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第2話:共生と契約


 あの日と同じだった。


 二頭の馬でけん引される馬車の荷台で母と身を寄せ合っていた時、突如として鳥とも獣とも思えぬ独特な咆哮が大気を震撼させて。

 強大な熱風と衝撃が襲い掛かってきた。

 反転を繰り返す風景。鈍い痛み。母の悲鳴。

 フィーリアの意識は、何が起きたか理解できぬまま、そこで一度途絶えた。


 ――フィー、リア、よく……お聞き。


 掠れた声がフィーリアの意識を少しだけ引き上げる。

 うすぼんやりとした視界の中で、重症を負った父が幼いフィーリアを馬の背中に括り付けながら、懸命に何かを伝えようとしていた。


 ――もう100年も前だが、この先に大きな村があった……土地の条件が良かったから、きっと、今は……もっと栄えて……。


 ――彼らは、私達のような異種族にも優しかった……きっと、力になってくれるはずだ。



 父は愚かだ。


 身体に蛭が張り付き、蛆がはい回る。


 ――村におかしなことが起きるようになったのは、たしかにお前が来てからだ。


 ――でもまぁ、安心しろよ。


 ――俺はお前を追い出したりはしない……どうせ、長くない命だからな。


 ――それに、こうやって()()()()()()()()、永遠の命ってやつにあやかれるかもしれねぇしなぁ……?


 ――だから、ほら、もっと……俺に尽くせ、耳長(みみなが)


 蛭と蛆が耳の中に張り付いて、離れない。



 村が、家が、人が――セカイの全てが燃えている。


 フィーリアが村に戻った頃には、何もかもが終りに近付いていた。

 長く水不足の続いた小さな村。空の死神が放つ炎には、薪の代わりとしても不足だった。全てが灰塵と化すまで、そう長くはかからない。


 燃え盛るセカイに、逃げ回る人々の姿はなかった。

 ほとんどが既にどこかへ逃げたか、焼け死んだかのどちらかだろう。

 

(わたし……どうして戻ってきたんだろう)

 

 轟々、バチバチと、炎の精霊が猛り狂っていた。

 フィーリアは煉獄の風景を虚ろな双眸に映しながら、ふらふらと俳諧する。

 逃げようとは思えない。

 逃げた先にこの村の住人がいたら、死よりも辛い仕打ちが待ち受けていることは、この3年間の体験から容易に想像がついた。

 

(ああ、そうか)


 その想像から、ようやく自身の行動に合点がいく。


(死神に会いにきたんだ。……空の死神に)


 死神はきっと連れて行ってくれる。両親と同じ場所へ。

 両親を殺したことへの恨みがないといえば嘘になる。だが、復讐の炎を燃やすには、少女の心と身体はあまりに摩耗し過ぎてしまっていた。

 ただ、終りにしたい。これ以上、魂が汚れきってしまう、その前に。


「フィー……リア……」


 耳の中の蛭/蛆虫が、耳の中で再び蠢き始めた。

 驚愕に目を見開いたフィーリアが視線を向けた先には、この3年間自身が囚われ続けた牢獄――そのなれのはてが、無惨な姿を晒していて。

 ちょうど入り口の辺りで、あの男が下半身を残骸で押し潰された状態で横たわっていた。

 

「た、助け……――ごぶっ……」


 汚泥のようにどす黒いものが、あの悪臭を放つ口内からこぼれ落ちていく。

 

「助けてくれ、フィーリア。俺の……フィーリア……。ぁ、熱いんだ……早、ぐ……」


(どうして……?) 


 フィーリアは業火の熱を肌で感じながらも、頭と心の中が急速に凍てついていくのを感じていた。

 どうして――コイツは、あれほどのことをしておきながら、そんなことが言えるのだ。


「早ぐ、してぐれ……! お、俺が一体、どれだけ村の皆を説得してやったと思ってるッ!? 疫病神のお前を、この村に置く為に、どれだけ……!」


 蛭と蛆が混ざり合って人型になったものが何事かを呻いている間、氷のような少女の瞳は、その傍らに打ち捨てられていた農具に向けられていた。

 小さな鎌だった。不要なものを取り除く為の。


(そう、か)


 フィーリアの脚がゆっくり前へと進む。

 少女の行動をどう受け取ったのか、蛭と蛆の集合体が気色の悪い笑みを浮かべたが、もうどうでもよいことだった。


("コレ"は――もっと早く、こうするべきだったんだ)


 氷の心で、フィーリアはそれを掴む。

 錆ついた小さな鎌。少女の手にはぴったりのサイズで、とてもよく馴染んだ。

 蛭と蛆が、ぶるりとその肥満体を震わせた。


「――や、やめ……ぅぎっ……!?」

 

 フィーリアはかつて発揮したことのない俊敏さで駆け寄ると、禿げかかった頭髪を迷いなく引っ掴んだ。そのまま引き上げ、刈るべきものを露わにする。

 どくどくと脈打つ血管に、小さな鎌を押し当てる。

 錆びついているから、きっとかんたんには切れないだろう。

 だから、全力を込める。


 喉をかき切るのは思っていたより大変で、少しだけ時間がかかった。

 その間。

 フィーリアは3年ぶりに心の底からの笑顔を浮かべていた。



 獣のような断末魔を長いこと上げていたムシが、すっかり静かになってからも。

 フィーリアはその場を動かなかった。

 やり残したことがないと言えば、()になる。でもそれは、こんな脆弱な身体では叶わない願いだ。

 だから。

 返り血で染まった小さな身体に、穢れた血の滴る鎌を携えて、炎の中でただ終りを待つ。


 正確には――終りを齎してくれる存在の到来を。


(来る)


 たちこめる黒煙のとばりを、巨大な何かが突き抜けてくる。

 フィーリアが視界に捉えてから、はじめの僅かな間は銀色をしていた。

 ギラギラと輝く銀のウロコはしかし、こちらに近づいてくるにつれて、徐々に周囲の景色を取り込んで変わってゆく。

 煌々と燃ゆる火炎を反射し、炎の化身の如き鮮やかな山吹色の輝きを身に纏って、


(来る……!)


