第4話【美味しいものを一緒に】
「疲れたー……」
「お腹減ったよぉー……」
「たぁー……」
大半の生徒は午後の授業に向かい、伽藍とした喫茶店には疲れ切って動けない様子の問題児たちと清掃作業中の下級天使たちが残っていた。
喫茶店を乗っ取った割には意外と真面目に売上へ貢献したユフィーリアたちは、空腹と疲労によって机に突っ伏していた。特にユフィーリアは多種多様の魔法を並列して使っていたので、軽度の魔力欠乏症の状態に陥っていた。
同じく調理場でフライパンを振り続けたエドワードも「お腹減ったぁ……」と覇気のない声で宣い、利用客に料理を運ぶ作業に徹していたハルアも店を端から端まで駆け回った影響で疲れ切っている様子だった。いつも壊れたように元気なハルアから想像できないほど静かで大人しい。
一方で、アイゼルネとショウはお行儀良く椅子に座って、注文の品が来るのを待っていた。彼らの顔に空腹感や疲労感はなく、ただ「まだかしラ♪」「もうそろそろでは?」と簡単な言葉を交わしていた。
「お前らは何でそんなに元気なんだよ……アイゼもショウ坊も、アタシらと同じぐらい働いてただろ……」
空腹感を紛らわせる為に雪の結晶が刻まれた煙管を咥えるユフィーリアは、平然とした様子のアイゼルネとショウへ何気ない質問を投げかけていた。
「あら、聡明なユーリにしては愚問じゃなイ♪」
アイゼルネはクスクスと笑い、
「おねーさん、娼婦のお仕事をしてた時はお給金が少なかったもノ♪ まともにご飯を食べられる日の方が少なかったワ♪」
「そうなんですか?」
ショウは不思議そうに首を傾げ、
「そう言った職業は稼げるものだと思いました」
「お金のない子が行き着くゴミ溜めみたいな世界なのヨ♪ ショウちゃんみたいな純粋な子にはまだ早いワ♪」
ケラケラと軽い調子で笑うアイゼルネだが、冗談に聞こえるようでいて事実だけを述べていた。
エリシアの娼館はまともな商売が成立しているような世界ではなく、金のなくなった人間が売られて行き着く終着点である。娼館の主人は娼婦の給金をちょろまかして、私服を肥している連中が大半だ。
アイゼルネが籍を置いていた娼館もまた同じような仕事をしていて、娼婦たちの給金は雀の涙程度のものしかない。その場合は客の差し入れを期待するか、死ぬ覚悟で娼館を逃げ出すしかない。
そんな業界の闇を垣間見たショウは、
「俺も似たようなものです。あまり食べさせてもらえなかったので、空腹を我慢することには慣れてますし……」
「ふふフ♪ じゃあ、おねーさんとショウちゃんはお仲間さんネ♪」
「そうですね」
和やかに会話している2人だが、その会話内容は涙なしでは聞けないようなものだった。悲惨だ、悲惨すぎる。毎日ご飯が食べられないのは悲しすぎる。
地雷になり得る質問をしてしまった馬鹿野郎筆頭のユフィーリアは、ガッツンと額を机に打ちつけるなどして正気を保つことにした。
こんな馬鹿な質問をしてしまった過去の自分が憎い。少し考えれば分かる内容だっただろうに。あとショウを虐待していた叔父夫婦は、今からでもいいので1発殴らせてほしい。
唐突に机へ額を打ちつけたユフィーリアに、ショウは驚いた様子で「ユフィーリア!?」と叫ぶ。
「だ、大丈夫か? 額を打ちつけて一体どうしたんだ?」
「戒め」
「何に対する?」
「愚かな自分自身に対する」
同じく机に突っ伏していたエドワードとハルアは、
「俺ちゃんは食べ物に困らなかったねぇ。木の皮を剥いで食べたりぃ、野草を煮て食べたりしたからねぇ」
「オレも困んなかったよ!! ドロドロの液体みたいな飯しか食べてこなかったから、これが普通だと思ってたよ!!」
「エドワードさんはともかく、ハルさんは一体どんな食事の内容だったんだ……?」
ハルアの食事内容が理解不能で、ショウは少しばかり困惑していた。
すると、調理場でユフィーリアたちの昼食を拵えていた天使長が、銀盆に食事を載せて出てくる。
何故か彼女は、ぷりぷりと若干怒っている様子だった。問題児たちに助けられたことがよほど不服らしい。
「全く、問題児様に借りを作るなんて……ブツブツ……」
