第1話【出られない】
カチッ、カンカンカンカンカンカンカンカンカンカン。
「おはようございますッ!!」
「はぁい、おはよぉ」
「おはようございまス♪」
寝室中にけたたましく鳴り響く目覚まし時計の鐘の音により、用務員改め問題児一同は目を覚ます。今日も爽やかな朝だ。
ベッドにうつ伏せの状態で眠っていたユフィーリアは目覚まし時計が奏でる喧しい鐘の音に意識を覚醒させ、のっそりと気怠げな様子で起き上がる。枕元で未だに鐘の音を響かせる目覚まし時計を一瞥し、無言で手刀を叩き落とした。
哀れ、目覚まし時計は銀髪の魔女による物理攻撃を受けて沈黙し、寝坊助どもを起こすという業務は強制的に終了させられた。これで2度寝をしようとする連中がいなければ目覚まし時計君も役目を終えるのだが、残念な結果を迎えることとなった。
つまり、
「ぐぅ」
「あらぁ、ユーリ朝だよぉ。起きてよぉ」
「ねみい」
「声に覇気がないねぇ」
ベッドにうつ伏せで倒れ込んだユフィーリアを、エドワードが揺さぶって起こす。
起きる気力はあるものの、意識がまだ夢の世界に片足を突っ込んでいる状態だ。瞼も碌に開けられない。このままでは朝食の時間に遅刻してしまうことになるのだが、それでも睡眠欲には勝てない。
エドワードによる揺さぶりが心地よく、ユフィーリアの意識は再びずぶずぶと眠りの沼に落ちていく。もうこの際、朝食なんてどうでもいい。今はただ惰眠を貪りたい。
枕にしがみついて意地でも起きないことを示すユフィーリアだが、彼女の頭を誰かがポンと優しく撫でた。
「おはよう、ユフィーリア。2度寝をするのもいいが、このままでは朝食の時間に遅れてしまうぞ」
半目を開ければ、そこには目線の高さを合わせる為に膝を折って頭を撫でる可愛い新人がいた。
寝起きなので身支度はしておらず、寝癖1つない艶やかな黒髪は彼の背中を流れている。枕にしがみついて抵抗するユフィーリアを見つめる黒い双眸には慈愛に満ちていて、頭を撫でる手つきが心地いい。
さながらぐずる子供をあやす母親の如しである。主任用務員として、そして問題児筆頭として情けない姿を晒す訳にはいかない。
ユフィーリアは「うー」と呻くと、ようやく上体を起こした。
「おはよう……」
「ああ、おはよう」
可愛い新人――ショウは寝起きで乱れたユフィーリアの髪を手櫛で軽く整え、
「先に顔を洗うか?」
「んにゃ、着替える」
眠気を振り払うように欠伸をするユフィーリアは、枕元に忍ばせた煙管を掴む。
雪の結晶が刻まれた煙管を一振りすれば、真っ黒な部屋着の状態だった礼装が一瞬にして変形した。
首元まで覆う黒い上衣と幅広の洋袴、頑丈な長靴。それらの上から袖のない黒い外套を羽織り、二の腕まで黒い長手袋が隠す。肩が剥き出しの格好だが、ユフィーリアなりに機能性を追い求めた礼装の形態だ。
魔法で身支度を整えたユフィーリアを見て、ショウが「ほへぇ」と間抜けな声を漏らす。
「凄いな。礼装とはそのように機能するのか」
「お前も魔法を学べば使えるようになるさ」
ユフィーリアは朝のお返しとばかりにショウの頭を撫でてやり、
「ほら、お前も顔を洗ってこい。エドたちは先に行ったぞ」
「ああ」
ショウは着替えを抱えて、先に顔を洗いに行ったエドワードたちを追いかけて寝室を立ち去った。
寝室に残されたユフィーリアは、パタパタと遠ざかっていく足音を聞きながら天井を振り仰ぐ。
うん、いつも通り可愛い。むしろ昨日よりも可愛い。昨日も可愛いが今日はさらに可愛さが増している気がする。朝は頭まで撫でて優しく起こしてくれるという高待遇まで受けてしまった、これは今日死ぬかもしれない。
