第8話【深夜の見回り】
何故だか猛烈にモヤモヤする。
「むー……」
寝室の隅に置かれた長椅子を寝床にするショウは、布の塊を抱えながら寝転がっていた。
時刻は深夜の2時になろうという頃合いだ。
そろそろ寝なければ明日の業務に支障が出てしまうが、どうしても眠ることが出来ない。目を閉じればあの時の光景が思い浮かんでしまう。
もちろん、それは虐待されていた時の記憶ではない。
学院長室での説教を終えた帰り道でのこと、偶然に出会った髑髏仮面の神父の件だ。
(ユフィーリアが優しいのは理解している。だが――)
何故かモヤモヤするのだ。
胸の内側にどす黒い感情が居座っていて、とてつもなく息が詰まる。叔父夫婦から酷い暴力を受けていた時と比べれば些細な不快感だが、どれだけ胸に指を突き立てようが、胸元を掻き毟ろうが、その不快感は解消されない。
まるで胸の内側に毛玉を放り込まれたかのような不快感だ。どう頑張っても原因不明のモヤモヤは拭い切れず、ショウにいつまでも安眠を与えようとしない。
叔父夫婦の虐待に震える夜を克服したと思ったら、今度は趣味の悪い髑髏仮面の神父による不快感とは。神様とは徹底的にショウを寝させないつもりか。
「…………」
ショウはゆっくりと上体を起こし、寝室を見渡す。
薄暗い部屋には4つのベッドが並び、それぞれを用務員の先輩方が使用している。寝言や鼾が聞こえてくるので起きる気配は見られず、中には布団を跳ね除けて今にもベッドから転がり落ちそうな先輩もいる。
そのうちの1つを占領する銀髪の魔女が、ショウの悩みの種だった。モヤモヤの原因にして救世主とも言う。
「すぅ……すぅ……んがッ」
透き通るような銀髪が洗濯された敷布の上に大河を作り、布団にくるまって眠る姿は昼間の飄々《ひょうひょう》とした掴み所のない態度からは想像できないほど可愛らしい。布団の隙間から覗く華奢な手足は、時折モゾモゾと敷布を引っ掻く。
桜色の唇からは規則正しい寝息が漏れ、閉ざされた瞼を縁取る長い銀色の睫毛は瞬きだけで風を起こせそうだ。美人は寝ていても美人であると確かに証明している。
ユフィーリア・エイクトベル。
このヴァラール魔法学院の主任用務員にして問題児筆頭、そしてショウを虐待の日々から救ってくれた魔女だ。
(寝れないなら起こせばいいと言われたが……)
そんなこと出来ない、とショウは長椅子の上で静かに膝を抱える。
昨日も同じだった。
虐待を受けていた日々が悪夢として蘇り、眠ることが出来なくなってしまったのだ。その際にユフィーリアから「起こせばいいだろ」と言われたが、そんな真似など出来る訳がない。
彼女たちの安眠を妨害したくない。――嫌われたり、鬱陶しがられたりするのも嫌だ。
「…………」
膝を抱えるショウは、寝転がっていた際に布団の代わりにしていた布の塊を広げる。
裾に白い雪の結晶の刺繍が施された黒い外套で、袖の部分が広がって着物のようになっている。頭巾も縫い付けられていて、自分にはもったいないほど格好いい外套だ。
これはユフィーリアが仕立ててくれた唯一無二の礼装で、ショウも一目で気に入った。市場には流通しておらず、この世界に1着しかないショウだけの礼装。
この礼装を作る為だけに迷宮区と呼ばれる危険地域を冒険し、被服室も占拠して怒られたりと怒涛の1日だったが、なかなか有意義な時間を過ごせたと思う。悔いはない。
「むー……」
外套を抱きしめたショウは、不満げに唇を尖らせて長椅子にぼすんと寝転がる。
ユフィーリアに礼装を仕立ててもらい、学院長から同じ用務員の扱いを受けて嬉しかったのに、最後の最後で台無しにされた気分だ。
それもあの髑髏仮面のせいである。趣味の悪いお面が悪いのだ。今度会ったらあの仮面を引っ剥がしてやる。
胸の内側に居座り続けるモヤモヤのせいで眠れずにゴロゴロと寝返りばかり打っていたら、どうやら深夜の2時を迎えたらしい。
「んがッ、うー……」
鼾と寝言とその他諸々がぶつかり合う寝室に、聞き慣れた声による呻きがショウの耳に触れる。
ふと声の方向を見やれば、ユフィーリアが起き上がっていた。垂れ落ちる銀髪を乱暴に掻き、美女にあるまじき大欠伸をする。
こんな夜中に起きるとは、一体どうしたのだろうか。便所にでも行くつもりか。
「ふあぁ、面倒臭えなァ……」
彼女は眠気が孕んだ声でぼやくと、ベッドから極めて静かに出る。
真っ黒な部屋着から伸びる華奢な手足と淡雪の如き真っ白な肌が、夜の闇に浮かび上がる。透き通るような銀髪は寝起きにも関わらず癖一つなく、艶やかさと絹糸のような柔らかさを兼ね備えていた。
まだ夢の世界に片足を突っ込んだ状態の青い瞳で枕元の目覚まし時計を確認し、それからベッドに忍ばせていたらしい雪の結晶が刻まれた煙管を掴む。眠気を払うように欠伸をしながら煙管を振れば、彼女の纏う部屋着が形を変えた。
簡素な部屋着から、見慣れた黒装束へ。
上半身を覆う黒い上衣と幅広の洋袴、頑丈そうな長靴。それらの上から袖のない黒い外套を羽織り、二の腕まで黒い長手袋が覆い隠す。いつもの格好に着替えてどうするのだろうか。
