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第5話

第5話

「じゃあ、帰ろう。お兄ちゃんも、もう用事はないでしょう?」

 美愛は嬉しそうに、夢幻の左わきに自分の右腕をすべり込ませて腕を組んだ。


「あ、ああ……俺は何もないが、お前は部活があるだろう?」

 夢幻の部活は生物部だが、化学部と同じく科学教室を使用するため、隔日で活動しているのだ。

 更に、活動はそれほど熱心でもなく、そのまま帰宅することも多いのであった。


 ところが美愛が入部したバトミントン部は、毎日体育館で練習があるはずであった。

 彼女は、中学校の時に県大会優勝の経験があり、次代のエースとして期待されていたはずだ。


「うん、そのはずだったのだけど、ミックスダブルスを組む先輩達が部活に現れないから、当面は開店休業だって。

 私と組むはずだった富久田先輩も、学校には来ているらしいんだけど、部活には現れないのよ。

 主だった大会はまだ先だし、当面は各自でウエートトレーニングだって、監督が言っていた。」


 美愛が入学してバトミントン部に入部した時、先を争って美愛に告白したのがバトミントン部の男子部員たちだ。

 当然、夢幻の友達でもなく、美愛に告白前から軽くあしらわれてしまったのだが、未だに、そのダメージから回復していないのである……いや、ダメージからは回復しているのかも知れないが、彼らには部活より大事なことが出来たのであった。


 夢幻と美愛の兄弟が、仲良く腕を組んで学校からの帰り道をゆっくりと歩いて行く……そんな2人の後を、こっそりとつけていく一団が……彼らは、美愛にふられてしまった男子生徒たちである。


 最初にふられたバトミントン部の面々が、名残惜しさと悔しさから、彼女に悪い虫が付かないように私設警護団を結成して、通学時に影から守っているのである。

 その為、バトミントン部は男子部員が出席してこずに、休部状態になっているのだ。

 その後も、彼女にふられた男子生徒たちが参加してきて、今では数十人規模の一団と化している様子だ。


 一見してストーカー行為だが、彼らも独自のルールを作り、登下校時以外の尾行や追跡など、プライバシーに関することには関わらないようにしているようだ……その為、夢幻としても黙認している状況だ。