「いえーい、貸し1つな」
ユフィーリアは清涼感のある匂いの煙を吐き出しながら、
「で、今日の昼飯の代金は無料にしてくれる?」
「うぐッ……ま、まあいいでしょう。売上にも貢献していただきましたので、それぐらいなら……」
早速の要求が提示され、天使長は渋々と承諾していた。
確かに問題児とはいえ売上にも貢献したので、その報酬をいただくのは当然のことだ。失態は完全に店側にあるのだから、これぐらい認められなければ真面目に働いた意味がない。
一悶着あったが、無事に食事である。
疲労と空腹によって机に突っ伏す問題児たちの前に置かれたものは、彼らが客として訪れた際に注文した料理だった。提供が遅すぎる。喫茶店を乗っ取るのならば、最初に自分たちが注文した料理を作ってしまえばよかった。
「まずは跳ね豚の焼きサンドです。こちらの弾け辛子はお好みでお使いください」
ユフィーリアの前に置かれた料理は、美味しそうな焼き色のついたサンドイッチである。
表面がカリカリになるまで焼かれた麵麭に、瑞々しい野菜と甘辛いソースに絡めた豚肉が挟まっている。なかなか大きめのサンドイッチから香ばしい匂いがして、食欲が唆られる。
サンドイッチの側に置かれた小瓶には、黄色い木の実がこれでもかと詰め込まれていた。この黄色い木の実が弾け辛子と呼ばれる調味料であり、指で潰してサンドイッチにかけることでピリッとした辛さを加えることが出来る。
「こちらが天野菜のサラダです。ルビーソースはご自由にお使いください」
アイゼルネの前には、野菜が盛られた陶器製の器が置かれる。
色とりどりの野菜の山にはチーズと干した果物が乗せられ、緑1色にはならないように彩りを加えている。野菜はどれも新鮮なものが選ばれ、野菜嫌いにも何故か美味しそうに見えてしまうほど輝いていた。
サラダの脇には紅玉にも似た液体が揺れる瓶が置かれ、瓶には『ルビーソース』とある。酸味のある香りが鼻孔をくすぐり、サラダによく合いそうだ。
「そしてこちらが、天使のパンクックです」
エドワード、ハルア、ショウの前に置かれた料理は、メニューでも見た丸くて平たいふわふわとしたケーキの山だ。
表面は狐色に焼かれ、さらに天使の翼が刻印されているという徹底ぶりだ。こんもりと純白のクリームが盛られ、雪のように振りかけられた粉砂糖が甘さを倍増させている。ちょこんとクリームの上に添えられた四葉のクローバーが、可愛さを表現している。
エドワードには色鮮やかな苺と宝石のように綺麗な木苺が乗せられ、ハルアにはクリームの代わりに目玉焼きとチーズソースという食事系の仕様となっていた。ショウは勝手が分からないので普通のものだ。みんな違ってみんないい。
最後に天使長は恭しくお辞儀すると、
「それでは、ごゆっくりお召し上がりください」
その言葉が合図となった。
空腹感に支配された問題児たちの前に燦然と輝くご馳走を置かれれば、どうなるかなど分かっていたことだ。
そう、彼らは食事に飛びつく狂戦士状態と化したのだ。空腹を我慢することに慣れてしまったアイゼルネとショウはのんびりと銀食器を手に取って食事を開始するが、ユフィーリア、エドワード、ハルアの3人は作法もクソもなかった。それほど腹が減っていたのだ。
大きめのサンドイッチに弾け辛子を振りかけ、焼き目のついたサンドイッチにかぶりつくユフィーリアは、久方振りの食事に感動を覚える。
「美味え……焼きサンドってこんなに美味かったっけ……」
「空腹の時にこんな甘い物を食べるなんてぇ……もはや麻薬だよぉ……罪の味すぎるよぉ……」
「美味え!! 美味え!!」
「天野菜とルビーソースがよく合うワ♪」
問題児たちの食事風景に天使長はやや困惑気味だったが、特に何も言及してくることはなかった。別に吐き出している訳ではないのだから、許してほしいものだ。
順調に焼きサンドを消費していくユフィーリアは、ふと正面が静かなことに気づく。
正面の座席にはショウが座っているはずだが、まさか許可を得られるまで食べてはダメだと教え込まれているのだろうか。やはり叔父夫婦は1発どころか3発ぐらい殴らなければいけないだろうか?
