第59話
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「いえ……お兄さんが正常に睡眠をとれるということが分ったのですよ、安心してください。
あっと、ライトはそのまま当てておいてくださいね。たしかに何かに躓いて転げて誰かに当たったら、怪我でもされかねませんからね。
ふむ……やはりそうですね。周囲では時の流れが遅い……この間で15分ほど差が生じております。
更に、時計を持ち上げると時が動きはじめましたね、カチカチと音が聞こえるようになりました。影響範囲の中に取り込まれたという事でしょうね。
ある程度の距離まで近づくと、こちらの時の流れが伝搬するのでしょう。そうすることにより、空気抵抗を感じずにスムーズに動くことが可能となるのですね。
周囲の時を止めた状態で、どのように移動するのか、空気抵抗や周囲確認の点から推定不能でしたが、こう考えれば納得できます。」
白衣の研究員は自らの腕時計の時刻と目覚まし時計の時刻を比較した後、コマ送りのようにゆっくり通した速さで目覚まし時計を持ち上げて、耳元へ持って行き満足そうに微笑み、机の上にそれを戻し引き返してきた。
「プローブで繋がってさえいれば装置外に出て、周囲に影響を及ぼすことも可能なようですね。
どの程度までのスピードであれば、影響範囲を周囲に伝搬しながら進めるのか分かりませんが、そのスピード制約は、余り大きな意味を持ちません。どちらにしても周りから見れば、一瞬で事が済んだようにしか見えませんからね。
後は、夢幻君や夢双君の能力と併用利用できるかどうかの確認をしたいところですが……今回の敵円盤の行動からみると、併用は可能と見ていて間違いはないでしょう。
では引き続きノンレム睡眠からレム睡眠へ移行するようすと、周囲への影響度合いを確認して行きましょう。
すいませんが、一旦夢三君を起こしていただけますか?」
脳波計が無線ではつかえないため、一旦夢三を起こして有線で脳波計をつなぎ直し、電源をバッテリーにつなぎなおした脳波計を実験装置内へ運び入れてから再度眠らせ、ようやく確認可能となった脳波計を見ながら白衣の研究員が、美愛や幸平に指示をだし、周辺への影響度合いを確認して回る。
この行為を繰り返し、6時間ほど経過した時点で夢三を起こして本日の実験終了となった。
「では……私は今日の実験結果をレポートにまとめます。
皆さんは、夕食をとってください。寝る時の部屋割りは……夢幻君はベッドの都合上、あの部屋でなければねられないため、美愛さんと二人で一部屋使ってください。
美樹ちゃんは美由ちゃんと同室となります。
夢双君と幸平君と夢三君は……申し訳ありませんが、この風洞実験室内にテントを張って、簡易ベッドルームをしつらえますから、ここで寝泊まりしてもらうことになります。
いずれ宿泊できる部屋を準備しますので、それまでは我慢願います。」
白衣の研究員はそう言って、階下へと降りて行った。
「実験って……うまく行ったって……どういう事ですか?」
未だに今起こっていたことが何なのか全く分かっていない美樹は、狐につままれたような状況だ。
「そうだべ……寝たはずだったのに……寝入りばなをたたき起こされて、もう一度寝ろと言われでからはそこそこ寝られたつもりだけど、それでも2分しか経っていなかったべさ。なぁんも状態は良くなっていないべさ。」
既にパジャマを着替えた夢三も、怪訝そうな表情で美樹にだけ聞こえるような声量で文句を言い出す……どうやら着替えついでに机の上の目覚まし時計の時刻を確認した様子だ。
「えー……あんちゃん寝てたべさー……ぐっすりと……6時間も……あんだけ寝れば十分でないの?」
美樹が不思議そうに首をひねる。
「寝た思ってたけど、ちっとも時間が経ってないべさ。そりゃあ今回は少しは時間が経っていて……2分だったけど、2分ばっか多く寝たって変わりないべさ。」
「えーっ何言ってるの?はんかくさい。」
美樹がそんな夢三にくってかかる。
「まあまあ……そうだね。まずは……今は何時かな?」
幸平がそんな二人をなだめながら、美樹に尋ねる。
「えーと……22時ちょっと過ぎくらいじゃないですか?さっき確認したから。」
そう言いながらセーラー服のポケットからスマホを取り出して、画面にタッチする。
「あれ……?まだ16時……???
