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第7話

第7話

「判りました……ではこうしましょう。

 今、ここで息子さんを眠らせて、体が浮くところを確認してみましょう。

 そうすれば色々と調べることが出来ます。よろしいでしょうか?」


 医者は夢幻を左手の簡易ベッドへ誘導すると、そこに横になる様に指示をした。

 父親の分の診察券とカルテの発効までに、今の時間帯なら15分はかかるだろう。


 それまでは、父親をへたに刺激して興奮させない方がいい。

 相手の言うとおりに、こちらも動いていればよいのだ。どうせ、何も起こりはしない。


「大丈夫ですか?今、眠れますか?

 病院で環境が違うから難しいかもしれませんが……照明は消しますかね?」

 医者は仰向けに横たわった夢幻に向けて問いかけた。


「大丈夫です。俺は寝つきがいい方なので、横になればすぐに寝られます。

 余りうるさくさえなければ、照明はどうでも……気になりません。」

 夢幻は横になったまま、問題ないと答えを返す。


 それでも医者は気を使ったのか、部屋の奥へ続く通路のカーテンを閉めて、窓から差し込む日差しはシャットアウトしてくれた。

 それから5分ほど経過したが、一行に体が浮く気配はない、と言うよりも夢幻が寝付く様子はない。


 夢幻は目を閉じているのだが、ごそごそと小さく体を揺り動かしている。

 やはり病院の診察ベッドでは寝つけないのであろうか。

 10分が経過した辺りで、医者が焦れたように問いかける。


「眠らないと体が浮くことはないのですか?ただ、寝ようとして体を横にしただけで浮き始めるとか?」


「いや、そんなことはないはずです。そうであれば、体が浮くことを俺が知らないはずはないですから。

 もし父さんが言うことが本当ならば、俺がぐっすり眠りこけていて、意識がない時に体が浮いているのだと思います。」

 夢幻は当たり前のように答えた。意識ははっきりとしていて、全く寝付く様子は見られないようだ。


「じゃあ、ここまでですね。これ以上観察していても、仕方がないです。

 どうしますか?また後日寝つけそうな時に来ていただくというのも大変でしょうし、継続して診察は続けるという事にして……。」


 医者は、そろそろカルテが出来上がる頃とみて、話を切り替えようとする。

 その時に、父は娘から手渡された手提げバッグの存在にようやく気付いた。

 あれほどしつこく言われたはずなのに、大きな病院へ来て興奮していたせいか、すっかり忘れていたのだ。


「いや、待ってください。すっかり忘れていました。

 息子はお気に入りのパジャマと枕がなければ、寝つけないのでした。

 ここに持ってきています。着替えさせてもよろしいでしょうか?」

 父はバッグのファスナーを開け、中から夢幻お気に入りのパジャマと枕を取り出した。


「えーっ?病院にまで持ってきたの?俺、超恥ずかしいんだけど。」

 夢幻は、お気に入りの熊さんのプリントが施された、黄色のパジャマと枕を手に頬を膨らませた。


 これには医者も面食らったと見えて、少し身を引いた格好だ。

 丁度その時に、先ほど総合受付へ走って行った看護師が戻って来た。手にはカルテのファイルを抱えている。

 どうやら、間に合ったようだ。医者はほっと一息ついてから話し始めた。


「わ、分りました。では、息子さんにはその……お気に入りと言うパジャマに着替えていただいて、そのお気に入りの枕を使って、もう一度睡眠に入っていただくという事でよろしいでしょうかね?」

 医者は少し投げやり気味に、そうして事務的に夢幻に着替えるよう促した。


 対する夢幻も、渋々ながら持参したパジャマに着替えだした。

 どうなるにしても、自分が寝入らなければ話が進みそうもないからだ。


 高校3年生のしかも男子学生でありながら、小学校低学年用のアニメキャラクター入りのパジャマと枕でなければ寝付けないと言う事は、誰にも秘密にしておきたいことであった。

