上
ー序ー
僕はその時、キャンプに来ていた。
真っ青な夏空の下、大の大人がはしゃいでいた。
そこそこ有名で、名の知れたキャンプ場だったため、ちらほら人が目につく。
山の中にあるキャンプ場だった。
近くに渓流が流れ、釣りなんかも楽しめる。
キャンプ場の管理者が竿のレンタルをやっている。
主にニジマスが釣れ、大変美味なそうな。
あとで釣りもやろうかな、などと考えながらBBQの準備を進める。
ふと遠くで悲鳴が上がり騒がしくなる。
大の大人が一心不乱に走り回っている。
僕は少々苛立った。
せっかく有給をとり、都会を離れ大自然の中でのんびり過ごそうと思っていたのにこれでは本末転倒ではないか。
文句を言ってやろうと思い、人だかりに近づく。
見たところどうやら喧嘩をしているようだ。
片方が腕に噛みつき、もう片方は必死に振りほどこうとしている。
「おい、そういうことはよそでやってくれないか」
僕は苛立たし気に言った。
「違うんだ!この子がいきなり・・ぐ」
今度は首に噛みつき、そのまま噛み切った。
あたりに鮮血が散った。
噛まれた者はその場でもがき苦しんだがすぐに動かなくなった。
そこでようやく僕はこれがただの喧嘩でないことに気が付いた。
キャンプ場の管理者は警察へ連絡を入れている。
「そいつ」は次の相手を探すようにあたりを見渡し、「そいつ」の最も近くにいた者へと飛びついた。
恐怖を感じその場を後にしようとした瞬間、僕はありえないことを目にした。
噛まれ倒れた者が立ち上がったのだ。
噛み切られたはずの首からはもう血は止まっている。
その目に生気は感じられない。
甲高い叫び声を上げながらこちらを見ている。
マズい
僕はその場から全速力で逃げ出した。
-1-
僕は全速力で自分のテントへ向かった。
中へ崩れるように入り込み、ジップを上げる。
ふいに外から足音が聞こえる。
僕はサバイバルナイフを手に取り、正面で構えた。
その手は震えていた。
「・・誰か入っていますか?」
女性の声だ。
ほっと肩をなでおろす。
いますよ、と返事をしテントのジップを下す。
1人の若い女性の姿が不安げに立っていた。
僕は彼女をテントの中へ招き入れる。
少々狭く感じたがそうは言っていられらない状況であると感じた。
「外での出来事・・見ましたか?」
見たと答える。僕は続ける。
「どうも噛まれると生死にかかわらず人を襲う化け物になってしまうようです。」
「まるで映画か何かみたいですよね。」
本当にそうだ。
まるで映画や作り物みたいな話だ。
しかし、これはれっきとした事実である。
僕は彼女にサバイバルナイフを渡しながら話した。
「こうなってしまった以上、外での行動は危険です。キャンプ場の管理者が通報しているのを見ました。警察が鎮圧してくれるのを待ちましょう。」
「そうですね、それが良いでしょう。」
両者に沈黙が走る。
今は極限状態だ。
僕は気晴らしにでもと思い、話を変えた。
「僕は近藤と申します。あなたは?」
「自己紹介が遅れました。私は小林といいます。よろしくお願いします。」
「ここへはおひとりで?」
「はい、ひとりで各地でキャンプするのが趣味でして。」
「そうなんですね、若い女性のソロキャンパーとは珍しいですね。」
そうこう言っていると、遠方からかすかにサイレンの音が聞こえてきた。
どうやら警察が到着したようだ。
「僕が外の様子を見てきます。小林さんはここにいて。」
「わかりました、お気をつけて。」
サバイバルナイフを片手にテントを出る。
-2-
外はひどく荒れていた。
張られていたテントは倒され、ところどころに血液や肉塊のようなものが飛び散っていた。
恐怖が心の中で渦巻いているように感じる。
サイレンのするほうへ近づく。
パトカーが見えてきた。
そこに群がる人混みも。
しばしば轟音が辺りに響き渡る。
到着した。
そこには、パトカーを背に「そいつ」たちと戦う警官の姿があった。
手には拳銃を持っていた。
音の正体はあれだったのか
どうにか警官たちは持ちこたえている。
しかしそれも長くは続かなかった。
警官の一人が腕を噛まれたのだ。
連鎖的に防衛網が破られ、次々と警官たちは噛まれてゆく。
一人の警官がこちらに気づき大声を上げる。
「お前は早く逃げろー!」
はっと我に返り、僕は全速力でその場から逃げ出した。
何もできなかった自分の弱さを呪いながら。
-3-
テントへ戻ると小林が不安げに尋ねてきた。
「警察、どうでしたか?」
僕は首を横に振った。
「そうですか・・・警察でも駄目だったんですね。・・・これからどうしますか?」
「ひとまずテントをもっと安全な場所まで移動させます。一緒に来ていただけますか?」
「もちろんです。ついていきます。」
僕たちはテントを出て早急に荷造りを始めた。
小林はまだテントを立てていないらしく、まるまる太ったリュックサックを背負っている。
片づけながら僕は話を始めた。
「テントの置き場なんですが、騒ぎの起こった場所からなるべく遠くのほうがいいと思います。」
「そうですね。渓流の対岸なんてどうでしょう。対岸は山に覆われているのでここより安全かと。」
「私も同意です。水や食料も確保できるので立地としては最高ですね。すぐにそちらへ移動しましょう。」
片づけを終え、渓流へ向かう。
そこは美しい場所だった。
山々に囲まれた中に流れる一本の渓流。
涼し気で気持ちが良い。
マイナスイオンというやつだろうか。
最もそれが何なのかは知らないが。
対岸へ渡り、山の中へ入っていく。
