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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ザ・デッドマン

作者: 天酒之瓢


 前触れなく、私は目を開いた。

 視界は暗い。完璧な闇だ。目が慣れるなどということは決してない、そもそもここには光が存在しない。


 手足を伸ばそうとした私は、ここがひどく狭い場所であることに気が付いた。狭いなどという生易しい表現では収まらない。まるで『棺桶』のように空間にまったく余裕がないのだ。

 ――『棺桶』?

 その時、私はぞっとするような冷たい感触をおぼえた。


 焦りを感じて力まかせに天井を押し上げる。狭い空間、不自由な体勢。だというのに程なくして天井が持ち上がり始めた。昔、自宅にたまった雑誌を捨てに行ったときよりもこの天井は軽いように思える。

 もちろん私は一気に天井を押し出した。

 途端に周囲から黒い何かが押し寄せてくる。黒いというか暗闇で色が見分けられないだけなのだが。

 すぐに気付いた。これは土だ。土なのだ。その瞬間、私の中で恐るべき想像がひとつの形をなした。


 ――私は文字通りの意味で埋葬されていた。


 上にかぶさっていた土を押しのけ、棺桶の蓋を投げ出し、私は現世に還ってきた。

 頭の中は混乱し、周囲の様子をただぐるぐると見回す。やがて私は視線を落とした。

 ただひとつの現実が私の目を惹きつけてやまない。それは己の手だ。腐食している。腐っている。この手は間違いなく死んでいる。

 すとんと何かが腑に落ちた。

 ああ、私は死んだのだ。そうして自然なこととして埋葬されたのだ。

 還ってきてしまった今こそがただ不自然なのだ――と。


 私の身体は生者にあるまじき青白い色合いと化している。

 心臓は鼓動を刻まないし、虫とバクテリアが私の身体を大地に還そうと盛んに活動している。

 にもかかわらず私はこうして『私としての意識』を保っている。

 痛覚はない。

 どころか感覚自体がないに等しい。思えば棺桶の蓋を押しのけたときも感触に乏しかった。


 ふと、私は胸を締め付けられるような強烈な孤独を感じた。

 感触を得られないということは周囲の全てから切り離されたにも等しい。私の身体は何も感じないが、私の心は究極の孤独を感じている。

 そんな感情の高まりも、心の臓が跳ねることも汗が噴出すこともないこの身体では長続きしなかった。


 私は立ち上がった。

 この意識があるだけでもどうしようもなく不思議なのだが、さらに動くのだ、この身体は。

 どうやっているのだろう。脳から神経を通じての電気指令、筋肉繊維の収縮、栄養をいき渡らせるための血流。

 そんな当たり前の科学知識は、死体が歩くという不可思議な現実の前には無力に過ぎた。


 ただ、死の先にあるこの身体は無闇な混乱に陥らないらしい。それだけが今は救いであったといえよう。

 こんな身体で錯乱し暴れだした日には、私はもう完全に『化け物』になってしまっただろうから。

 私が、私である。

 この理性の輝きだけが私を『化け物』ではなく『人間』の側にとどめているのだ――。



 棺桶を脱した私は当てもなくふらふらと歩いていた。

 何故だろうか、街は妙に濃い霧に覆われている。街。私が生まれ育ち、そして埋葬された街。


 鉄道の沿線にある、都市部から少し離れた郊外のベッドタウン。自然は多く、それでいて仕事にも物流にも困っていない。

 それゆえか街から離れようとする者は少なかったと思う。かくいう私もその手合いだ。


 少し前――『生前』には、鉄道で三駅向こうにある商社に勤めていた。父母はまだ生きている、はずだ。

 妻子はなし、特に不満もなく平穏な日々を暮らしていた。このような非日常など『生まれてはじめて』の体験である。


 霧にけぶる風景の中を彷徨い、私は住宅街までやってきた。

 白くかすんだ景色はひどく静かだった。静か過ぎる。さすがの私も違和感を覚え始めていた。

 埋葬されていた『墓地』より這い出てからこちら、私は動くものに出会えないでいた。生者にも、死者にもだ。

 今なら異形の化け物と出会っても仲良く談笑できる自信があるというのに。

 この街の規模は小さいともいえない。死者はさておき生者の一人もいないというのが少し不思議だった。



 やがて私はかすれた景色の中に動くものを見つけた。

 ――少女だ。一人の少女がいる。

 ああ、しかも。そうだ、彼女は生きている!

