綾崎誠の場合
僕の名前は綾崎誠。棺桶リストの一つに、『人を殺すこと』と書いて怒られるような男です。
棺桶リストというのは、死ぬまでにやりたい事柄を誇張なく並べるもので。教師曰く、有名な映画から引用したそうなのですが、詳しくは調べていません。
他に何を書いたか、ですか?
覚えてませんね。ただ見栄は張っていたと思います。
家が貧しいのをコンプレックスにしたくなかったので、誰よりも勉学に励みました。周りからは秀才と呼ばれ、奨学金制度で東京の大学に。今も好成績を収めています。
金が動機かと問われると、よく分かりません。奨学金なんて借金を背負いたくなかったのは事実です。けれど、それだけじゃない。
人の死に興味がありました。
僕は生まれついての悪人なのかもしれません。
かと言って、人付き合いは苦になりませんでした。いつも会話の主導権を握って、話し上手のようでいて聞き上手に徹していましたから。感情の機微にも敏感な方だったので。内面を晒すことなく、男女問わず人望がありました。
他者は利用するもの。無防備に心を通わせるだなんて、馬鹿げている。
僕を冷たい人間だと思いますか?
……すみません、野暮な質問でしたね。
僕の完璧な計画を、話術だけで狂わせた、刑事さんにしてみれば。
話を戻します。
***
事の始まりは一ヶ月前。
「綾崎、また奢ってやるから、酒でも飲まないか?」
「わかった」
ご存知の通り、丹田は僕の同級生です。親が不動産会社を経営しており、身なりも羽振りも良い奴でした。成績優秀な僕と交友関係を築き、優越感にでも浸りたかったのでしょう。
友人ではありません。少なからず僕としては。
誘われた居酒屋で、三言ばかり丹田の自慢話を聞いてからでした。
「後輩から相談されたんだけどよ、いきなり家賃が暴利になったんだと。大家が偏屈なジジイでさ、払えないなら出てけって。んで、引っ越しの費用もない後輩は居続けたんだが、そのジジイ領収書も渡さないらしい」
「よくある高利貸しだな。税務署に告発するべきだ」
言われるまでもないと、丹田は酒を煽りました。
「ま、そんなわけで証拠探しを手伝ってたんだが……あの名取とか言うジジイ、色んなところで悪さしてるみたいでよ。金持ちの自慢話か、稼いだ分は何に使うでもなく、今どきタンス預金してるんだと口を滑らせやがった」
「守銭奴らしく税金逃れか」
「こっからが傑作でな」と丹田は面白そうに笑いながら、「試しに後輩が家賃を払った後、どこに隠すか見てたのよ。そしたらジジイ、あろうことか窓際のタンスに仕舞ってたのさ」
「へぇ」
おかしいと思われるかもしれませんが。
ここで僕は、強盗殺人をしようと決意しました。
老い先短い年寄りが、大金を持って何の価値がある。それなら未来ある若者に譲った方が利口ではないのか。悪どい手口で奪った金なら、僕の心も痛まない。
その後、丹田と話を進めていき、自然な流れで名取の住所を聞き出しました。
丹田と後輩が馬鹿な真似をしないように、どれだけ窃盗罪が重い刑罰なのかを教え、警察が如何にして有能なのかを騙る。正攻法として、引っ越しをする費用の工面も添えて。
酒抜けして青ざめた顔に、感謝の言葉が丹田の答え。
説得は容易でした。
翌日から僕は、どうやって刑罰から免れるのかを考えていました。
犯人逮捕に至る手がかりを減らす点でも、やはり窃盗より殺人の方が良い。それだけ溜めた大金、家を長く空けるなら別のところに隠すか、持って行くはず。狙いは在宅時。
具体的な構想を練るのに半月です。あらゆる可能性を考え出し、理論で地道に打ち消していく。
最も安全で確実な犯行――これに比べれば、大学の勉強など取るに足りなかったです。
そうして僕は、完璧な計画を作り上げました。
決行の三日前、四月二十七日。
名取の家を訪ねました。古く立派な一軒家で、庭に梅と松の木が植えられていたと記憶しています。
インターホンに応えたのは、しわがれた声でした。
『名取ですが』
「税務調査の者です。お話を伺いたく訪問したのですが、よろしいでしょうか」
老人は言葉を詰まらせました。思ってもみなかったのでしょう。
しかし流石は性悪な守銭奴、一分もしない内に戸を開けました。
悪徳商法をしている割には、貧乏そうな見た目。怪訝な顔を浮かべ、疑り深く僕を見ます。
入学式で着たスーツ姿に、マスクと伊達メガネ。マスクは花粉対策の名目で、顔を隠すのに使いました。
「何の用件でしょう」