邪悪な思考回路が顔を覗かせるが、
「〜〜〜〜!!」
銀食器の肉叉を咥えて、その甘さを噛み締めて味わう可愛い子が目の前に座っていた。
そこら辺で働いている天使よりも天使らしく見える。あと何故かポコポコと花も咲いているように見える。
もしかして、彼は天使の生まれ変わりか何かか? これほど可愛いのはユフィーリアの聡明な頭脳を持ってしても理解できない。
美味しさのあまりパタパタと左右に控えめな感じで揺れるショウに、ユフィーリアは問いかける。
「美味いか、ショウ坊」
「んぐッ、ああ。とても美味しい」
花が綻ぶような満面の笑みを見せるショウは、
「こんなに美味しいものは、生まれて初めて食べた」
「え、可愛い」
あまりの可愛さに思わず言葉が漏れてしまうユフィーリア。
幸いなことは、彼にその発言が聞かれていないことだろうか。本人はパンクックの美味しさを噛み締めながらゆっくりと食べ進めていき、その度にパタパタと左右に揺れていた。
すると、彼の隣に座っていたハルアが、
「ショウちゃん、パンクック美味い!?」
「とても美味しいぞ」
「これも美味いよ!! 食ってみなよ!!」
「むぐッ」
ハルアが割と大きめに切り分けたパンクックを勢いよくショウの口の中に突っ込み、ちょっとした事件になりかけた。
口の中に放り込まれたチーズソースの食事系パンクックを何とか飲み込み、ショウはしょっぱい系のパンクックの美味しさにクワッと目を見開く。
反応がいちいち面白い。可愛すぎて困る。
「ハルさんのパンクックも美味しい」
「でしょ!!」
「次は真似をしてもいいだろうか?」
「いいよ!!」
そんな和やかな会話をする2人は、非常に仲が良さそうだ。年齢が近いこともあるだろうが、ハルアも後輩が出来て嬉しいのだろう。
「あ」
ショウの正面に座るユフィーリアは、ふと気づく。
夢中でパンクックを食べ進める彼の口元に、クリームがついてしまっている。
美味しそうに食べるのはいいことだが、行儀が悪いと思われては嫌だろう。ここは指摘してやるべきか。
「ショウ坊」
「何だ?」
顔を上げたショウに、ユフィーリアは自分の口元を示して言う。
「クリームがついてるぞ」
「んむ……?」
ショウは自分の口元を指先で触れるが、そこにクリームはない。ついているのは反対側だ。
指摘するのも面倒になり、ユフィーリアは机に身を乗り出す。
正面に座るショウの頬に手を添えると、
「こっちだ」
口元についたクリームを、指先で拭う。
指先についたクリームを舐め取れば、口いっぱいに甘い味が広がる。たまに甘い物を食べるのはいいが、ちょっとこの甘さは噎せそうになる。
余談だが、ユフィーリアは甘い物があまり得意ではない。どちらかと言えば苦めの大人な味を好むのだ。
驚きで固まるショウをよそに、ユフィーリアはそっと渋面を作る。
「甘ッ」
「あの、ユフィーリア……」
指先で触れられた口元を覆うショウは、頬の代わりに黒い瞳を真っ赤に染めながら言う。
「指摘してくれればよかったのに……」
「え、だって」
ユフィーリアの答えは決まっていた。
清々しい笑顔を浮かべると、彼女は言う。
「お前の可愛い反応を期待してたからに決まってんだろ」
頬の代わりに瞳が赤くなるとは分かりやすい。ご馳走様である。
ちなみに、その場の空気が砂糖菓子のように甘くなったのは当たり前のことだった。
一部始終を漏らすことなく目撃したエドワードの「甘酸っぱいねぇ」などというツッコミは、ユフィーリアには聞こえていなかった。聞こえていないったら聞こえていないのだ。




