第49話
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「ふあー……流石に眠くなってきたな。じゃあ、夜食はあきらめて寝るとするか……。
美樹……おい……美樹……あんちゃん寝るぞー……夜食はあきらめさー。だから見張りは終了だ、自分の部屋に帰って寝なー。」
深夜1時となり、夢三が自分のベッドで寝ている妹に声をかける。
「ありゃりゃ……熟睡でねぇの?参ったな。しゃあない……一緒に寝るか。しかも……あんちゃんの抱き枕まで使ってるでないかい……しゃあないなー……美樹を抱き枕代わりにして……。」
睡魔に襲われて限界寸前の夢三は素早くパジャマに着替えると面倒な事はあきらめ、そのままベッドへと滑り込んだ。
(うんっ?朝……?まだ……暗いでねぇの?えっ……か……体が動かん……金縛り……?
いやっ……違うよ……これは夢……きっと夢だよ……。)
やがて目を覚ました美樹であったが、今の状況を飲み込めないで苦しんでいたが再度眠りにつく……。
(…………あれ……?やっぱり体が動かない……それに……ここどこ……?)
再び目を覚ました美樹が、今度は少し力をこめて不自由な体勢のまま辺りをきょろきょろと見回す……薄暗がりの中なぜか、いつもと違う風景に戸惑っている様子だ。
「おお……美樹も起きたか。ふあー……良く寝たな……。」
背後から美樹を囲んでいた大きな存在も、目を覚ました様子だ。
美樹を解放してベッドに横たわったまま、大きく伸びをする。
「ああそっか……あんちゃんと一緒に……あれ?あんちゃん……おかしいよ……時計止まってるべさ……。」
ベッドで上半身起き上がらせた美樹が、兄の勉強机の上の目覚まし時計を指さした。
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「ええっ……中学生にもなって、まだお兄ちゃんと一緒に風呂に入ったり、一緒の布団で寝てるのー?」
中学に入って新しく出来た友達に美樹が家での事を話すと、途端に顔をしかめられた。
「だってぇ……お風呂は一緒に入った方が、効率がよくって灯油代も安く済むし、時間も節約になるべさ。それに冬場はあんちゃんと一緒に寝るほうが、あったかくていいんだぞー。」
ところが美樹は、そんな友人の様子を意に介さず笑顔をかえす。
「それって……ブラコンっていうより……異常っていうんだよー。別々にした方がいいって……特にお風呂は……恥ずかしくないー?大体……美樹のお兄ちゃんって……あっ……ごめん」
そんな美樹に対して友人は、途中まで言いかけて首をすくめる。余計なことまで言ってしまったと反省しきりな様子だ。
「したっけ……恥ずかしいって……家族なんだから……平気だべさ?
それに……あんちゃんは不登校だけど、家では普通に話してるし、どっこも違うとこ無いべさー。」
美樹の兄が不登校な事は、一部の同級生も知っているのだが、美樹は兄の評判を気にもしていない様子だ……不登校であってもなくても、美樹にとっては大好きな兄なのだ。
「美樹んちは家族仲がいいもんねー。特にお兄ちゃんとは仲がいいから、分るけど……そだねぇー、いい加減お兄ちゃんは卒業しないと、彼氏も出来なくなっちゃうべさー。」
「えっ……そっ……そうなのー……?」
小学校から仲の良い友達にまで指摘され、美樹は兄との距離を少し置くことにしていたのだった。
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久しぶりに一緒のベッドで眠ったのだが、不思議と違和感もなく結構気持ちよく眠れたつもりでいたのだが、兄の机の上の目覚まし時計の針が気になる。
「うん……?寝る時には動いていたはずなんだがな。あれ?腕時計も止まってる……いや携帯も……って、んな訳ねェべさ……ふあー……また今日も寝そびれたいうことか。昨日もそうだったかんな……。
まんだ1時だ、寝ようと思ってから1分も経ってねェべさ。」
不満げに首を振りながら、兄はゆっくりとベッドから起き上がる。
「時計合ってるの???1時……?げっ……2時間しか寝てない……もう少し寝よっと……。
………………………………………………ふえー……目が冴えて寝つけんべさ……。」
すぐに抱き枕にしがみついた妹だったが、暫くしてあきらめたように体を起き上がらせた。
「なんだ……美樹もか。ベッドのせいなんか知らんが……どうにも寝つけんなぁ……。」
そんな妹の様子を見て、兄も笑顔を浮かべる。
「うーん……そだねぇ……あたしも寝てて金縛りにあったさぁ。ちょっと見てもらった方がいいんでないかい?」
兄の言葉に、妹もなんとなく頷いた。
「なぁに言ってるだぁ……寝なくて済むなら受験生にとってこんなありがたいベッドはないべさ。お祓いよりも、拝みたいくらいだべさー。」