「先日、税務署で相談がありまして、名取さんが借家にしている住民から問題が起きていると。外でお話する内容でもありませんし、中へ入れさせて貰えませんか」
無為に断れないのは分かっていました。家宅捜索という手を打たれて困るのは名取なので。
すんなりと畳張りの居間へ通されました。僕が若いのもあって、やましいことでも隠し通せる、という矜持があったのでしょう。
軒先の監視カメラ、窓や扉周りの防犯センサー。これも想定内。
座布団、掛け軸、壺。本番で役立つ物に目星をつけます。僕が用意するのは最小限に。
「で、話というのは」
「こちらです」
僕は持ってきた鞄から紙を取り出し、すっと渡しました。それは家賃の変動額を表す書類です。既に丹田の後輩は引っ越しを済ませていたので、これは架空の資料でしたが――真実味があるように作りました。
名取は弁解しました。僕は、それを受け入れました。高利貸しの証拠なんて用意しているわけがない。
ここで大事なのは、僕が疑われず名取の家に居ることでした。
事実確認という体は崩さず、相手の道理に従って。
あっさり引き下がった僕に、名取は気分を良くしました。玄関まで見送りに来たくらいです。僕も深々と頭を下げ、帰路に着きました。
決行の二日前。
この日は午前と午後に分け、別の場所で道具を調達しました。包丁と黒い布はホームセンターで、革製の手袋はディスカウントストアで購入。どちらも混雑する店なので足取りを追われることはない。当然、指紋も消しておきます。
苦学生には手痛い出費でしたが、成果を思えば安い買い物です。
これで準備は整いました。
決行の前日。
あと僕がするべきなのは気持ちの整理。
綿密に立てた計画を、寸分違わずに実行すること。脳内で思い巡らし、実際に体も動かしてみます。
犯行はシンプルかつ効率的に、というのが僕の持論でした。いえ、正しくは推理小説の受け売りですが。
真実を嘘で隠すから暴かれる。だったら初めから、あからさまに行動した方が賢いのです。
僕は計画を練り終えた後の半月、とある習慣をしていました。名取家の前を通り過ぎ、並木道のベンチで本を読むという行為です。
偽の税務調査員という接点しかない僕ですが、それでも人目に触れる可能性は捨てきれない。名取の家に入るところでなくとも、道を歩いていること自体が違和感になるのなら――それを消す理由が必要でした。
あとはシンプルです。
犯行当日、以前と同じ格好で名取の家を訪ねます。ただし鞄の中に、包丁と革手袋、そして現金を隠す黒い布を忍ばせて。
夜だと怪しまれるので、白昼に堂々と。新しい証拠がある、とでも言えば信用するでしょう。
居間へ通される間、革手袋を嵌めて背後から絞殺します。これなら叫び声も上げられない。
力の差は歴然でしょう。多少の抵抗をされ、僕の毛髪や服の一部が落ちたとしても、構いません。その為に僕は、事前に名取家を訪ねていたのですから。
死体を居間まで運び、胸に座布団をあてがいます。座布団越しに包丁を刺せば、返り血は浴びません。絞殺では稀に息を吹き返すこともあるので念入りに。
事後は、ゆっくりタンス預金を探します。
見付けても全額は奪いません。少額だけでも残せば、強盗殺人とは思われないからです。どれだけ着服していたのかなんて、名取以外の誰かが知る由もないので。
血のついた包丁は革手袋で包み、持って帰ります。近い内、どこかの公園にでも埋めてしまえば証拠隠滅。
奪った現金は名取に倣ってタンス預金です。銀行口座に振り込まれると、それだけ怪しまれるので。生活水準を変えずに、機を見計らいながら使っていきます。
嘘を知った者が死に、真実だけが生きるのです。
名取から僕に繋がる線は、丹田からでしかあり得ない。万が一、警察が丹田に至ったとしても、僕は犯罪を止めるように助言しただけ。
こうして思い起こすだけでも完璧な計画でした。
そして決行日。
僕は計画通りの格好で名取家を訪れました。手はず通りの口八丁。
がらりと戸が開き、名取が姿を現します。これから、この老人を殺すんだ――という黒い感情が湧き上がりました。
そんな時です。
奥の方から、のっそりとした足音が聞こえて。
「来客ですか? やっぱり私ぁ日を改めますよ、名取さん」
刑事さんと――初めて出会ったのは。
大柄の猫背、獅子鼻で髭が濃い、中年男。
皆が、刑事さんに騙された。
僕の前で供述調書を綴っている、あなたのことですよ。