長椅子に寝転がりながら様子を窺うショウだが、振り返ったユフィーリアと目が合ってしまい、慌てて頭まで外套を被って誤魔化した。
(起きているのが分かってしまったら心配をかけてしまう。それはダメだ……)
自分は寝ている、と自分自身に言い聞かせて、固く瞳を閉ざす。
このままユフィーリアは気づかずに素通りしてくれればいい。今日はどうせ虐待とは別の意味で寝られそうにないのだ。
彼女が心配するようなことは何もなく、これは完全に自分の中で決着がつかないショウが悪いのだ。だから気にするようなことはない。
それなのに、だ。
「まぁた起きてんのか、ショウ坊。悪い夢でも見たか?」
「……ユフィーリア」
外套で覆い隠したはずの頭を撫でられ、ショウは隙間から顔を覗かせる。
そこにいたのは、優しく微笑む銀髪の魔女だ。
夜の闇にも負けない色鮮やかな青い瞳は優しげな光を湛え、ショウの頭を撫でる手は冷たさの中に温かみを感じる。心配をかけまいと視線を逸らしたが、彼女は「何かあったんだろ」とショウの心境を容易く見抜いた。
やはり彼女には敵わない。これ以上の迷惑をかけたくないのに、どうしても甘えてしまう。
「またお茶会するか?」
「大丈夫だ」
「大丈夫ってツラじゃねえだろ」
「平気だ」
強がってみるが、ユフィーリアには簡単に見抜かれて「強がりだなァ」と笑われてしまう。
「じゃあ、外套だけ羽織っておいで。眠れねえなら楽しいことをしよう」
「……何をするんだ?」
その質問に対して、ユフィーリアは笑いながら答える。
「深夜の学校に興味はねえか?」
☆
寝巻きにしている襯衣と洋袴の上から礼装の外套を羽織り、ショウはユフィーリアに導かれるまま深夜の校舎に足を踏み入れる。
夜の帳が下りた校舎内は昼間と違って静謐に満たされ、窓から差し込む青白い月明かりが壁にかけられた絵画を妖しく照らす。
風景画は特に何も感想はないが、人物画を暗闇の中で見かけると悲鳴が口から漏れかける。感情の見えない眼球がこちらを見ている気がしてならない。
対するユフィーリアは怖いものなどないのか、角燈を片手に雪の結晶が特徴の煙管を咥えながら暗い廊下を突き進んでいく。
1人で暗闇の中へ置き去りにされるのが嫌で、ショウは慌ててユフィーリアの背中を追いかけた。彼女に限ってそんな意地悪はしてこないだろうが、それでも離れるのは嫌だ。
「用務員の特権なんだよ、深夜の校舎を見回れるのって」
ユフィーリアは時折、部屋の施錠がきちんとかけられているか確認しながら言う。
「昼間と風景が違うから、特別な感じがして面白いだろ?」
「恐怖しか感じないが……」
ショウはぐるりと周囲を見渡す。
明かりが落ちた廊下にはユフィーリアとショウ以外の人影はなく、鼓動の音すら聞こえてきそうな静けさに包まれている。ユフィーリアの持つ角燈がぼんやりと廊下を照らすも範囲が限られ、不気味さが漂う。
夜の学校と言えば幽霊や怪談話が絶えない場所だ。異世界に怪談話や幽霊がいるとは考えられないが、こうも静かな空気に満ちていればそんの非科学的なブツが存在してもいいだろう。
壁に飾られたドレスを着た貴婦人の絵画と目が合ってしまい、ショウはゴクリと生唾を飲む。この貴婦人、今にも喋り始めそうな気がしてならない。
「迷宮区でもそうだったよな、ショウ坊。暗い場所は苦手か?」
「あまり得意とは言えないが……」
特に暗い場所と言えば、叔母の機嫌を損ねて部屋に閉じ込められた記憶を思い出す。部屋ならまだいいが、クローゼットの中に閉じ込められた時はさすがに息が詰まった。
暗い場所に恐怖心を感じないと言えば嘘になるが、悪しき虐待の記憶を思い出すまでではない。ただ純粋に、幽霊の存在や怪談話の内容を思い出してしまうからだ。
不安に駆られたショウは、ユフィーリアの外套の裾をちょっとだけ摘む。
「あの、少し不安で……その」
「ほら」
外套の裾を摘んで冷静さを取り戻すショウの目の前に、ユフィーリアが手を差し出してくる。
「手ェ繋いでやるよ。その方が怖くないだろ?」
「……すまない、ユフィーリア」
ショウは差し出されたユフィーリアの手を握り、申し訳なさそうに言う。
「そういう時は『ありがとう』だろ、ショウ坊」
「でも、貴女に迷惑をかけていることには変わりはないし……」
「迷惑だなんて思ってねえよ」
ショウの手を少し強めに握り返したユフィーリアは、
「『可愛い奴だな』とは思っているけどな」
「こんな無愛想な男に可愛いなど……」
「可愛いの、お前は。アタシが言うんだから間違いねえんだよ」
どこから来る自信なのか、ユフィーリアは平然と恥ずかしげもなく言ってのける。
何故か、ユフィーリアや先輩の用務員たちから送られる「可愛い」の言葉は嫌な気がしない。特にユフィーリアから「可愛い」と言われると、少し嬉しくなってしまう。
これを他の人間に言われれば、間違いなく嫌悪感しかないだろう。本当に不思議なことだ。
「ほら、行くぞ」
「あ、ああ……」
ユフィーリアに手を引かれ、ショウは深夜の見回りの仕事に取り組むのだった。