 まあ、公立のまじめな高校生のやることだし、それに、人数が多いのでよこしまな考えを抱く奴がいたところで、すぐに駆逐されてしまうだろうとの考えだ。

 ただし、このままでは草分高校の運動部が崩壊しかねないので、早く彼らに立ち直ってほしいと夢幻は常に祈っている。


 そんなある日の深夜……

『ミシッ、ミシッ!』

 天井裏から、軋むような怪しげな音がしだして、寝起きのいい美愛が目覚めた……。

 やがて、その音は大きく連続的に聞こえるようになってきた……。


『バギッ!』

 あまりにも大きな音に飛び起きた美愛は、音のする方向の部屋へと走り出した。


「お兄ちゃん、大きな音がしたけど大丈夫?また、ベッドから落ちた?」

 寝相の悪い夢幻は、時々ベッドから転げ落ちるのだが、今日の音はその想定をはるかに超える大きな音であった。

 まるで、天井が破れて落ちてきたような。


「…………」

 夢幻の部屋からは、何の返事もない。それはそうであろう……まだ、夜中の2時だ。

 只でも寝起きの悪い夢幻が、こんな時間に大きな音がしたところで、目覚めるわけがないのであった。


「お兄ちゃん、入るよ。」

 何事かと心配した父も、階段を上がって夢幻の部屋の前までやって来た。

 空き巣でも入ってきて、兄の部屋を占拠していたら……2人は恐る恐る、そおっと夢幻の部屋のドアを開けた。


 そうして右手で壁のスイッチを入れる……煌々と明かりが点いた部屋の真ん中にあるベッドに、あるはずのものがなかった……いや、居るはずのものが……。


「お兄ちゃん、どこ行ったの?」

 美愛が驚いて部屋の中へと駆け込む……その後に父も続く。

 ベッドの周りで、きょろきょろと兄が転がっていないか探していた美愛が、ふと天井を見上げて絶句した。


「お……、お兄ちゃん。どうなっているの?」

 ベッドの真上の天井に、掛布団ごと夢幻が貼り付いていた……いや、貼り付くというよりも下から突き上げているようで、今でもミシミシと、天井が軋む音が聞こえてくる。


 驚いた父親が、ベッドの上に乗って夢幻のパジャマの裾を掴んで、下におろそうと試みた。

 少し引っ張ると降りかけたので、今度は足首を掴んでゆっくりとベッドへ降ろそうと試みた……ところがそれ以上は下へ降りるどころか、父親の体も一緒になって浮き上がりそうになり、慌てて手を離した。


“ドスン!”

 すると、勢いよく父の体は床へと落ちてきた……何とか両足で着地でき、事なきを得たのだが、夢幻も落ちてくる時に怪我をしないかどうか非常に心配である。


 ところが、いつまで経っても、夢幻の体が落ちてくることはなかった。

 その場で待つこと30分ほどして、ようやく夢幻の体は布団ごとゆっくりと降下してきて、そのままベッドの上に軟着陸した……そうしてそのまま、何事もなかったかのように寝続けるのであった。


「一体、どうしたというの?何が起こったの?」

 美愛にも父親にも今、目の前で起きた出来事は、にわかには信じがたい事であった。

 親子で夢でも見ていたのであろうか……いや、そうではない、夢幻が貼り付いていた天井板には、ひびが入っていて、彼が貼り付いていたというか、突き上げていたという事は、間違いのない事実であった。


 2人で今後の成り行きを見守ろうと、夢幻の部屋に留まっていると、ちょうど1時間半後にもう一度夢幻の体が浮きだした。

 美愛と父が必死で夢幻に抱き付いて、浮き上がるのを止めようとするが、なかなか止まらない。


 放すと浮いてしまうので、仕方なく準備しておいた荷造りロープで、掛け布団ごと彼の体をベッドに括り付けた。

 寝相の悪い夢幻の為に購入したキングサイズのベッドである……ホテル仕様であり、数十キロの重さがある。

 そうしてようやく体が浮くのを押さえることが出来た。


 美愛も父も、眠け眼を擦りながら、ようやく部屋に戻り寝付くことが出来ると安どした。

 既に、明け方の4時になっていた。



 朝になり早起きした美愛は、兄に気づかれる前に前夜に施したロープを解いて、彼の体を解放した……今は、浮き上がりそうもない……美愛は冷静に昨晩の出来事の分析を始めた。


 眠っている兄の体は、なぜか浮いてしまう……起きている兄と今まで行動を共にしているが、兄の体が浮いたことを見たこともないし、兄にその様な話を聞いたことはないので、寝ている時だけの事象であると想定できる。

 能天気な兄の事なので、仮にそのような特殊能力があって本人に自覚があれば、少なくとも家族には自慢げに話すであろうから、間違いはないはずだ。


 では、なぜ寝ている時に体が浮いてしまうのか……しかも、寝ている時でも浮いている時と浮かない時があるのだ……寝れば浮くという訳ではないのである。

 思えば先日のキャンプの時に、兄の体が木の枝に引っかかって寝ていたのは、まさに寝ている時に体が寝袋ごと浮いてしまい、落ちて来た時に木の枝に引っかかったのであろう。


 その為、結構前から寝ている時に体は浮き上がっていたことになる……部屋で寝ている時もそうなのだ、寝相が悪いのではなく、寝ている間に浮いてしまい、たまたまベッドの上に降りられなくて、大きな音を立ててベッドから転がり落ちていたのではないだろうか。


 それでも以前は浮き上がる力がさほど強くはなく、天井板に遮られていたものが、ついに天井板にひびを入れられる程度にまで、浮き上がる力が強くなったのではないだろうか。


 兄の浮き上がる力は、日々強くなっているのかも知れない……そうすると、今はベッドに括り付けるだけで浮き上がることを防止できても、やがてはベッドごと浮かび上がり、ついには、この家ごと持ち上げて浮かび上がってしまうかもしれない……美愛は解いたロープを隠すと、兄を揺り起こした。


「おはよう、美愛。どうしたんだ?まだ、学校へ遅刻するような時間ではないだろう?