そう言いながら兄は立ち上がり屈伸運動を始め、パジャマから部屋着に着替えた。
「えー……あんちゃん勉強始めるの?」
おもむろに机に向かう兄の姿を見て、妹が驚きの表情を見せる。
「おおそっさ……明日は数学と化学の試験だかんな。まあ充分やったつもりだけんど……寝つけないならもちっとするさー。その前に……やっぱ腹減ったな。夜食さ持って来るか……。」
そう言い残して兄は階下へ降りて行き、おにぎりを乗せた皿を持って戻ってきた。
「あっ、いいな……えへへへ……あたしにも1個頂戴……。」
その様子を見て、妹が皿に手を伸ばす。
「おお……3個残しておいたから1個ならいいぞ。でも大丈夫か?ダイエットしてんじゃなかったべか?」
兄は年頃の妹の体を気づかう。
食欲優先の兄と違い年頃の妹は、最近体型にも気を使うようになってきたのだ……。
「うーん……そだけど……お腹すいたしー……ケーキ1個じゃ足りないべさ……。」
そう言いながら、妹は自分の手のひらサイズのおにぎりにかぶりついた。
「さあて……勉強勉強……。」
大きなおにぎり2個を瞬く間に平らげた夢三が、改めて机に向かって教科書と参考書を開いた。
「ふう……夜中に食べるおにぎりはおいしいね。これぞまさに禁断の味……。
どうせ眠れそうにないし、あたしも少し勉強するか。ねえねえ……ここの数式……。」
妹が教科書を広げて、机に向かっている兄に問いかける。
「おお……これはだな……。」
それに対して兄がやさしく解説してくれた。
小学生までの間は、いつも妹の勉強を見ていた兄だったが、妹が中学に入り勉強部屋も分かれてからは、一緒に勉強する機会もなくなっていた。
少し懐かしさを感じながら、自分の勉強そっちのけで、妹の勉強を見てやることにした。
「ふあー……もう6時か……ちょっとだけ寝るかな……。」
兄はそう言いながら、素早くパジャマに着替えはじめる。
「ええっ……確かに勉強し過ぎで少し眠くなって来たけど、今寝ると危険だべさー?
後1時間も寝れんのよ……寝坊して試験に間に合わなかったら大変だべさー?」
そんな兄の姿を見て妹が押しとどめる……兄の寝起きが悪いのは、朝方になってからようやく寝ることにあるのではないかと、なんだか納得しかけてきた。
「うーん、だいじょぶだいじょぶ……問題ないさ……。」
そう言ってパジャマ着替えた兄がベッドに横になる。
「あたしは……朝練があるから、もう少しだけ勉強して学校行くべ。お兄ちゃん遅刻しないように、ちゃんと起きてよ!」
妹はそう言いながらベッドから、テーブル上の教科書に視線を移した。
「ふあー、良く寝たなあ。」
その途端に兄がベッドで大きく伸びをする……。
「よっ……良く寝たって……?なによ……冗談だったの?はんかくさー……わざわざパジャマに着替えてー……なあんだ……寝る気なかったいう事さねー……びっくりした……。」
その様子を見て妹が、少し困惑気味に笑みを浮かべた。
「何言ってる……ちゃぁんと眠ったべさ。あれ……1分も経ってない……おかしいなぁ、しっかり寝た気はするけどなぁ……。」
自分の机の目覚まし時計に視線を移した兄は、またもや不思議そうに首をかしげる。
「ええっ……冗談だべー……???だいじょぶあんちゃん……寝ぼけてない?」
妹は心配そうに立ち上がり、兄のおでこに手を当てる。
「全然だいじょぶさぁ……元気元気……さっきまで眠かったけど、もう頭すっきりさ。」
そう言いながら兄は元気よく立ち上がり、パジャマから部屋着に着替えた。
「だったらいいけど……試験中に寝ないでね……。
あたしは、これ以上勉強してても眠くなるだけだから、もう起きて下さ行くわ。
母ちゃん起きてるだろうから、弁当作りでも手伝うかなー、じゃね。」
妹はそう言うと、自分の部屋に戻って着替えはじめた。
「こらっ……時任……部活の朝練で早起きして眠いのは分るが、何も担任の俺の授業の時に眠らんでもいいんでないかぃ?目を覚ますのに、ちょっとこの問題解いてみろ。」
昼一の授業は数学だった。母と一緒に作った弁当を平らげて、軽く腹ごなしのドッチボールに興じた後の授業で、昨晩2時間しか寝ていない(本人は十分寝たつもりではいたのだが……)こともあり、丁度睡魔が襲ってきた処であった。
(ひえー……参ったなー……)
顔どころか耳たぶまで真っ赤に染め上げながら、俯き加減で教壇へと向かう。
まじめな性格の美樹は優等生であり、授業中に眠る事などこれまでに一度もなかった……と言うより、先生の講義を聞かなかったことすらなかったのだ。昨晩の事は確かに不思議な出来事ではあったのだが、一度自分の部屋に戻ってから、無理してでももう一度眠るのだったと後悔しきりだ。
(あれ?この問題……??)
