その5 続々々・趣旨説明
ところで、当事者と担任はいずこ?
和井田健。
いつも人形が載った雑誌を持ち歩いている、やや奇特な趣味の持ち主である。
成績は下の上、身長は百六十に満たず、運動は苦手。クラス内ではあまり目立たない男子生徒であり、目立たないクラスメイトコンテストを行えば、そこでも「あ、いたの」と言われてランク外になるであろう男子だ。
「さて、和井田の家が人形工房なのは、皆知っているな?」
その事実は夏休み明けに知れ渡った。まさにそれだからこそ、クラスの出し物がバレエ「コッペリア」に決まったようなものである。そして、「せっかくだからコッペリア人形作って展示しようぜ」という思いつきが生まれ、すべてを和井田に丸投げすることでその構想は実現した。
「その人形工房の主宰は和井田蒼一郎。和井田の祖父だ」
この祖父が、人形作家の間では知らぬ者はいないという有名人だった。
「和井田は幼い頃から、その祖父が持つ技術全てを叩き込まれてきた」
人間国宝になってもおかしくない人形作家の技術を受け継ぐ、若き人形作家。それが和井田の本当の顔だった。
「我々が文化祭で彼に依頼したコッペリア人形。和井田は祖父の許しを得て、独力でその制作に取り組んだ。その結果は……皆が知っての通りだ」
まるで生きているような、高橋由紀に生き写しの人形。あの人形を舞台に出した時、体育館中がその精巧さに驚いた。あのどよめきは、舞台でそれを聞いていたクラスメイト全員を燃え上がらせたものだ。
「あの人形を見た名だたる人形作家は絶賛を送り、その将来性を高く評価したそうだ。フランス人形の有名作家に弟子入りするため、フランスへ行くという話も出ているらしい」
「その人形作家さん、まず弟子を取らないことで有名らしいんだけど……和井田なら考える、て言ってるんだって」
三浦の話を武久が補足する。スケールが大きくなっていく話に、女子は戸惑い、ひそひそと言葉をかわした。
「わかるか、高校二年生にして、和井田はもう未来を見据え、世界へ羽ばたく道を開きつつあるんだぞ」
「あの人形は素人の私が見てもすごかった。私、嫉妬する、て気持ちも起きなかった。もう、すごい、としか思えなかった」
武久の隣で三浦が腕を組み、うんうんとうなずいた。芸術畑の二人には、あの人形の凄さがわかるのだろう。
そんな二人の話を聞いて女子のひそひそ話が大きくなっていく。
「ちょ、あいつそんなにすごいの?」「盛りすぎじゃね?」「いやいや、インスタ出てる」「うわ、これすご。おじいさんの人形?」「あ、コッペリアだ」「和井田健……わ、フルネーム出てるじゃん」「いいねの数、すごくね?」「うっそ百万越え!?」
ひそひそ話が次第にざわめきへと変わっていく。そんな女子を見て、武久が大きくため息をついた。
「もはや尊敬、ううん、畏敬の対象。すごいとしか言えない人。そんな人に恋しちゃったらさ……簡単には言えないよね、好き、なんて」
「……あんたひょっとして、高橋に相談された?」
木葉が尋ねると、武久は小さくうなずいた。
「好きって言ったら迷惑かなあ、て……ぽつりとつぶやかれた。ちょっと、何も言えなかった」
うっ、と女子全員が息を呑む声が教室に満ちた。
高橋由紀は、控え目だがいつも朗らかで、面倒見もいい「優しいお姉ちゃん」である。クラス内ではそのようなポジションにあり、どちらかと言えば悩みを聞いてくれる人だった。
そんな彼女が、さほど親しくない武久に、恋の悩みをつぶやいたという。
「ちょ、それなんで私に相談しないわけ?」
むくれたのは高橋由紀の親友、平山優香。高橋由紀の小学校の時からの友達であり、幼馴染にして親友だ。
「優香に言うと、絶対応援してもらえる。そしたらがんばらなきゃいけなくなる、て言ってたよ」
「そんなの、がんばればいいじゃん」
「だから……がんばっていいかどうか、わかんなかったんでしょ?」
でも胸に秘めておくには気持ちが大きすぎて、誰かに聞いてもらいたかったのではないか。
そんな武久の言葉に、ざわめきが次第に大きくなっていく。やがて、一人二人と腕を組み考え出す者が現れた。我が身に置き換えてみて、さて自分ならどうするか、と考えているのかもしれない。
「なにそれ……」
不意に、そうつぶやいた者がいた。漫画部部長、海老澤である。
「なにそれ、なにそれ、なにそれ……」
「え、海老澤? どしたん?」
ブツブツつぶやきながら、体を震わせる海老澤。どうしたのかと周りの女子が声をかけ、おろおろとする中、海老澤は勢い良く立ち上がり、天井を仰いで叫んだ。
「なにそれ、尊い!」
時代は萌えではない、尊いだ。