 お兄ちゃんはこの頃、鉄アレイを抱えて寝ているんだが、昨日は鉄アレイを持っている手が緩んでしまって、また浮かび上がる夢を見たよ。


 今日からは鉄アレイを手首にでも結び付けて寝たほうがいいかねえ。」

 夢幻は妹の真面目な顔を見て、冗談でも言おうと考えたのだろうが、その言葉は彼女には冗談に聞こえなかった。


「お兄ちゃん、何も聞かないで今日病院へ行って。」

 深刻な面持ちの妹に対して、寝ぼけ眼の夢幻は一気に目が覚めてしまった。


「い……いや、鉄アレイを持って寝るというのは、あくまでも浮遊する夢を見るという事からの洒落であって、お兄ちゃんの頭がおかしくなったわけではないぞ……お兄ちゃんは正常だ。


 ただ、変な夢を見たくはないから、重しを持っていれば、そんな夢を見ないだろうという発想だ……悪いか?」

 夢幻は不安そうに美愛の顔を覗きこむ。


「そうじゃないの。お兄ちゃんが鉄アレイを抱えて寝るのは正解よ……。

 これからは、もっと重いものを抱えて寝たほうがいいかもしれないくらいよ。」


「へっ?今、何とおっしゃいました?」


「何でもない……今は、何も言えないわ。

 言ったところで、信じてくれないでしょうし……ともかく、病院へ行って。」


「えーっ……何もわからなければ、病院へ行っても仕方がないだろう?

 病院へ行って先生になんていえばいいんだ?なんかわからないけど妹が病院へ行けっていうんですよ……って言うのか?


 第一、俺は病気じゃないし……いや、病気ではないと思うけど……、美愛は俺の病状を知っているというのか?いったい俺は何の病気だ?」


 夢幻の問いかけに対して、美愛は目を伏せてうつむいているだけである。

 何も答えようとしない美愛に焦れたのか、夢幻は部屋を出て階段を下り、顔を洗うと茶の間へと向かった。


「父さーん、美愛の奴が変な事言いだすんだ。俺に病院へ行けって……俺って病気だった?」

 既に父は起きていて、食卓に着いて朝刊を読んでいた。

 何事もなかったように夢幻が手際よくハムエッグと野菜サラダを作って、食卓に出して行くのを、新聞を読む傍ら手伝って皿を回していく。


「あ、ああ。父さん、今日会社休むから、一緒に病院へ行こう……早い方がいい。」

 予期せぬ父の言葉に、調理している夢幻の手が止まった。


「と、父さんまで俺を病人扱いして……しかも、早い方がいいなんて、俺ってそんなに重症ってこと?」

 いつもは何があっても取り乱すようなことはない夢幻だが、さすがに家族の様子がおかしい事に動揺している様だ……それでも、父も妹も明確な答えを与えてくれるようなことはなかった。


「あらあら、夢幻はどういった病気なのかしら。私の病状がうつっちゃった?」

 珍しく朝早くから食卓へ着いていた母が、不思議そうに夫と息子の顔を交互に眺めている。

 

「いや、母さんの病状とは全く異なる……というか、病気とは言えない事柄なのかもしれない。

 でも、夢幻の体は異常なんだ……とにかく、そこを調べてもらおうと考えている。」

 いつも明るく家族思いの夫が深刻な顔をしながら話している……余程のことに違いない……彼女は、それ以上の詮索を止めた。


「わ、分ったよ。一緒に病院へ行けばいいんだろう?そこで、どんな検査でもすればいいさ。

 どうせ、何もないって診断されるよ……なんせ、至って健康で食欲旺盛ですから。」

 夢幻は、焼き立てのハムエッグと厚切りトーストを自分の前の取り皿に分けてから、勢いよくかぶりついた。



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