ジョーク考察
真面目な文章ばかり書いていると肩が凝るので、ジョークについての研究です。
筆者はジョークが得意ではありません。真面目な文章ばかり書いているので。
文章のバランスが悪いのでジョークを書きたいという切実なる悩みに囚われることがあります。
筆者は比較的理系的な雰囲気のある作品が好きですが、意外と主人公が無茶苦茶するファンタジージャンルのストーリーも読んでいます。その辺でバランスを取っているのかもしれません。
さて、真面目な文章が面白くないのであれば、不真面目な文章を書けばよいのかもしれませんが、書けません。仮に書けたとしても、何か意味のある文章になるのかと言えばそれも疑問です。読んだ人に怒られるかもしれません。
そこで、真面目にジョークについて考察することになります。
実例を考えます。言い回しが面白いもの。古い例になりますが、アジャパーとかガチョーンとかあったと思います。筆者は何故かこれが思い浮かびます。特に言葉の意味がないものです。志村けんさんには、だっふんだというものがあったと思います。
これは言う人を選びますね。気軽に使えなさそうです。今の時代は、くぁwせdrftgyふじこlp;というものがありますね。登場人物が焦ったときなどに使われます。
次に誰かが、珍奇なことをしたり、失敗したことを笑うもの。これは不謹慎だと思われたり、批判されたりすることと紙一重です。
最近のお笑いで、いじるという言葉がありますが、いじめを連想させるのであまり好きではありません。
いじるといじめるは本質的には多分同じです。違うところがあるとすれば、いじる方といじられる方に力関係が無く、お互いに親しみを持っているかどうかでしょうか。
つまり、強い方が弱い方を一方的にいじったり、お互いに親しみを持っていない場合はいじめとなります。
プロのお笑い芸人でも、強い立場にある人が弱い立場にある人をいじっているように見えたり、親しみを感じないことも多いので、いじるという言葉が好きではないのかもしれません。
いじめ問題の言い訳として発生したようなところもありますしね。
このように考えてくると、ジョークは言う人と言われる人の間に、ある程度の親しさや限られた範囲での共通認識が必要なのかもしれません。客観的な視点が必要な真面目な文章とは反対の条件となります。
筆者が普段は挙げないような実例を紹介しているのもそのためですね。
インターネットの普及により、クレームが付きやすい世の中になったので、お笑いの人は大変かもしれません。誰かにとっては面白くても、広い世の中には面白く思わない人もいるでしょう。
東京オリンピックの開会式の演出でも、複数の問題が取り上げられていました。小林賢太郎氏のインターネットが普及する前の昔のネタとか別に問題にしなくてもよいと思いますけどね。笑いの無い世界に近づきそうです。
小山田圭吾氏の方はダメだと思います。周りが注意するべきだとも思いますけどね。
最後は、堅苦しいものや権威的なものへの批判をパロディで表現するもの。ストレートに言うと角が立つので。基本的に批判する人より、される人の方が立場が上の場合です。
これも、批判する人の立場の方が上の場合は単なる誹謗中傷になりかねないので難しいです。
結局、ジョークの本質とは比較的内輪で、不謹慎なことやちょっとした失敗、何かへの不満などを笑い話にし、コミュニケーションを図ることなのかもしれません。するとジョークを言うときには範囲を考えなければならないということになります。
インターネットの普及によって世界が広くなり、いろいろと厳しくなった今の世の中は昔に比べてジョークが言いにくくなったのかもしれませんね。