第72話
3.
案の定、アフタヌーンショーが終わる夕方の時刻になっても、Aがいるスタジオでは何も起こらなかった。
メインキャスターが何度も不手際を謝り、Aと一緒に第3スタジオにいたアナウンサーも何度も腰を折って平謝りに謝り続けた。ネット上ではテレビ局の不手際に対する辛口のコメントが飛び交い、放送局の団体では放送事故まがいの事態を問題視する動きも見られた。
これにより、恐らく2度とAを取り上げようとするメディアは出てこないだろうと、神大寺は大喜びしていたが、美愛だけはAのことを気の毒に思っていた。
「ふあーあ……新幹線乗せてもらったのはいいですが、昨晩遅うに連れてこられたのはなんか、ただのオフィスビル。しかも屋内にテント張って寝るっちゅう、とんでもない体験させてもらいましたわ。
一体俺に……何をさせよう思うとるんですか?」
美愛たちがNJビルの1階応接で賄の朝食を食べようとしていたら、上から一人の青年が降りてきて、不満顔で誰に尋ねるでもなく、応接の面々を順に眺めながら問いかけてきた。
「ああ……夢分君、目が覚めましたか?昨晩の到着がずいぶん遅かったから、もう少し寝ていてもよかったんですがね。妹さんは?」
「妹?ああ……美見でっか?今日はピーとかないから、名前言ってもええんですやろ?
部屋がないとかで一緒のテントに寝ることなったんですが、なんや俺と一緒やと潰されてまうっちゅうて、わざわざテントの外まで寝袋を出して寝とったようですわ。
夜中につぶされそうになって目が覚めてまったとかで、もうちょっと寝るっちゅうてましたわ。」
すでに学生服に着替えている夢分は、眠そうな目をこすりながら研究員の問いかけに答えた。
「そうですか……じゃあ、ここで一緒に朝食にしましょうか。何がいいですか?和食だと焼き魚と納豆とごはんとみそ汁で、洋食だとハムエッグとサラダにスープとバタートーストですけど、どちらがいいですか?」
「納豆?そがいなもの食えへんですわ……洋定にしておきます。」
「あっじゃあ……あたしは食べ終わったから、ここに座って。すぐに、持ってきますから……。」
ちょうど食べ終わった美愛が席を立ち、調理場へトレイごと食器を持っていった。
「おはようさんです、夢分いいます。高3ですわ。」
「おはよう、夢幻です。さっきのは妹の美愛。俺は高3で美愛は高1。」
「おっおはよう……ございます、夢三、高3です。こっちが妹の美樹……中学1年。」
夢分が席に座りながら自己紹介するとともに、夢幻たちも自己紹介した。
「ほないすっと……お兄さんたちがあの……寝とるときに浮かび上がったり消えたりする、お兄さんたちでっか?ここへ来る時の説明では、兄やんと同じように寝ているときに特殊な能力発揮する人たちが、集まってるいうてましたから……よほどごつい人たちや思うとりましたけど……なんや見た目普通ですなあ。」
すると夢幻たちの背後から、かわいらしい声が聞こえてきた。
「なんや美見……起きとったんか……。」
「そりゃ寝坊助の兄やんより、目覚めはいい方やからな……でもきんのうは、ちょっとね……兄やんがいくつにも分裂して、迫ってくるもんやから寝とれんかってん……ちょっとだけようけ寝させてもらったわ。
いっつもは2つに分割するだけやったんに……なしてまたあないに……。
あっ自己紹介が遅れました……夢分の妹の美見言います、中2です。兄やんともども、よろしゅうに。」
妹の美見が、笑顔で会釈する。兄の夢分も身長は170センチほどで、夢幻たちに比べると小さい方だが、妹の美見も小さい。恐らく身長は150センチもないくらいだろう。少し大きめのセーラー服姿が初々しい。
「あら、妹さんも起きてきたのね。関西だと納豆は食べないって聞いたから、洋食でいいわね?」
夢分のための朝食を持ってきた美愛が、トレイを夢分の前に置きながら美見に尋ねる。
「すんませんなあ……洋定をお願いします。」
「じゃあ、あたしも食べ終わったから、ここへ座るといいですよ。美見さんの分は、あたしが持ってきます。」
すぐに美樹が立ち上がって美見に席を勧めると、調理場へと駆けて行った。
「ここは、お代わり自由だから、トーストでもハムエッグでも追加で持ってくるといいよ。どうせ後から、俺たちよりもさらに体の大きな事務員さんたちがやってきて、どれだけ残っていてもあっという間に平らげてしまうから、いつも多めに作っているからね。」
焼き魚も納豆も2皿ずつ持ってきて、ご飯はどんぶりに大盛りによそっている夢幻が、食べながら夢分に笑顔で告げる。
「おおそうでっか?そいつはありがたいでんなあ。まあでも、腹も身の内言いますからね。朝食はこんなもんにしておいて……これでも普段の倍以上ありますさかいなあ……。」
夢分はそう言いながら、トーストを口へ持っていった。
「はい、美見さん……どうぞ。」
すぐに美樹が、美見の分のハムエッグトーストを持ってきてくれた。
「おっ……おはよう……皆食事中のようだね。そのまま聞いてくれ。
すでに自己紹介は終わっているかな?NJ所長の神大寺です。妹の美見さんとも、昨日あいさつしたよね?