 血の赤みがさした顔を見よ、あれは生者の証だ。

 呼吸の音を聞け、それは生をつなぐための意志に満ちている。

 そして私を見つけたときの、驚愕に収縮した瞳を。


 ああ。彼女の瞳には微生物に食い荒らされ、腐敗を始めた死体が映っている。死体が――歩いてくる光景が、映っている。


 私は思わず天を仰ぎそうになった。

 何を悠長にしているのか。今の私はどこに出しても恥ずかしくない立派な『化け物』だ。

 例え内部には清廉潔白な魂を宿していたとしても、外見的には汚らしい腐りゆく死骸なのだ。

 どう考えても私は少女にとっての脅威でしかない。


 ひどく悲しいことであるが、私はせめて害意がないことをあらわすべく彼女から距離をとって立ち止まり、両手をゆっくりと挙げた。

 これで彼女が逃げ出すなら仕方ないが、意志持つ私には感情がある。

 自分が化け物として生者に襲いかかるかのように解釈されるのは我慢がならない。


 案の定、彼女は踵を返すと猛烈な勢いで走り出した。

 私の顔は意外と素直に自嘲気味の表情を形作った。さて、ここからどうなるのだろう。


 彼女は大人を呼ぶだろう。大人が来ればそこにいるのは歩く死体。

 それからどうなるかなど、火を見るより明らかだ。それが私であっても、間違いなく墓場に送り返そうとするだろう。

 ――次は決して起き上がらないように『加工』してから。


 物思いの時間はさほどの時間も続かなかった。

 悲鳴が聞こえてきたのだ。

 幼い少女があげたのであろう、絹を引き裂くような甲高い悲鳴が。


 その出所について迷う時間は必要なかった。

 私は駆け出す。どうにもこの腐りかけの身体はずいぶんとよく動く。『生前』の記憶と比べても非常に軽快な動きで走ることができる。

 おかげで私はすぐさま悲鳴の源――先ほど逃げ出した少女のところへと駆けつけることができた。


 尻もちをつき後ずさる少女。その視線の先にいたのは正真正銘の『化け物』だった。

 『それ』も歩く死体に言われたくはないかもしれないが、私などまだ人型をしているだけましだ。

 『それ』は違う。二本の脚を持っている。だがその上には、人間の上半身をダイナマイトで吹っ飛ばしてから適当に固めなおしたかのように歪な形が乗っかっていた。


 無秩序に膨れ上がった肉塊、ほうぼうに向けて生える多量の腕。頭はなく目や口といった器官も見当たらない。あったらあったで正気を疑うようなくっつき方をしていたのだろうが。

 しかも『それ』は、醜い肉腫に覆われたおぞましい腕を少女に向けて差し出していた。

 今にも少女をつかみ、抱きしめ――まるで肉塊おのれに取り込もうとしているかのように。


 駄目だ!

 その時、歩く死体であった私の中に強烈な意志が漲った。

 私は死体だ。歩く死体だ。だが彼女は生きている。ならば私は彼女を護らねばならない。

 おおそうだ。きっとそうなのだ。それが私が再び『立ち上がった』理由なのだ。このか細い生を護るために、私はわずかな死までの猶予を得たのだ。

 彼女が生をつなげる場所まで、『安全』な場所まで送り届ける。それが死にぞこないの私がここに在る意味なのだ。

 それでこそ私は未だ『人であると』高らかに謳うことができる。

 迷いはなかった。


 死体であろうがなんだろうが、動きのいい身体が今はありがたかった。

 私は迷いなく『化け物』と少女の間に割り込むと、そのまま『化け物』に対して力任せに拳を叩き込んだ――。



 飽きた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公は秋田犬(苦しいわっ)
[良い点] 最初に読んだとき最後の「飽きた」には 自己修復する化け物を延々と殴り続けることに飽きてしまったとか 戦ってる途中で少女を守る気が失せてしまったとかの 人間性の喪失を感じる深いオチが想像でき…
[一言] なぜ公開したしw
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