた様子や傷ついた気配は一切見られない。
唐突に伸びてきた腕に驚いたユフィーリアは、視線だけで大きな手のひらを辿る。
迷彩柄の野戦服に包まれた太い腕、その先に繋がっているのは鍛え抜かれた鋼の肉体。野戦服に押し込むことが出来ないのか、胸元だけは大胆に開放した服装。もう何年も見続けた巌の如き顔面と灰色の短髪。
エドワード・ヴォルスラム――用務員兼問題児の1人だ。ユフィーリアの右腕とも言う。
「何だ、エドか。驚かせんなよ……」
「驚かせたつもりはないんだけどねぇ」
「寝起きにお前の顔面を見るのは悪夢かと思うだろ」
「ちょっとぉ、どういう意味なのそれぇ?」
エドワードが不満げに訴えてくるが、ユフィーリアは「冗談だよ」と適当にあしらって煙管を受け取る。
気怠さが纏わりつく身体に鞭を打って起き上がり、煙管を咥える。
随分と身体に冷気が溜まってしまったようだ。布団がやたら冷たいし、寒気すら感じる。試しに煙管を深めに吸ってみれば、濃いめの白い煙となって吐き出された。身体の中にかなりの冷気が溜まった証拠である。
体温を平常に戻す為にユフィーリアが煙管を吸っていると、エドワードが呆れた口調で言う。
「ユーリさぁ、魔力欠乏症で丸1日寝てたんだよぉ」
「心配させて悪かったな」
「本当だよぉ。ハルちゃんやアイゼにも謝ってねぇ」
「分かってる」
魔力欠乏症と聞いて、ユフィーリアは意識を失う寸前の記憶を思い出す。
燃え盛る炎を氷の魔法で凍らせ、気絶した可愛い新人を抱きしめたまま『物語の世界樹』全体を氷漬けにした。
そこで膨大にあったユフィーリアの魔力が底を尽き、重度の魔力欠乏症を引き起こして気絶を果たした。倦怠感はだいぶ和らいだが、今度は魔法を使ったことによる空腹感があった。
そういえば、丸1日寝ていたということだから食事も取っていないのだろう。せめて何か腹に詰めたいところだ。
「エド」
「ハルちゃんとアイゼが買いに行ってるから待っててねぇ」
「…………まだ何も言ってねえんだけどな」
「長い付き合いだもんねぇ、何が言いたいのか分かるよぉ」
やれやれとエドワードが肩を竦めたところで、医務室の扉が勢いよく開かれた。
静かで清潔感のある医務室に足を踏み入れたのは、両手に紙袋を抱えたハルアと飲み物らしきカップを手にしたアイゼルネである。
2人はユフィーリアが起き上がっていることを確認すると、ほぼ同時に「起きてる!!」「起きたノ♪」と言った。アイゼルネはまだ問題ないが、ハルアの溌剌とした声量は寝起きのユフィーリアの鼓膜に容赦なく突き刺さる。
ズキズキと痛みを訴え始めた頭を押さえるユフィーリアは、
「ハル、医務室だから静かにしような……」
「あ、ごめん!!」
「静かにって言った側からァ……」
ハルアは両手に抱えていた紙袋をユフィーリアに差し出し、
「はい、お昼!! 何も食べてないと思うから、消化に良さそうなものを選んできたよ!!」
「おう、悪いな」
紙袋を受け取ったユフィーリアは、中身を確かめてみる。
中身は白い器に入った龍国粥だった。まだ器は温かく、作られたばかりだと推測できる。紙袋の中にはご丁寧にも紙に包まれた匙まで用意され、すぐに食べられることが出来た。
アイゼルネは蓋がされたカップを差し出して、
「これはお紅茶ヨ♪ 用務員室で冷たいものを淹れてきたワ♪」
「アイゼも悪いな」
「あとは予備の手袋も持ってきたワ♪ ユーリは特に指先から冷たいのが集まっちゃうかラ♪」
「用意がいいなァ」
気の利く部下に感心し、ユフィーリアはアイゼルネが差し出してくる予備の手袋を受け取った。
食事をするのは手袋を変えてからでもいいだろう。左手に装着したままになっている長手袋を脱ぎ、新しい長手袋に変えてから古いものはゴミ箱に捨てた。