そんなはずないべさ……6時間確かにあんちゃんが寝ている所さ確認して……おなかだってペコペコで、さっきから倒れそうだったし……。」
美樹がスマホを握りしめる。実験中は通信できない状態で時計が動いていたのが、通信が回復して時刻の修正を行ったのだろう。
「そう……僕たちの周りの時間だけ、6時間早く進んだんだね。だからお腹も減ったという訳さ。
簡単に言えば、お兄さんの能力で時を止めていたんだね。」
幸平が美樹に説明してあげる。
「えー???時を止めていた!」
これには、美樹も夢三も大声で反応した。
「まあ……正確にいうと時を止めていたのではなく、高速で動いていたということらしいんだがね。分り易く説明するには、時を止めていると解釈した方がいい。ともかく夢三君と一緒にいた我々の時間は6時間進んでいたのだが、周囲は1分も進んでいない状態だ。
つまり夢三君は、いつも周りの時間を止めて寝ていたから、しっかりと寝てから起きているにもかかわらず、周りの時間が経過していなかったという事のようだね。今回の実験でその事が証明された訳だ。」
幸平がなるべくわかりやすく二人に説明してあげる。
「はぁー時間を止めて……なんだかすぐには信じられない様な……では……あんちゃんは毎日寝ていたっていうことで良いんですか?」
「ああ、そうだね。」
「ほれみぃー……だから言ったべさー、あんちゃんは元気だって。頭だって毎日すっきりしとるって。」
途端に元気になった夢三が、嬉しそうに笑みを浮かべ美樹に向き合う。
「でも……この状態が長く続くことは、好ましくないらしいの。」
美愛が、厳しい表情で告げる。
「好ましくないって……どう言う事ですか?」
美愛の言葉に美樹も夢三も首をかしげる。
「うん……詳しくは、あの研究員さんに聞いてね。あたしも本当の所はよくわからないから……でも……この力を使っていると、人より早く年を取ってしまうんだって。
でもね……あたしは思うんだけど……神様が与えてくれた能力なら、その人に不利に働かないんじゃないかと……だから、そんなに悪い能力ではないと思っているけど……。」
美愛が二人を少しでも元気づけようと、笑顔を見せる。
「そっ……そうだよね……神様が与えてくれた能力なんだものね……害があるはずないよね……。」
幸平も一緒に賛同する。
「はえ……神様が与えてくれた能力……。」
美樹も同様につぶやく。
「その辺も、多分神大寺さんが戻ってくれば詳しく説明してくれるはずよ……まずは食事にしましょ。
あたしもおなかペコペコ……。」
「そうだね……食堂に行って賄いのご飯を食べよう。ここの賄はおいしいからね。」
幸平も美愛に続く。
「そうっすね……晩ご飯食べたら、部屋に行っておにぃをたたき起こさなならんすね。美樹ちゃんと一緒に使わなならんのやモンな。」
美由も後に続いて行く。
「美由ちゃん……余り過激にお兄さんを起こすのは、止めてあげてね。お兄さんだって生身の体なんだから。」
美愛が、美由に加減するよう勧める。
「大丈夫っすよ……おにぃは不死身でりゃーすから……。」
対する美由は、兄の体のことなど全く気にも留めていない様子だ……。
「ほお……ここのハンバーグはおいしいですねー。いくらでもいけますよ。」
夢三が手のひらサイズの巨大なハンバーグにかぶりつく傍らで、美樹が笑顔で話す。あまりしゃべらない兄の通訳のような役割だ。
「このデミグラスソースは、お兄ちゃんの秘伝なのよ。元居た食堂のコックさんに伝授したんだって……代わりにカレーのスパイスの混合の仕方を教えてもらったって、喜んでいたわ……。」
美愛が嬉しそうに胸を張る。
「へえ……美愛さんのお兄さんはコックさんなんですか?」
美樹が切り分けたハンバーグを、口に運びながら尋ねる。
「うちのお兄ちゃんは高3だけどコックさんではないわ。将来は食堂のおじちゃんになることが夢みたいだけれどね……確かに今はバイトでお兄ちゃんが、ここの調理場を切り盛りしている形だけど……あたしもたまには手伝うし……コックと言えばそうかも知れないわね。
食事を終えたらシャワールームに案内するわね。ここは男女別になっているから安心よ。」
ゆっくりと食事をした後談笑し、シャワーを浴びて就寝することになった。
美由が夢双に対して過激な起こし方をしないよう、美愛が一緒について行ったのは言うまでもない。
「おはよう……昨日は申し訳なかった。今回作戦の失敗に関して、政府役人からかなり激しい突き上げを受けてね。今回は前回同様ステルス状態で行動していた敵巨大円盤に対して、どうして失敗したのかとしつこく追及された。
時を止めていた可能性があると説明しても、失敗した言い訳として無理やり作っているのだと一笑に付されたよ。
何を言おうと全く認めてもらえず、ソナー担当の自衛官と一緒に吊るし上げを食らった。
深夜になってNJからのレポートが届き、時を止める能力者が出現したことが正式報告され、ようやく可能性としては理解したと評価され、解放されたという訳だ。戻って来た時は既に夜が明けかけていたよ……。」
充血の為か、目を真っ赤にした神大寺が苦笑いを浮かべる。
「ええー……だって、今回だって敵の能力をろくに調べもせずに、あたしたちに行って来いって命令を出しただけじゃない。それなのにどうして失敗した時にお小言を食らわなくちゃならないの?