苦手な数学と言うこともあり、大恥をかくことを覚悟しながらも、意を決して黒板の問題に対峙してみると……昨晩兄に色々と解説してもらった例題とほぼ同じ問題であった。
(分る……分るよー……あんちゃん……ありがとー……)
美樹は黒板にすらすらとチョークを滑らせていく。
「おお……正解……さては狸寝入りだったな?
センセを担ごうとしてたんか?参った参った……はい皆……拍手……。」
“パチパチパチ”まだ若い担任の男性教師は少しがっかりした様子だったが、それでも真面目に授業を聞いていたことに満足して美樹を褒めたたえた。
(ひえー……セーフ……でもあたしがこれじゃあ、あんちゃん大丈夫かなー?)
同級生らの拍手に送られて席に着く美樹に、少し心配ごとが生まれた。
「あんちゃん……大丈夫だった?あたしはー……午後の授業で危うく眠りそうになって先生に注意されちゃったべさー。でも、その時に出された問題が、昨日あんちゃんに教えてもらったところだったから助かったべー。あんちゃんは、試験中に寝入ったりしなかったべか?」
夕食の食卓で、兄に試験の様子を確認してきた。
「寝るなんて……とんでもないさぁー。試験だってバッチリだったぞー、昨日しっかり勉強したかんな。
試験は明日で終わりだから、今日も夜食お願いねー。」
夢三は満面の笑みを浮かべ答えた後、母親に両手を合わせて懇願した。
「なんだ……夢三……寝てないのか?いくら若いっつっても、寝ないのはいかんべさ。
病気になったら大変だから夜食の心配なんかしないで、今日くらいは早く寝なさい!」
兄妹の話を追聞いていた父が、兄を諌める。
「いや……寝ようとはしてるんさー。でも、何故か寝つけないだけさー。
眠くなったらベッドに横になって寝ようとするんだけど、眠ったつもりで起きて見ると一分も経っていないべさー。なんも無理して起きていようとしてるんじゃないべさ、眠れないんだから仕方ないべさ。」
ところがそんな父に対して兄が反論する。
「寝れないって……不眠症って事か?
まだ高校生っちゅうに……そんな病気にかかるなんて。大体だな……どっこも悪くないのにずっと家にこもりっきりで、稀の試験日には登校しなければいけないから緊張して眠れなく……まあいい……試験が終わったら病院さ行って来い……。」
眠れない原因は普段家にこもりっきりでいることが原因と踏んでいる父は、それでも息子の体が心配で病院へ行くことを勧める。
「えー……病院……?でも……どっこも悪くないっしょー?」
「どっこも悪くないって……?はんかくさい……不眠症は立派な病気だべさー。」
嫌がる息子を父がたしなめる。不登校は病気と言えない症状だが、不眠症ともなるとこれはもう立派な病気といえるのだ。
「あんちゃん……そう言えば、恐竜戦隊もののパジャマ着ないと寝れないんじゃなかったかぁ?もしかして……恥ずかしくなってパジャマを普通のに変えようとしてたべさ?
あれ?でも……昨日は、恐竜の柄が入ったパジャマだったような気が……。」
すると妹が、話に加わって来た。
「そんな……子供の頃の話を……別に、あのパジャマでなくても寝れるさー。昨日はたまたまあのパジャマの番だっただけさね……いつもはストライプ柄の……。」
「嘘つくでねぇべさ……夢三のパジャマは恐竜戦隊モノの色違い以外もってないべさ。あんなパジャマ……高校生の大きな息子がいるっちゅうに……ご近所に恥ずかしくて外にも干せないべさー。」
更に夕餉の支度を終えた母親までが加わって来た。
「わかったわかった……明日は試験の最終日で午前中で終わりだから、午後から市民病院行ってみるべさ。
それでいいべ?」
半ばキレ気味に、夢三が病院行きを承諾した。