「……ユーリ♪ 何をしているのかしラ♪」
「可愛さを噛み締めてる」
櫛を片手に寝室へ戻ってきたアイゼルネから怪訝そうな視線を突き刺されるが、ユフィーリアは天井を振り仰いだまま新人の可愛さを噛み締めていた。ショウが可愛いのは世界の常識である。
アイゼルネは「はいはイ♪」などと適当に流すと、ベッドに腰掛けるユフィーリアの隣に座った。持ってきた櫛をユフィーリアに押し付け、ズズイと身体を寄せてくる。
今日も髪型を結う時間がやってきた。態度で「早く髪の毛を結べ」と示してくる南瓜頭の娼婦のおかげで、ユフィーリアは我に返る。
「今日の気分はお洒落な感じでお願イ♪」
「はいはいっと」
アイゼルネから櫛を受け取り、ユフィーリアはよく手入れが行き届いた緑色の髪を梳いていく。
今日のアイゼルネのドレスは色鮮やかな橙色の扇状的なものだ。身体の線を浮き彫りにするほど細身のドレスは煌びやかな宝石が散りばめられ、寝起きのユフィーリアの目にキラキラとした光が突き刺さる。
ザックリと深い切り込みから覗く細い足が艶かしく、年頃の男子が見れば劣情を催すことは間違いない。踵の高い靴を華麗に履きこなす理由は、彼らのアレやソレを踏み潰す為だろうか。
ドレスの意匠から考えて、ユフィーリアはパチンと指を弾く。
「あラ♪」
魔法が発動し、アイゼルネの長い緑色の髪がひとりでに纏まるとウネウネと緩やかな波を描く。数秒と経たずにお洒落な髪型が完成した。
おまけとして雪の結晶を模した装飾品を髪に散らばせて終わりである。本日も綺麗にまとまった。会心の出来である。
アイゼルネは自分の波打つ髪の毛に指を絡ませると、
「これってどうやるのヨ♪」
「魔法で固定してる」
「さすが魔法の天才ネ♪」
すると、昨日仕立てたばかりの礼装に着替え終わったショウも、ひょっこりと寝室に戻ってきた。彼の手には鈴のついた赤い髪紐が握られていて、ちょっと申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「あの、ユフィーリア……」
「ショウ坊もおいで」
ユフィーリアはショウへ手招きをし、
「今日はどんな髪型がいい?」
「ポニーテールで頼む。あれが1番気に入った」
「そっか」
パタパタと小走りでベッドまで駆け寄り、チョコンと行儀良く座るショウに内心で悶えながら、ユフィーリアはショウの艶やかな黒髪にも櫛を通していく。
寝癖どころか乱れ1つない。絡まることだってない。上質な絹の如き手触りに感動さえ覚えた。
長く艶やかな黒髪を頭頂部付近で高く結い上げ、赤い髪紐で縛る。チリンと小さな鈴が音を立てた。
「これでどうだ?」
「助かった。ありがとう、ユフィーリア」
ショウは小さく微笑むと、
「あまり髪紐に馴染みがなくて……これからは迷惑をかけないように練習する」
「迷惑だとは思ってねえんだが、ショウ坊が頑張って髪紐を結ぶところを見てみたいと思う欲望があるんだけど、どうすりゃいいかな?」
「えっと、その欲望はそっとしまっておいてくれると……」
ショウの髪の毛を結いたいという願望とショウが髪紐を咥えて髪を結う姿を見たいという願望が拮抗し、ユフィーリアは頭を抱えた。これは永遠に解決できない悩みだ。
そんな賑やかな朝だが、慌ただしく寝室に飛び込んできたハルアがさらに騒がしくしてくる。
何か運動でもしていたのか、寝室に飛び込んできたハルアは息が上がっている様子だった。額に汗も掻いている。どこを走り回っていたのか、とばかりの疲れようだった。
「ユーリ、ユーリ!! 大変だよ!!」
「何が大変なのか言ってみろ」
「用務員室の扉が開かない!!」