ある程度進んだところで小林が「ここでいいのではないでしょうか。」と声をかけてきた。
それもそうだと思い、僕は分かりました、と返事をする。
二人でテントをなるべく近い場所に張る。
張り終えたころにはあたりは薄暗くなってきていた。
「ここらで食事にしましょう。」僕は提案した。
小林も賛同してくれた。
すぐに火の準備を始める。
二人でBBQだ。
あれを見た後では食う気が失せるかもしれない。
しかし、腐る前に消費しておきたかった。
小林は気晴らしにか、おいしいと言って微笑んでくれた。
僕も微笑み返す。
一人用のBBQを二人で分けながら夕食を続けた。
ー4-
二日ほど経っただろうか。
「そいつ」らはここへは近寄ってこない。
しかし問題がひとつ浮上した。
食料が底を尽きたのだ。
山へ入ったものの、食べられる野草とか分かるはずもなく途方に暮れた。
頼みの綱は渓流だ。
竿と餌さえあれば、そこの魚にありつける。
しかし真の問題はその竿である。
キャンプ場で貸し出されているものの、その場所は”あれ”が起こった場所なのだ。
できれば戻りたくはない。
しかし戻らざるを得なかった。
小林と話し合いをする。
「-ということで戻らなくてはならなくなりました。」
「まあ分かっていたことですがね。私も一緒に向かいます。」
小林の発言に少々驚いた。
「いえ、ここに残ってもらって大丈夫ですよ。」
「いいえ、私もついて行きます。数が多いほうが目も増えて優位だと思うのです。それに私も何かの役に立ちたいです。」
小林はこれまでの僕に対し、多少なりとも恩義を感じているようだ。
僕は考える。
女性を戦場になりうる場所に連れ出すのはいかがなものか。
しかし、小林の言った通り、数が多いほど目が増えて優位に立ち回れるのもまた事実。
僕の出した結論はー
「分かりました。一緒に行きましょう。離れないようについてきてくださいね。」
「はい!」
嬉し気に小林は答えた。
僕たちは遠征に向け準備を進めた。
-5-
持っていくべきものやルートの確認はひとしきり終えた。
いよいよ遠征へ出発だ。
山を抜け渓流を渡る。
青い草原を踏みしめながら進む。
”あれ”の起こった場所に到着した。
パトカーの周りには警官”だった”ものが数人と一般客と思しきものが数人いた。
無論、一般客も警官と同じ類のものだ。
やつら、どうも反応がない限りその場にとどまり続ける習性らしい。
これでは奥にある竿の貸し出し場へは到底たどり着けない。
そこで小林と作戦を練った。
「僕が大声を出してやつらの気を逸らすので、その間に小林さんは竿を取ってテントへ戻ってください。」
「分かりました。でも近藤さんは?」
「僕のことは心配ご無用ですよ。適当にまいて帰ってきますから。」
小林はまっすぐ僕を見つめ、そして頷いた。
作戦決行だ。
僕は貸し出し場を中心に小林と120度ほどの離れた場所にスタンバイした。
小林に目配せをし、大声を出す。
「そいつ」らは一斉に僕のほうを見た。
と同時に奇声を発しながら歩きよってきた。
うまいこと気を引けたようだ。
横目に小林が貸し出し場へ走っていくのが見えた。
そのまま彼女とは別方向へと走っていく。
ある程度進んだところで足を止め、後ろを振り返った。
やつら走ることはできないらしい。
奥で小林が貸し出し場から顔を出し走り出てきた。
竿を持っている。
うまくいったようだ。
否、小林のすぐ後ろに警官がいる。
彼女は全く気づいていない様子だった。
マズい
「小林さん!後ろ!」
小林は気づいてくれた。
しかし、突然の出来事に驚いたのか、横転してしまった。
警官はすぐそばまで寄ってきている。
「お前は早く逃げろー!」
あの時の光景がフラッシュバックする。
また何もできないのか
いや
僕は気づくと全速力で小林のほうへ走り寄っていた。
のそのそ動く「そいつ」らをうまくかいくぐり、警官へと体当たりする。
弾き飛ばした警官へまたがり、警官の頭へと手に持ったサバイバルナイフを突き立てる。
しかしナイフははじかれる。
頭蓋骨ってこんなに硬かったんだ
警官は僕の腕に噛みつこうとする。
ああ、ここで終わりなのか
「近藤さん!」
小林の声だ。
ここで終わっていいのか
いや、まだだ
僕は一心不乱にナイフを再び突き立てる。
今度はナイフは左目を貫いた。
そして、警官は動かなくなった。
勝った・・のか
僕はおもむろに立ち上がり、横転した彼女へと手を差し伸べる。
「立って、帰ろう。」
「・・・うん」
ー6-
小林はどうも足を捻挫してしまったらしい。
僕は彼女に背を向け腰を下ろした。
彼女はありがとう、とだけ言い体を預ける。
帰りは負ぶって帰った。
「そいつ」らを撒くため走りもした。
足に疲労感を覚えたが、それも苦痛ではなかった。
二人で生還できたことが嬉しかったのだ。
帰って、僕たちは暖をとる。
小林のほうから話しかけてきた。
「さっきはありがとう。助かったわ。」
「どういたしまして。当然のことをしたまでだよ。」
僕はほんの少しだけ誇らしかった。
「僕のほうこそありがとう。君がいなかったら竿は手に入っていなかったよ。」
「どういたしまして。役に立てて嬉しいわ。」
そして二人で笑いあった。
いろいろな話をした。
どこで生まれ何をしてきたのか。
夜が更けてもなお話は続いた。
「そいつ」らの話もした。
やつらは足が遅く、人を襲う時には決まって奇声を上げる。
そのことからやつらのことを”スクリーマー”と呼ぼうと二人で決めた。