ここは夢分君のような睡眠時に発生する超常現象に関して、治療に役立てるため様々な観点から解析を実施している研究所だ。MRIやCTスキャンのような病理解析装置も導入して、発生時の状況を解析しようとしているのだが、肝心の被験者の状態から未だにまともなデータが取れずに、解析方法を検討している。
今ここにいるのは睡眠時浮遊症候群の夢幻君と、睡眠時時空加速症候群の夢三君の2人だが、加えて睡眠時透明化症候群の夢双君がいる。そうして今度は睡眠時分裂症候群の夢分君が加わるということだ。」
いつの間にか出社してきていた神大寺が、オフィスの方から声をかけてきた。応接とオフィス間にあったパーテーションは取り払われていて、今では素通しなのだ。
「そうですね……まずは緊急性の高い夢三君と夢双君の解析をしようと、装置を導入したのはいいのですが、夢三君の場合は時を止めるというか、凄まじいスピードにまで時を加速してしまいますので、寝ている間は装置に電源供給されないため、解析不可能。
夢双君の場合は透明化することにより、あらゆる電磁波を素通ししてしまうため、こちらも解析不可能となっております。夢三君の場合は、自家発電装置を持ち込んで装置電源確保を検討しておりますが、いかんせん大電流が必要なもので騒音や設置スペースの問題があり、発電装置の選定に時間がかかっております。
夢双君の場合も同様ですね……発電装置ごと、透明化膜の中に入る必要性があるようです。
夢幻君の場合は……体が浮いてしまうものですから……こちらの場合も装置を土台から切り離せるような工夫が必要となっておりまして……さらに今度は分裂……ですからね……研究者泣かせと言いましょうか……まあ、やりがいがある症状と思っております。」
一緒に朝食をとっていた白衣の研究員が、嬉しそうに夢幻たちの解析予定を説明する。
「ええっ……俺は別に……この症状を直そうなんて思っとらんですよ。昨日は失敗しましたけど……テレビ局からもようさん文句喰らいましたけどねー。そやけど、もう寝れるっちゅう時に、起こそうとすっからあかんのや、あのままもう5分置いといてくれたならなあ……うまいこといったのに。」
夢分は特に今の病状を直すつもりはないことを明かす。さらに昨日の失敗を、テレビ局のせいに転嫁した。
「ああそうですか……睡眠時分裂症候群……十分厄介な病状と思いますけどね。
でも妹さんの話から、昨晩はきっちりと眠ることが出来て、そうして分裂した様子ですね。しかもいつもと違い、昨晩は複数に分裂したとか。本来ならば、テントにカメラを設置するところだったのですが、テレビ局でのことがあり、カメラがあると寝付きにくいとまずいので取りやめたのですよ。
ですので……後でもう一度寝なおしていただくことは可能でしょうか?」
白衣の研究員が、美見から夢分へと視線を移す。
「ああ……朝は美見に起こされて……自分はもうちいっと寝る言いながら、俺だけ起こすんですわ……ひどいでしょ?ですから……ちっとなら寝れまっせ。特に腹も満たされてきましたから、何でしたら、この後すぐにでも問題のう寝れる思いますよ。」
トースト2枚とハムエッグに付け合わせのサラダを平らげ、夢分が笑顔で答えた。
「それはありがたいですね……では……これから……歯磨きはされますか?食べた後ですから、お口の中はきれいにしたほうが……虫歯になっては困りますからね。」
「そうやで兄やん……歯はきちんと磨いてから寝なあかんでね。」
「分っとるわ、いちいちうるさいなあ美見は……母親かっちゅうねん。」
ゆっくりとトーストをほおばりながら発する美見のコメントを、うざったそうにしながらも、夢分は洗面所へ向かった。
「では夢分君……もう一度寝てみてください。」
全員が朝食を終えた後、ビルの4,5階をぶち抜いて作られた風洞実験室で実験が開始された。
白衣を着た数人の研究員のほかに普段は興味を示さない夢幻や夢三も、後で同期実験を行うということで参加し、さらに週末ということもあり途中からやって来た幸平も加わって、結構な大人数で行われた。
と言っても風洞実験室中央に置かれた車体の中の、繭のような形のカプセル型ベッドで眠るだけである。
夢分の腹回りにはプローブが巻かれ、同乗する白衣の研究員と美見に加え、夢幻と美愛と幸平と夢三と美樹らの腹にもプローブが装着されている。勿論、問題なく寝られると見栄を張る夢分に無理やり、猫のキャラクターをプリントしたパジャマを着せてあるのは言うまでもない。NJで枕も一緒に揃えた新品を着用している。
「おおっ……ぶ……分裂してる……しかも僕らも一緒に……。」
すぐに自分たちがいる周り中に、自分たちと同じ車体に乗る自分たちの姿が確認できるようになった。
「本当……あっちにもこっちにもあたしがいるわ。まるで鏡に囲まれた部屋の中にいるみたい……とも思うのだけど……ちょっとだけ違和感があるわね。どうなっているの?」