ちょっと話の内容が読めなかった。
「鍵がかかってんじゃねえのか?」
「かかってないよ!!」
「じゃあ何でだよ」
「分かんない!! 扉の前に何かが置いてあるっぽい!!」
「何かがァ?」
ユフィーリアは怪訝な表情で首を傾げる。
扉が開かなくなるほどの『何か』とは、よほど重いものなのだろう。用務員の重労働で鍛えられたハルアが扉を開けられなかったのだから、かなり重いものが扉の前に置かれているに違いない。
だが、問題児どもを物理的に閉じ込めるとは、相手もなかなかやり手だ。報復が怖くないのだろうか。
雪の結晶が刻まれた煙管を掴んで立ち上がるユフィーリアは、
「エドは開けられねえのか?」
「今やってる!!」
主任用務員が動き出したことを察知して、ハルアは居住区画から用務員室へ戻っていく。
彼の背中を追いかけるようにして用務員室に足を踏み入れれば、用務員の中で最も力自慢のエドワードが懸命に扉を開けようと頑張っている最中だった。
常日頃から身体を鍛えることに余念がない彼でも開けられないとは、この扉の前には果たして何が置かれているのか。非常に気になるところだ。
ユフィーリアは煙管を咥え、
「エド」
「なぁに、ユーリ」
「扉を壊してもいいから、どうにかして開けろ」
「はいよぉ」
それまで馬鹿正直に扉を押していたエドワードだが、ユフィーリアの命令を受けてスッと身を引く。
何をするのかと思いきや、彼は握りしめた拳を軽く扉の表面に触れさせる。
軽く殴っただけで扉が破壊されるほどの怪力の持ち主、という訳ではない。これは単に狙いを定める為の行動だ。
「――――よいしょぉッ!!」
裂帛の気合と共に拳が放たれ、扉を蝶番ごとぶっ壊す。
吹き飛ばされた扉は、その向こうに積み上げられていた何かをまとめて薙ぎ倒しながら反対側の壁にぶち当たった。
扉が破壊されたおかげで、何が用務員室の扉を塞いでいたのか分かる。それはうず高く積まれた木箱であり、倒れた箱からは中身が転がっていた。
その中身とは、
「本?」
「魔導書だな」
ユフィーリアは横倒しになった木箱から転がり落ちた書籍を拾い上げ、
「何でこんなモンが用務員室の前に……ん?」
ユフィーリアは床に羊皮紙が落ちていることに気づく。
拾い上げると、それは手紙のようだった。
見慣れた文字が紙面の上に踊っている。その文章に目を走らせれば、すぐに犯人が判明した。
『用務員の皆さんへ。
この魔導書を図書館に片付けておいてください。
学院長より』
何故か末尾にキスマークまである始末だ。
ユフィーリアは無言で羊皮紙をぐしゃぐしゃに丸めると、ゴミと化した手紙を床に叩きつける。トドメとばかりに踏み潰して、徹底的に読めなくしてやった。
彼女がやるべきことはただ1つだけだった。素直に仕事をする訳ではなく、やられたらやり返すという理念に従った報復である。
「飛んでけ」
ユフィーリアは煙管を一振りして、魔法を発動させる。
すると、用務員室の出入り口を塞ぐように積まれていた木箱が全てフッと消失した。
一瞬のことだったので、誰もが目を疑う。ハルアなんかは幻覚かと思ってしまい、しきりに目を擦りながら「あれ!?」と叫んでいた。
「ユフィーリア、今のは」
「学院長のところに送り返した。誰がやるか、仕事なんざ」
スパー、と煙管を吹かせるユフィーリアは、
「さて、飯に行くか」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
「分かったワ♪」
「了解した」
あまりこの事情には首を突っ込まない方がいいのだろう、部下たちの認識は自然と一致した。




