芭蕉翁の小閑:短編詐欺或いは1話ガチャ
「はい、お邪魔しまっせ。お身体どうだっか?」
「ああ、長さんか。いや、どないもこないも。あっちがようなったと思たら、今度はこっちちゅう具合や」
芭蕉は布団から起き上がって縁側を見遣りながら答える。
「それはあきまへんなぁ。ちょっとお伺いしたいことがあったんやけど、またにしますわ」
「いやだいじょうぶや。折角来てくれたんやから話くらい、かえって気晴らしになるし。…それで何やねん?」
大坂南御堂に近い花屋仁左衛門の貸座敷の縁側に膝を掛けたままの長兵衛が実は名残惜しいのを見極めて言う。
「ええんでっか? そなら。…他でもない俳諧のことなんですわ」
「あんさんのこさえた発句のことかいな? わてはとっくに点者はやめてるし、そやったら『俳諧師になろう』ちゅうサイトに投稿するんがええんちゃうかな」
「ちゃいます、ちゃいます。連句と発句の関係でんねん。特にえろう短い発句に存在理由があるんかっちゅう」
芭蕉はちょっと驚いたような目で見る。
「そないむずかしい話は大学の先生にでも訊き。中世の連歌、現代の連句・発句、明治以降の俳句と一概に言うけど、どのサイト見ても成立やら変遷やらは何やようわからんな」
「かなわんなぁ。人ごとみたいに」
「発句の存在理由なんてことなんで考えたんや?」
「『浮世草子作家になろう』の話なんですけど、知ってはります?」
「ああ、去年亡くなった西鶴はんが開いたサイトやな。ちょっと覗いたことくらいしかないわ」
「書き出しだけでほっといたり、いつの間にか削除しよる輩が最近多いんですわ。短編詐欺やちゅうわけだす」
「書く方かていろいろ事情あるやろうから、しゃーないやないか」
「それはそうなんですけど、そういうのは『人気が出てきたら続きを書くよ』っていうメッセージを陰に陽に発信してることが多いんだす。しかも当たりが出るまで繰り返しやりよる。ほんで1話ガチャちゅう言い方もあります」
「なるほど、それはあれか? 魚のアタマだけ並べて売ってるようなもんやろか?」
「あはは、そうだす。おいしいそうだと言ってくれたら身の方も出すって」
「…効率性だけ追求してるのが気に食わんとか、読んだ時間を返せとか、いろいろ言えそうやけど、わてはええと思うな」
「え? そうなんでっか?」
何とか堪えていた鉛色の空が夕闇とともに時雨れてきた。小女がやって来て障子を閉める。
「なんも意外なことあらへんやろ。投稿サイトになんで作品を投稿するねん。読んでほしいからやろ? あわよくば商品化されへんかなて思てんちゃうんか? 承認欲求と利益追求はなんも恥ずかしいことやない。本屋で買うた本がアタマばっかりやったり、いつの間にか消えたらえらいこっちゃやけど、ただで読ませてもろて文句言う方がおかしいんちゃうか?」
「はあ、…お師匠さんのWikiには『芭蕉自身は発句(俳句)より俳諧(連句)を好んだ』って書いてあったから、三十六なり百なりちゃんと歌仙を巻いた方が好きなんかなて」
「Wikiをあんまり頼るのもなぁ。あそこはそんなん言いながら実例で挙げてるんは発句ばっかりやないか」
「で、ホンマのとこはどうなんだす?」
「発句に決まってるやないか。今や俳句人口は3500万人とかおるねんで。連歌や連句やってる人は1万人もおらんやろ。その隆盛に最初にして最大の貢献をしたんは芭蕉だっせ」
意識が一瞬途切れた気がして、長兵衛が布団の方を見ると芭蕉は眠っていた。旅に病んで死の床に着いている干からびた老人は夢でも見ているのだろうかと思った。