ニュースと意見について
さて、近年のニュース報道では最後に短いコメントが付くことも多くなりました。
公共放送であるNHKでさえもです。
この問題点について取り上げてみましょう。
個人的にこれをやっているテレビ局の信用は半分以下、場合によっては0となります。
それは何故でしょうか。
報道で大切なことはいくつかあると思いますが、以下に三つを考えてみましょう。
特にテレビの場合ですが、一番目は重要なニュースを選択すること、二番目は事実を検証して報道すること、三番目は意見を取り上げる場合には、賛成や反対などの意見を多角的に取り上げることです。
三番目は、特にテレビでは重視されると思います。
テレビはついつい影響されてしまいますし、放送法でも定められているからです。
ここで、ニュースの最後に短いコメントを付け加えると、三番目の多角的な意見を取り上げるという観点から疑問が生じます。
短いコメントでは一面的な意見しか述べることが出来ません。
また、テレビ自体はメディアであり、"誰の意見なのか"というのが曖昧です。
基本的には主体を明らかにしていない場合には、意見を述べてはいけないと思います。
新聞記事でも、会社の意見なら会社の意見、記者の意見なら記者の意見だというべきですね。
責任の所在が不明になりますから。
基本的に署名が無ければ会社の意見ということになります。
仮に署名があったとしても、社員である限り会社の責任は免れませんけどね。
外部のコメンテーターや専門家の意見は少々異なります。
テレビに戻りまして、原稿を読んでいるのはアナウンサーですが、アナウンサーの意見では無いでしょう。
取材をしたり原稿を書いたりした記者の意見なのか、ディレクターの意見なのか、会社自体の意見なのか、何とも曖昧です。
このようなことでは意見を述べるべきでは無いと思います。
これとは別に、そもそも報道とは重要なニュースを伝えて、判断は聞き手に任せるものだと思いますけどね。
テレビで意見を放送する場合には、広く参加者を集めて番組を作り、テレビ局自体は進行役となるべきではないでしょうか。
テレビ局の関係者が、何らかの意見に加担すれば公平性に疑問が生じるからです。
たとえ個人的な意見を述べたくても、そこは我慢をするべきなのでしょう。
別の職業で言えば、通訳などが同じだと思います。
さて、三番目の多角的な意見を取り上げるという観点から、ニュースの最後に短いコメントを付けることの問題点を指摘しました。
その結果はどうなるのでしょうか。
冒頭で述べたように信用の低下です。
これにより、一番目の重要なニュースの選択、二番目の事実の検証についても疑問が生じます。
宣伝や誘導のために、重要でないニュースを取り上げたり、重要なニュースを取り上げなかったりしているのではないかというのが一番目ですね。
二番目は先入観に基づいて放送し、都合の良い発表や証言をそのまま放送して、裏付けを取らないというものです。
もともとニュースの現場に自分が立ち会っていることはほとんどないでしょうし、現代におけるニュースの多くは遠隔地からの伝聞です。
疑いを持てばきりが無いので、ある程度確からしいということで放送されていますが。
そのため、複数の角度からの検証が必要となります。
このように信用が低下していけば、そもそもニュース自体がノイズになってしまうので、余りニュースに触れないようになっていきます。
しかし現代社会で生きていくためには、ある程度のニュースに触れている必要があるので困りものですね。
さて、事実をそのまま伝えるというのは、簡単なようで案外難しいものです。
本文で挙げたような三つの条件はなかなか満たせないからです。
これらの基本を忘れた報道姿勢に終始しているようでは、いつまで経っても信用は得られないんでしょうね。