 フィーリアの視界一杯に広げられた二対の大きな翼がバサリバサリと数度羽ばたき、"それ"の降下速度を減じた。

 嵐のような烈風。しかしフィーリアは踏みとどまった。

 潰れても構わないという思いで、目を見開いたまま。

 空の死神の威容を、その目に焼き付ける為に。


「――ドラゴン」


 山吹色に輝く銀竜が、目の前に降り立った。

 フィーリアにとっての牢獄の残骸と、彼女によって首をかき切られたムシを、あっさりとその巨大質量で押し潰す。

 ぐしゃりというささやかな音がして、赤黒い粘液が視界の端で弾けたような気がしたが、もうそちらに視線を向ける価値も意味も、到底感じられなかった。


 ドラゴン。

 壮麗なる空の覇者。

 人類の天敵にして――死神。

 家族を奪い、この地獄にフィーリアを叩き込み、その地獄さえも焼き払った、死の象徴たる存在。

 フィーリアは右手に鎌を握りしめたまま、銀竜に魅入っていた。


 鎧のようなウロコでびっしりと覆われた尾が振り上げられ、背後で崩れかけていた家屋の一部が粉砕される。

 飛び散った破片がフィーリアの肌を掠めたが、それでも少女は動かなかった。


『フム……――あの時の喰い残しが、中々どうして……』

「……え?」


 ドラゴンが喋った。

 びっしりと生え並ぶ鋭い牙の向こう側から、人間の男の声が発せられた。

 しかしそれ自体よりも少女を驚かせたのは、ドラゴンの"声"だった。


(父さんの声……)


 僅かな記憶の残滓。別れの瞬間しか思い出すことができない、父の優しさに満ちた声。

 ドラゴンはかつて喰い殺した父の声を自在に操っていた。


『面白い色に染まったな。――殺しを嫌う"あの種族"を、こうも貶めるとは。やはり人間は素晴らしい』


 何を言っているのか、フィーリアには理解できなかった。

 だからただ、待った。

 終りが来るのを、じっと待つ。

 けれど、いつまで経ってもドラゴンは審判を下さない。


「どうして殺さないの……?」

『ふたつ理由がある』


 痺れを切らした少女の問いに、ドラゴンははっきりとした口調で応じる。


『ひとつは、まずいからだ。オレ達は人型種族の絶望を好む。特に、貴様らが守りたいものを奪われる時の絶望はたまらぬ。――だが、』

「わたしには……それが無いっていうの?」

『人型種族に生まれながら、家畜の如く死を受け入れた貴様のような魂には、喰う価値がない。逆に、毒になりかねん』

「……そう」

 

 フィーリアは淡々と受け止め、「たしかにそうかもしれない」と答えた。


「残念だけど、それなら仕方ないね。……自分のことは、自分で終わらせるしか――」

『――今は、まだ、な』


 苦笑しながら鎌を自分の首に押し当てた少女の動きを、僅かな興味が押しとどめる。


「待っていれば、わたしにも守りたいものができるっていうの……?」

『いいや』


 さも愉快そうにドラゴンはその可能性を否定した。


『貴様ほど堕ちた魂には、今更のことだ。そんなものはもう、未来永劫期待できぬよ』

「じゃあ、何に期待しているの?」

『――貴様を殺さぬ、ふたつ目の理由』


 鋭い鉤爪を備えた強靭な脚が、燃える残骸からどけられ、少女の方へとゆっくりと踏み出された。

 ドラゴンの獰猛な顔が、フィーリアを至近距離で真正面から見据えてくる。

 フィーリアには何故かその顔が、笑っているように思えた。


『貴様には、恐怖や絶望とは対極に位置しながら、オレ達の好物たりえる"或る感情"を生み出す才覚がある。そんな人型種族は、意外にも貴重でな。ましてや――争いを嫌うエルフの中では、ここ数百年でも前例がない』


 フィーリアは、その先の言葉を待つまでもなく、竜が何を期待しているのかが予想できた。

 今の自分が唯一欲するものといえば。

 一人では実現できぬと諦め、それぐらいならここで死を選ぼうと思っていたことといえば。


『オレ達は……オレ達に近い精神構造を持った知的生命体の、精神的な快楽を好む』


 先に、ドラゴンは人間の恐怖と絶望を好むと言った。

 フィーリアは目を閉じて――確認の為に――"あの男"の苦悶の叫びを思い出してみる。

 数時間前までは蛭や蛆が耳の中ではい回るような気分にさせられた醜い声。けれど、悲鳴に関してだけは別だ。

 何時間だって聞いていられる。

 復讐という思いは当然あったけれど、それ以上に。

 "奪う側"に回るという甘く激しい感覚こそが、フィーリアを魅了していた。


『――足りぬであろう? 一人では』

「……足らない」


 目蓋をきつく結んだまま、少女は己の歪んだ欲を肯定する。


「ぜんぜん足らない。わたしはもっと……もっと……」

『ならば契約を結ぼう』


 フィーリアの目が大きく見開かれた。


『我が力の一端を、貴様は授かる。――竜の理に生きよ。我に供物を捧げ続けるのだ。その命、尽きるまで』


 フィーリアの傷だらけの腕が、そっとドラゴンの鼻先を撫でさすった。

 血の滲んだ、形の良い唇がどう猛な笑みに歪んでいく。

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