 それが妹にはバレていて家族にも伝わってしまったことを、夢幻は非常に残念に感じていた。


「じゃあ、私は次の患者さんもいますから、診察を続けたいと考えています。

 君、ここで立ち会っていて、何かあったらすぐに私を呼びなさい。」


 夢幻が診察用ベッドに横になるのを確認すると、医者は先ほどの看護師を呼び寄せて命じた。

 そうして、そっと耳元で囁いた。


「どうせ、何も起こることはない。

 私は次の患者さんの診察を終えたら戻ってくるから、君はここに居て、話を合わせていなさい。判ったね?」


「は、はい。」

 そういうと医者はカーテンの奥へと消えて行った。そうして、次の患者を呼ぶ声が聞こえてきた。


 先ほどと違って、今この空間に居るのは夢幻と父親に加えて、若い看護師だけである。

 自分とそれほど年の変わらない、若い異性の看護師が残されたのだが、医者の持つ奇異の感を抱いた目つきを感じないためか、夢幻はそれほど緊張していなかった。


 実験体のようで少し恥ずかしい気持ちはあるのだが、気持ちは少しずつ落ち着いてきた。

 更に、お気に入りのパジャマと枕である。次第に瞼が重くなってきて……。


「せ……、先生。」

 何分もたたないうちに、若い看護師が慌てて医者を呼びよせる。


 その声を聞いて、衝立の向こう側で別の患者の診察をしていた医者が、何事かと隣に目をやったが、すぐにその異常事態に気付いた。


 診察室内を区分けしている仕切り用衝立の高さは2メートル程なので、天井にまでは達していない。

 その為、先ほどまで診察していた場所は、医者のいるところからも天井部分は衝立越しに確認できた。

 その天井に、熊さんのプリントが入ったパジャマを着た少年が、仰向けの状態のまま浮いてくっついているのだ。


「せ……先生……。」

 その医者の視線の先を追っていた患者も驚いて、掛けていた丸椅子から転げ落ちそうになったほどだ。

 医者は、目の前の患者をそのままにして、衝立を回って夢幻たちの診察場所へと入って来た。


「こ……、これは……。」

 医者は立ったまま茫然と上を見上げていた。


「ねっ?寝ていると、息子の体は自然と浮いてしまうのですよ。」

 父は、ようやく状況が伝わったと思い、少しほっとしていた。


 医者はベッドの上にスリッパを脱いで上がり、その上にある夢幻のパジャマを右手で引っ張って見た。

 しかし、びくともしない。


 それではと、下から夢幻の腹の部分に両手を回して、腹の上で手を組んでそのまま膝を曲げてみる。

 全体重を夢幻の体に預けた格好だ……それでも、夢幻の体が降りてくることはなかった。

 逆に、医者の体がふわっと浮いたような感覚に包まれたくらいだ。


「わ……、判りました、お父さん……どうすれば息子さんは降りてきますかね。

 解除の方法を教えてください。」

 夢幻から手を離してベッドから降りながら、医者は父親の方を向いて尋ねる。


「いやあ、それが判らないのですよ。

 昨日は何十キロもある大きなベッドに括り付けたのですが、どうすれば降りて来るかは判りません。

 下手に起こすと、落ちてけがをしかねないのでできません。


 自然と目が覚めればゆっくりと降りてくると思うので、それを待つしか今のところは……。」

 父は弱ったような表情を見せて答えた。


「そうですか……君、引き続きここに居て、息子さんが下に降りて来たら私を呼んでください。」

 医者はそういうと、またカーテンの奥へと消えて行った。


 先ほどと異なるのは、何か色々と医者が指示を出していて、やがて隣の診察室との間の衝立の上に、シーツのような大きな布が天井から吊り下げられて、向こう側の天井が見えなくなったことだ。


