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イノシシを狩って、そらの気持ちを聞いてから二回太陽が昇った。私たちは山を越え、平原を歩いていく。土の色と質感が変わって、山の麓にかかるころには不思議な臭いもするようになった。
私は相変わらずそらに背負われたままで、少しでも力になりたいから、見つけた木の実に手を伸ばしていた。そらは、いつもと変わらない。だけど、視線や言葉遣いに、家族への情とは違うものを感じて、その度に気恥ずかしくてどう反応したらいいのか分からなくなる。
(正直、まだよくわからない……)
青い目のせいで、結婚なんて考えたことはなかった。他の人のように生きていけるなんて、思ったこともなかった。
(それに、突然だったし……)
そらから結婚したいって思われていたなんて、気づかなかった。そらが隠すのがうまいのか、私が鈍いのか。ただ言われてみれば、たまにとても優しい目で見られていたなとは思う。
(だけど、不思議と嫌じゃない)
自分の気持ちははっきりわからないけれど、一緒にいられることに安心感はある。そんなことをぼんやり考えていたら、そらが立ち止まって地面を足で堀った。木の葉が積もって腐ったらしく、柔らかそうな土だ。
「ここ、種をまくのによさそう」
「そうね。近くに川もあるし」
さっき近くの川で水をくんだ。水は固くて大きな木の実に入れて持ち歩いている。
(いつまでも、狩をして動き続けるのは危ないもの……どこか、住める場所を探さないと)
そらは、ムラで保存していた種も少し持ってきていた。それがまけて、水もあって、近くに木の実とかが取れる狩場があるような場所を探さないといけないのだ。
(私が、狩をできたらな……)
この足ではまともに動くこともできなくて、ただ悔しかった。そらは「この近くを見る」と言って、また歩き始めた。私も首を巡らせて辺りに生えているものを見ていく。寒くなったら実をつけそうな木もいくつかある。
黙々と歩くそらの背中で、これからのことを考えていたら、強くなる臭いに気が取られた。
「ねぇ、そら。この臭い……」
住んでいたムラの近くでは嗅いだことがなくて、危険なものじゃないかと警戒してしまう。そらは鼻をひくつかせながら、辺りに目を配っていた。
「卵が、腐ったような臭い……前にムラ長から聞いたことがあるんだ。この臭いの近くに、温かい水が出るところがあるって。怪我にいいらしい」
「そうなんだ……」
「うん……ただ、窪地とか、風下にはあまりいない方がいいって言ってたけど」
だからそらは、風の流れや地形を確認していたのかと納得する。そしてしばらく歩いていると、辺りが湿り気を帯びて温かくなってきた。
「……あった」
そこは川だった。だけど、河原のところに水が溜まっている場所があって、その水は溢れて川へと流れ出ている。そらは水辺へ進んで、側にあった石に私を下ろした。そしてしゃがんだまま水の中に手を入れて温かさを確認する。
「うん、温かい。これなら、怪我も早く治りそうだよ」
変わった臭いがして、周辺の石は少し茶色や黄色になっている。試しに手を入れてみると、本当に温かかった。土で作った鍋に水を入れて火で温めたわけでもないのに、不思議だ。私はそっと足をつけてみる。足が水に触れた瞬間、少し熱く感じたけど、じんわりと包み込まれて息を吐いた。
「……気持ちいい」
「よかった。あおの怪我を治したいから、しばらくこの近くに住もうと思うけど、どう?」
「うん、周りの木や草は食べられるものが多いし、家に使える木も多いからいいと思う」
そらは安心したように微笑んで、自分も水辺に座り足を温かい水につけた。
「これ、いいね」
「うん、水浴びしたら最高ね」
じわじわと足から全身があたたまり、気が緩む。表情も自然と柔らかいものになっていた。ムラを出て、初めて緊張が解けた。二人でぼんやりと景色を眺めていると、そらが私に視線を向けた。
「……あお。気に入ったなら、ここに住もう。そして、二人で生きていこう。ぜったい、あおは俺が守るから」
真剣なそらの表情。嬉しくて、気恥ずかしくて、私は水面へと視線を落とした。
「すぐに答えを出さなくてもいい……俺は、あおが側にいてくれるだけでいいから」
そらは、私を待ってくれている。ゆらぐ水面には青い空と、私の青い目が映っている。だけどその顔は、ムラの川に映っていたような無表情じゃなくて、少し赤い照れた表情だ。
「そら……」
私はそらと目を合わせる。
「ゆっくりでもいい? まだ、結婚とか、好きとか、よくわからないけれど……そらのことは、大切だから」
今答えらえる、精一杯の言葉で。そらが欲しい言葉ではなかったかもしれないけれど、にこっと嬉しそうに笑った。その笑顔がさらに私の心を温かくしてくれる。
「うん、いいよ。あおの気持ちが、一番だから」
「ありがと……そら」
どれだけありがとうの言葉を伝えても足りない気がして、今の私にはそらの手を優しく握ることしかできなかった。頬が緩んで、優しい気持ちが溢れてくる。こんな思いになれるのも、そらのおかげ。
(そらの側でなら、生きていける気がする……)
私は深く息を吸って、顔を上げる。見上げた空は、水面に映るより青くて、私はその靑も好きになれそうな気がした……。
それが、強く残っている私の記憶。
「それで、そのあとどうなったの?」
いい子に話を聞いてくれた孫が、首を傾げてそう訊いた。私は目を細めて、女の子の頭を撫でながら微笑む。
「そこに家を作って、種をまいて、暮らし始めたんだよ。そして子どももできて、近くのムラと交流するようにもなって、今に繋がっているの」
「へ~、すごい」
素直に目を輝かせている孫の後ろから、長男の声が飛んでくる。
「そんなお話、信じられないって」
大人たちはすっかりできあがっていて、長男と飲んでいた次男も「縄文時代だなんて」と笑っている。それに対して孫は頬を膨らますと、唇を尖らせて私の顔をじっと見ていた。
「わたし、信じるよ。だって、おばあちゃんの目、青いもん」
そう、私は生まれつき目が青かった。もう亡くなった両親は日本人だったから、不思議なものだと首をひねられていた。この記憶を話しても、信じてもらえなかったし。
「うふふ、いい子ね。おばあちゃんも、きっとあおさんの目の色をもらったんだと思ってるわ」
息子たちは、先祖に外国人がいたんだろうって夢のないことを言っているけど、私は自分があおの生まれ変わりなんだって信じている。だから、記憶があるんだ。
「おばあちゃん、またお話聞かせてね」
「えぇ、もちろん。でも、思い出すたびに少しずつ変わってしまうの。だから次に話す記憶は、少し違うかもしれないわ」
ふわふわした記憶は、思い出すたびに少し形を変えてしまう。まるで雲のよう……。でも、見上げる度に雲の形は違っていても、そこに雲があることに変わりはない。それと同じで、あおとそらがいた事実は、変わらない。
「ふ~ん。でも、あおとそらは幸せなんでしょ?」
「そうよ。二人は幸せ。それだけは変わらないわ」
この記憶は青空に浮かぶ雲のように、儚くも、確実にある……私の宝物だ。




