分かる人には分かるが、分からない人には分からない
文章を書いていると、どこまで詳しく説明するのかという問題に直面します。
詳しく書き過ぎると、流れが悪くなるからです。
逆に、説明不足であれば、意味が分かりにくくなります。
この時、読者と作者の間に共通の土壌があれば、ある程度の省略が可能です。
小説家になろうにおける異世界転生や悪役令嬢は、慣れてる人には読めても、共通の土壌が無い人にとっては理解は難しいそうです。
慣れ親しんでいる人には、どこが分からないのか分からないので、たまに異なる視点があると参考になるものです。
そうかと言って、詳しく説明し過ぎると流れが悪くなるので、どこまで意見を取り入れるのかは作者次第でしょう。
筆者は説明をし過ぎる嫌いがあって、自分でも読み難い文章になることが多いのですが、言葉を省略すると、自分でも読めなくなります。
まあ、内容が難しければ文章表現も難しくなりますし、異なるテーマを取り上げれば文章表現も新しいものにしなければなりません。
この辺でも、苦労をするのでしょう。
さて本エッセイでは、文章の流れを良くするためには、ある程度の詳しさを犠牲にして、読者と作者の間の共通理解に頼るべきだとの主張をします。
言葉をいくら尽くしても、共通の土壌が無ければ分からないからです。
どこかで線引きをする必要があるのでしょう。
結局、万人向きの文章とは書けないのです。
これが社会問題等を論ずるエッセイだと、現実の社会状況が問題になります。
同じ社会を見て、同じ課題に直面しているのでなければ、共通の理解が得られないからです。
どこの世界の話をしているのかが分からなければ、実際にどう対処すべきかも分かりません。
余談はそのくらいにして、小説を書く場合には、自分が対象とする読者層に理解できる前提を使用して書くべきでしょう。
ただし、それだと没個性になりがちですので、どこに目新しさを入れるのかを絞った方が良いと思います。
それ以外は、読者に合わせるべきなのでしょう。
筆者の書いているエッセイは、まずは自分向けなので自分に合わせれば良いんですけどね。
それだけでも、過不足無く書くのは難しいのですが。
最も共通理解があると思われる自分向けですら難しいのです。
他人向けならなおさらでしょう。
その辺は、他の作品や読者の反応を見ながら調整していくしかないんでしょうね。