長手袋も真新しいものに変えたところで、ユフィーリアは紙袋から龍国粥の入った器と匙を取り出す。カパッと容器の蓋を開けながら、
「ショウ坊は?」
「隣で寝てるよぉ」
エドワードに言われ、ユフィーリアはベッドの反対側に視線をやった。
2つ並んだベッドのもう片方に、あの燃え盛る炎の世界から助けた可愛い新人が眠っていた。
見たところ怪我はなく、布団に覆われる胸元は上下しているので呼吸はある。酷い火傷を負っている様子はないので、少し安心した。
「原因は?」
「医務室の先生は精神的負荷による魔力暴走じゃないかってぇ」
「精神的負荷……」
龍谷粥を口に運びながら、ユフィーリアは顔を顰める。
別に、龍谷粥が不味かった訳でも熱かった訳でもない。
可愛い新人を閉じ込めていた、あの鳥籠について思い出したのだ。
確かにあの鳥籠は罠魔法の1種で、閉じ込めた相手が1番嫌がる幻覚を見せる効果がある。そうして精神的に追い詰めて、情報を吐き出させやすくさせるのだとか。
この魔法は非常に難易度が高く、並大抵の魔女や魔法使いが手を出せば確実に失敗する。鳥籠で相手を閉じ込められたとしても、その先にある『相手が1番嫌がる幻覚』を見せる過程が疎かになってしまい、何かどうでもいい幻覚を見せて終わりになってしまうのだ。
ショウはその罠魔法にかかり、1番嫌がる幻覚を見せられたことで精神的負荷がかかり、保有していた魔力を暴走させたということになる。
「問題は誰がショウちゃんを罠魔法にかけたか、よネ♪」
「俺ちゃんとハルちゃんが外に出た時には、もう誰もいなかったよぉ。――ううん、ちょっと違うねぇ」
エドワードが険しい表情で、
「最初から誰もいなかったよぉ。多分あれねぇ、遠隔でやられていたのかもねぇ」
「……そうなると、考えられるのは1人だな」
遠隔であんな高度な罠魔法を仕掛けられる人物なんて、ユフィーリアが知る限りで1人しかいない。その該当人物の顔が脳裏をよぎり、咥えていた匙をへし折りそうになった。
その時、申し合わせたように校舎内全体へ声が響き渡る。
該当人物を呼び出す為の放送魔法だ。しかも呼び出した相手は、今まさに問題児たちが会いたいと思っていた人物である。
『用務員兼問題児のユフィーリア、ユフィーリア・エイクトベルさーん。今すぐ学院長室に出頭してくださーい』
「チッ。あの爽やか暴君がッ!!」
ユフィーリアは悪態を吐くと、龍谷粥を一気に胃の腑へ流し込んだ。
ちょうどよかったと言えば、ちょうどよかったのだろう。
こちらも話がしたかったところだ。ウチの可愛い新人に高度な罠魔法を仕掛けた意図を吐かせてやる。
眠るショウに状況を説明する要員としてエドワードたちを残そうかと思ったが、
『あ、エドワード君たちも一緒に出頭してね。一緒に来なかった場合や魔法を使った場合はどうなるか分かってるよね?』
完全に脅しである。卑怯としか言えない。
放送魔法はそれで終わり、医務室の外では「また問題児たち呼び出されてるよ」「でも今のは怖くない?」などと生徒が話し合っているのが聞こえた。
確かに、今のは明らかに何かを企んでいると見てもいいだろう。警戒するに越したことはない。
ユフィーリアは紙袋の中に龍谷粥の入っていた容器を放り、ゴミ箱に叩きつける。
「お前ら行くぞ、さっさとあの爽やか暴君の顔面をぶん殴ってやる」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
「分かったワ♪」
すでに学院長とは拳で語り合うことを想定して、ユフィーリアたちは医務室から飛び出した。
☆
「――とうとうやってくれたねぇ、君たち」