美愛が驚きの光景に絶句する。
「それはそうでしょう。鏡の場合は相対する自分が鏡面対象に同じ動きをします。つまり自分が右手を上げれば、向こうは左手を上げます。ところがこれは分裂ですから、右利きの方であれば大抵右手を上げますから、向こうも右手を上げます。微妙な違和感はそこにあるでしょうね。
それと寝ている夢分君は無意識下の行動なので、寝返りなどの動きにシンクロが見られますが、我々はそれぞれ自分の姿を目で追いながら別の動きを試そうとするので、微妙にそれぞれ動きが異なるのでしょうね。」
白衣の研究員が、自分たちの分身の動きが微妙に異なる理由を説明する。
「こ……これはどないなっとるんでっか?にっ兄やんが……ぶっ分裂するのはいつものことなんですが……どうしてあたし迄一緒に……?しかもいっつもは2つに分裂するだけやのに……こんなにようさん……。」
車体の中で立ち上がっている自分と目が合うのだ……美見は口を大きく開けたまま絶句した。
「うわー……ちょっと待ってくれ!あまりに増え過ぎるもんだから、周りの研究員含めこっちの居場所がなくなりそうだ。車体ごと増えるもんだから、壁に押しつぶされそうだ。実験中止だ!夢分君を起こしてくれ!」
少し離れた場所から、神大寺の悲鳴にも似た中止の指示が発せられた。
「はっはい……じゃあすぐに起こしますね。美見さん……すいませんがお願いいたします。」
すぐに白衣の研究員が美見に夢分を起こすよう依頼する。
「はっ……えっ……ええんでっか?わわわ……分かりました。兄やん!起きるで!いつまでもぐずぐずしとったらあかん、早起きは三文の得、寝すぎは3万の罰金やで!」
美見は説明を受けた通りにカプセル側面のマイクのスイッチを押しながら、大声で夢分を起こしにかかる。
「はっ……罰金……まずい……」
”ゴンッ”すぐに跳ね上がるようにして夢分が起き上り、フード上部におでこをぶつけた。
同時に周囲に分裂していた自分たちの複製が、自分たちの方へ四方八方から集合してくるかのように寄ってきて、やがて消えた。
「なっ何があったの?お兄ちゃんが宙に浮いたときも驚いたし、無双さんの透明化や夢三さんの時間を止める能力もショックだったけど……今の分裂が一番驚いたわ。」
美愛が興奮冷めやらぬ様子で、深く息を吐いた。
「そうだよね……この能力はビジュアル的には一番すごい。」
幸平も同様荒い息を吐いた。
「どうでっか?金になりまっか?いやあ……テレビに売り込んだまではよかったんですが、実験に失敗してもうて最早あかんって思うとったんです……今の皆さんの反応を見る限り、なんやまだまだいけそうでんな。
いくらぐらい、はろうてもらえそうでっか?」
寝てすぐに起こされたにもかかわらず夢分は、皆の態度を見ながら満足そうに満面の笑顔を見せた。
「兄やんは……まったくいつもいつもしょうもない。まあたお金の話か?いい加減目覚めえやあ……世の中金が全てやないでえ。兄やんのことを真剣に心配して、病気を治してくれようっていう人さんらに、いくらくらいもらえまっかって、それはあかんでえ、人としての道を外れとるで!
それにしてもようさん……あの……兄やんはどないなったんでしょうか?いつもなら、2つに分裂するのがやっとなんですが……確かに……昨晩は4つくらいに分裂しとって……それが今度は……兄やんの病気が、どんどん悪うなっとるいうことでっか?」
金にうるさい兄を叱りつけた後、今度は兄の身を心配して白衣の研究員へと美見が視線を移した。
「そうですね、ちょっとお待ちください。今の実験で最終的にいくつ迄分裂しましたか?」
「追い詰められながら数えた限りでは、30ほどでした。」
遠くから、研究員が大声で返事する。
「そうですか……どうやらお兄さんの分裂は、もっともっと進む可能性があります。」
「へっ?兄やんの病気はもっともっと進行するちゅうことでっか?」
「そうではありません。恐らく夢分君は、寝ている部屋の大きさに合わせて分裂の回数を無意識下で制限しているのだと思われます。
ですので、ご自宅の場合は部屋の大きさから2分割迄。昨日のテントは4人用でしたが大きなスーツケースの荷物もあり、寝袋のまま4分裂してしまうときつきつで……おかげで美見さんは追い出されてしまいました。
そうして今この広い風洞実験室では……と言いましても、床には機材なら何やら置かれておりますしMRIやCTスキャンなどの大きな医学装置に加えて、所長に加えて研究員も大勢います。
どうやら壁までの距離を推し量って分裂する量を加減しているだけで、周りの人や小さな機材などは、考慮の対象にはなっていない様子ですね。試しにちょっとパーテーションで囲ってみましょう。」
すぐに他の階から間仕切り用のパーテーションが持ち込まれ、車体の周りを囲むことになった。