成功したって政府から感謝状も出ないっていうのに、失敗した時に怒られるんじゃ割に合わないわよ。」
美愛が立ち上がって抗議する。
「そっそうですよ。表彰されたり勲章授与なんて事は望みませんが、僕たちは成功報酬を何も約束されずにいわばボランティアで作戦に参加しているはずです。
それなのに失敗を追及されるなんて……確かに神大寺さんはNJの所長という立場かもしれませんが、作戦参加に当たって危険手当とかそう言った報酬は一切出ないわけじゃないですか……なにせ秘密の作戦な訳ですからね。流石に理不尽な態度は承服しかねますね。」
これには普段から見返りを望んでいないと宣言している幸平までもが、動揺している様子だ。
「そうだな……前回の成功時に、誘拐された米軍兵士までも救出することができ、しかもそれが自衛隊の艦隊を通じて行われた訳だ。これにより国際社会において、日本の自衛隊の立場が急上昇した訳だな。
なにせ世界レベルの脅威に対する救世主と言えるわけだから、当然とも言える。
調子に乗った日本政府は、今回の円盤襲来で攫われた全員を救出して見せると豪語したようだ。確かに初動は早かったから、大半の人々を救出できる可能性は高かったといえるだろう。
ところが作戦は失敗……全員の救出どころか一人も救い出せず、さらに被害は拡大しているわけだ……放出したドローンも無駄になってしまった。
前回の作戦の失敗は国連からの指示ということもあり、ろくな調査をしていなかったためだと日本政府側から苦情を申し立てられる立場にあったのだが、今回の作戦指示を出したのは日本政府で、しかも単独任務をわざわざ申し立てたのだから、その失敗の責任追及は厳しいものがあるだろう。
なにせ敵側に防衛システムとも言えるドローンを使った海洋上空の監視システムの存在を、早々と気づかせてしまった可能性が高いのだからね。
より一層の警戒をされてしまい、ますます対応が困難になるだろうと揶揄されていたようだ。
どこか責任部署を明確にする必要に迫られての事なのだろうな……時を止める機能に関してレポートを提出し、未知なる機能を使われたため、失敗も仕方がないと一応は理解されたが、だったらどう対処するのだと、巨大円盤の対策チームであるNJに、成功確率の高い作戦計画を早急に提出するよう催促されている。」
神大寺が、苦虫をかみつぶしたような渋い表情をする。
「はあー……失敗の責任をとらせるために、表面上は公的機関でないNJに罪をかぶせたという事なの?ひどくない?……!!!」
美愛は怒りの矛先をどこに向けていいのか、分りかねている様子だ。
「まあまあ……とりあえずは、勘弁してくれたのだから良しとしよう。
それよりも今回の新機能……時を止める……というより、凄まじい速さで活動する能力に対して、どのようにして敵円盤内に潜入するかだ。
早急に、作戦を立てて再度潜入を試みる必要性がある。」
神大寺が、今やるべきことを宣言する。
「そうですね……いよいよ……と申しましょうか、日本でも被害が発生し始めた様子です。」
白衣の研究員が会議室のホワイトボードの前に天井からスクリーンをおろし、そこにプロジェクターから投影すると、そこには驚くべき映像が映された。
上空から光の束が照射され、その光の中を人々が次々と重力から解き放たれたかのように、上空へと舞い上がって行く……そのような光の束が次々と、間断なく照射され、瞬く間にその場にいた人々の姿が消えうせる。
これまでの映像と異なるのは、その風景や看板などを見る限り、日本であることが一目瞭然であった。
「大島での今朝がたの映像です……まだニュースにはなっていませんが、本日の昼のニュースで放送されるそうです……敵円盤の目標域に、日本やアジアが入って来たという事ですね。
引き続き日本政府からもコメントを行う予定の様で、その時までに明確な作戦案を提出するよう命じられております。
数台の円盤で一度に多くの人たちをさらって行っているようにも感じられますが、新機能を考慮すると、時を止めて移動して、誘拐する際のみ時を動かして連続的に人々を回収しているように見えます。
このような事が世界各地で行われていて、多くの犠牲者が出ております。もはや一刻の猶予もありません、早急な対応を迫られているのは事実です。」
白衣の研究員がため息交じりに説明する。ついに身近な被害者が出始めたのだ、外国で起こっていることだから、と言った気持ちはなかったにしても、やはり同胞の被害は皆の気持ちを焦らせた。