学院長室で出迎えたグローリアは、執務椅子に深く腰掛けた体勢で微笑む。
「我がヴァラール魔法学院の中でも秘匿中の秘匿、魔導書図書館の『物語の世界樹』をまさか氷漬けにするとはねぇ。あの中に保管されてた魔導書は全部貴重なもので、世界中の魔女や魔法使いから非難が殺到しているんだよね」
朗らかに微笑むグローリアは、
「どうするの、ユフィーリア? 責任を取ってクビになるかい?」
「こっちも言いたいことがあるんだけどな、グローリア?」
雪の結晶が刻まれた煙管を咥えるユフィーリアは、朗らかな笑みを保ったままのグローリアを睨みつける。
「こっちは仕事が終わって『物語の世界樹』から出ようとしたら、可愛い新人が罠魔法にかかったんだよな。その罠魔法はなかなか高度なモンで、しかも遠隔発動されてると来た」
「それが?」
「――――惚けてんじゃねえぞ、腹黒野郎が」
ユフィーリアの声が低くなる。
確かに『物語の世界樹』に保管されている魔導書は、どれも貴重なものばかりだ。それを焼失させた上に氷漬けにしてしまったのだから、世界中の魔女や魔法使いから非難が寄せられるのは頷ける。
だが、いくら問題児でもやっていいことと悪いことの分別ぐらいはついている。今回の火事はやってはならないことで、ユフィーリアたちも『物語の世界樹』からはさっさと出ようとしたのだ。
――あの罠魔法がなければ、こんな事件は起こらなかった。
「ウチの可愛い新人を暴走させて、一体何がやりたかった? 事と次第によっちゃ、お前を校内引き摺り回した上で首を斬って校門に飾り付けてやる」
「うん、反省の色が見えないね。相変わらずだ」
グローリアはため息を吐くと、
「こうなることが分かっていたから、対処しておいてよかったよ」
「は?」
ユフィーリアがグローリアに詰め寄ろうとしたその瞬間だ。
足元の影が揺らぎ、そこから真っ白な鎖が何本も伸びてくる。
影から放たれた純白の鎖はユフィーリアたち問題児の全身を雁字搦めに縛り上げ、逃走も暴力も許さないとばかりに拘束する。
「ちょ、何ぃ!? 外れないんだけどぉ!!」
「何これ!!」
「苦しいワ♪」
純白の鎖を外そうと躍起になるエドワード、ハルア、アイゼルネはこの鎖の正体を知らないらしい。
それは、どんな善人も罪人も最後に行き着く世界。
純白の鎖は暴れる罪人を縛り上げ、その世界を牛耳る王の元へ引き摺っていく為の神具。暴れれば暴れるほど、純白の鎖は身体をより強く締め上げる。
「――君たちが要請のあった罪人かね」
いつのまに現れたのだろうか、学院長室の隅には髑髏仮面を装着した神父が立っていた。
学院の地下にある迷宮区で延々と悪魔を呼ぶ儀式をしていたが、実は参考にする魔導書を間違えていただけという残念な神父ではないか。
昨日の雰囲気とは違い、髑髏仮面越しにこちらを見てくる視線は底冷えのするほど冷たいものだ。話さえ聞いてもらえる気配はない。
というか、今何と言った?
「グローリア、お前ッ」
「ユフィーリア、そして問題児のみんな。君たちはしばらく反省してもらうよ」
朗らかな笑みを保ったまま、グローリアは言う。
「じゃ、お願いします」
「承知した」
髑髏仮面の神父が手を2度ほど叩くと、純白の鎖に縛られるユフィーリアたちはずぶずぶと影の中に引き摺り込まれていく。
これはまずい、非常にまずい。
ユフィーリアたちだけあの世界に送られることとなれば、医務室に残してきたショウはどうなる?
「テメェ、グローリア覚えてろッ!!」
「その減らず口もいつまで持つかなぁ、大罪人のユフィーリア」
最後の最後までグローリアのムカつく笑顔で送り出され、ユフィーリアたち問題児はめでたく冥府へ旅立つこととなった。