 夢幻が浮いている姿を他の患者に見せて動揺させないための配慮であろう。

 夢幻の体が浮き上がったところを見られた患者には、説明が大変であろうと、父は沢山の患者を抱える医者の苦労を感じていた。


 やがて1時間半ほど時間が経過すると、ゆっくりと夢幻の体が下がってきて、元の診察用ベッドに降りた。

 夢幻の体は最初からそこにあったかのように、さほど幅のない診察用ベッドに収まった。


 すぐに父が駆け寄り、夢幻の体を揺さぶる。

 もう一度寝入る前に、はっきりと目を覚まさせておかなければならない。


「う、うーん。」

 夢幻は眠い目を擦りながら、反応をした。


「先生、患者さんが戻りました。」

 看護師の呼ぶ声に促されて、先ほどの医者が戻って来た。

 ようやく本格的な検査が始まるのだ。父は、この症状の原因が、早急に突き止められることを期待していた。

 夢幻はと言うと、相変わらず自分の身に何が起こっているのか分からずに、無反応のままであった。


「では、パジャマを脱いで、この病院指定の検査着に着替えてください。」

 医者は薄水色の無地のシャツと、ズボンを夢幻に手渡した。


「そうして、もう一度すいませんが眠ってみてください。

 それで再現されれば、本格的に検査に入りましょう。」


 父は、目の前の医者が言っていることが飲み込めなかった。

 どうしてそのようなことを言っているのか、全く理解できないでいた。


「い……いえ。

 息子は先ほども言いました通り、お気に入りのパジャマと枕がなければ寝付けない体質なのです。」

 父は、先ほどの説明をもう一度繰り返した。


「体質ってなんだよ、体質って……只の快適な睡眠を得るための習慣だろう?」

 息子はそう言った父の態度に、もう一度頬を膨らませる。


「そうは言いますがねえ、多いのですよ、このように大学病院の権威を利用しようとする輩が。

 目につきにくい細いチューブにガスを仕込ませて、両手から炎を出して超能力だのと言いだしてみたり……。


 そういう人たちは、奇術の種なんか知らない医者の診察さえ通れば、超能力のお墨付きを得たと考えるのか、こうやって挑戦しに来るのですよ。

 何とか映え……ですか……?自分のサイトに自慢げに投稿するためなのでしょうかね。


 では、どうしてこれまでにそうやって大病院のお墨付きをもらった超能力者がいないのかといいますと……、相手をしないからですよ。各大学病院に、そう言った通達が回っています。


 そんな患者を装った手合いはすぐに追い返せと……あなたたちもそうだと断言はしたくないのですが、こちらの要望する条件を満たしていただかなければ、検査の実施は困難です。」

 医者は冷たい表情で答えた。


「で……、でも。」


「お気に入りのパジャマでなければ、寝つけないとおっしゃるのでしょう?

 このパジャマですか、私には何の仕掛けも見つけられませんがね。」

 医者は夢幻の着ているパジャマの裾をつまみながら話す。


「そ、そりゃ。これは只のプリント柄のパジャマだから当然ですよ。何の仕掛けもありません。」

 夢幻も、自分の手でパジャマを持ち上げ説明して見せた。


「何だったら、このパジャマを提出していただいて、うちの研究機関の方で分析させていただいても構いませんか?

 まあ、切り取ってサンプル抽出したりしますがね。


 出来れば、もう一度浮いていただいて、その時にパジャマを脱がせることが出来れば、浮遊術の種ごと回収できるでしょうから、スタッフを呼んで準備させますが……。」


「だ、ダメですよ……このパジャマは限定販売で、俺も替えを1着しか持っていないのだから。

 切り刻まれて1着だけになったら、洗濯も出来なくなってしまう。」


「では、これまでですね。お帰り下さい……カルテは処分して診察券もお渡しできません。

 その為、診察しなかったという事にして、診察代も結構です。


 こちらとしても長時間関わらせていただきましたので、大損害ですが仕方がありません。

 今日の診察自体がなかったという事で、お願いいたします。」

 医者は冷たくあしらうように話す。


「いえ、診察代はきちんとお支払いしますから、せめて検査してください。

 ネットで調べましたが、悪性の脳腫瘍を抱えた人が超能力を得たりした、とかいった記録があるじゃないですか。

 息子は大丈夫かと、せめてMRIやCTだけでも検査お願いいたします。」

 父の切実な願いに、今度は夢幻が驚いた表情をみせる。


「な……、なんてこと考えているんだよ。俺が脳腫瘍なんて、そんな訳ないだろう?」

 夢幻は父の顔を覗きこんだ後に、恐る恐る医者の方に振り返った。


「当たり前です。テレビ番組とかで、脳腫瘍を患った人が予知夢を見るようになったとか、特集番組で予知夢の内容と合わせて放送していることもあるようですが、そう言ったことは、何の根拠もない誤った解釈です。


 大体、予知夢と言うのは、まだ起こっていないこれからの未来を見るわけですよね。

 そう言った超常現象的なまやかしに、信憑性を持たせるために作った理屈ですよ。


 大病院で検査を受けたという記録が欲しいのでしょうが、MRIにしてもCTスキャンにしても、高価な設備で使用時間帯も限られています。

 それを、全くの健康体と見受けられる息子さんに、簡単に使用するわけにはまいりません。


 どこか具合が悪いのならともかく……どこかお加減は悪いですか?」

 医者は冷たく事務的に夢幻に問いかけた。


「い……いえ、今日だって妹と父に言われて、無理やり連れてこられたようなもので、俺はいたって健康です。」

 夢幻も何の異常もないと答えた。しかし、父は悲壮な表情で夢幻の顔を見つめている。


「いや……、健康……だと……思っています……。」

 夢幻の言葉が尻すぼむ。


「では、これでお引き取りください。

 これ以上何かおっしゃられると、こちらとしても偽計業務妨害で訴える必要性が出てきます。


 医者としてではなく、私個人の意見ですが……、先ほどの浮遊術は大したものでした。

 もし、この術で有名になりたいのでしたら、その場面を撮影して動画サイトにでも投稿なさればよろしいのではないのですか?」

 医者の言葉に、父は何も言い返せなかった。仕方がないので夢幻を着替えさせて、そのまま病院を後にした。



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