第48話
かなり放置しておりましたが、ようやく終わらせられそうな目途が立ちましたので、連載再開いたします。まだまだ兄妹たちがやってきますよ……
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“ドンドン”「あんちゃーん……起きてるかー?学校遅れてしまうべー……。」
セーラー服姿の妹が、兄の部屋のドアを叩いている。
「……………………………………」
しかし部屋の中からは返事がない……いつもの事だ。
「また今日も、起きれんのー?今週試験だって言ってなかったべか?
遅刻したら大変っしょー?入るよー。」
ドアを開けた妹の目には、驚きの光景が飛び込んできた。
「うん?美樹か……どうした?」
勉強机の前に座りパソコンのモニターを見つめていた兄が後方の気配を感じ取ったのか、ドアへと振り返りながら両耳に付けていたイヤホンを外す。
時任夢三……受験勉強真っ最中の高校三年生……だが高校入学と、ほぼ同時に不登校となった。
中学まで柔道で鍛えた体も三年のブランクのせいか筋肉はほぼ脂肪に代わり、ブクブクと横に膨らんだ体型となってしまった。
それでも脂肪は軽いのか、未だに運動していた当初と体重は変わっていないと言うのが自慢の一つである。
「ええっ……起きてたの?どうして返事……ああ……何か聞いてたのか……。
したっけ……寝起きの悪いあんちゃんが朝一人で起きて何かやってるなんて……夕べ、何か悪いもんでも食べたか?お腹痛くないべか?」
妹は不思議そうに小首をかしげながら、兄の体調を気づかう。
妹の美樹も兄の影響で柔道を始めたのだが、兄が柔道を辞めると同時に自分も辞め、今は陸上部に所属している。
身長はさほど高くはないが、兄に似ずスレンダーな近所でも評判の美少女で、陸上では長距離の選手だ。
「馬鹿こくな。あんちゃんは早起きして試験勉強してたんだべさ。っていうか……ほとんど寝てないけどさ。何か知らんけど、寝なくても頭がすっきりさ。今日は苦手な英語の試験だから一晩中、英単語ソフトで発音とスペルチェックしていたべさ。」
兄がモニターを妹の方へ向けながら笑顔で答える。
「ねっ……寝てないの……?」
「ああ……ちょっとは……いや……ちょっとも寝てないさー。十分寝たつもりだったけど、時計を見たら1分も経ってなかったべさ。でも頭はすっきりして、全開バリバリさ。」
兄は余裕の表情でピースサインをして見せる。
「ちょ……なんか変な薬物に手を出してないよね?
舌を見せ……あーん……」
「ばっ……はんかくさい事言うなや。そんなもんに手を出すわけないべさ……あーん……。」
夢三は少し怒った様子を見せたが、それでも素直に大きく口を開けて舌を出して見せた。
「うーん……舌も荒れていないし、寝てないのに目も腫れてはいないね。まあいいか……。
でも一晩寝ないでも平気なんて、なまらすごいんでないかい?」
「ああ……昨日の晩、飯食った後にコーヒーを何杯もがぶ飲みしたのが、よかったかもしれんなー。」
「ふうん……今度試験の時に、あたしもやってみるべ……。
とっくに7時回ってるから、早く朝ごはん食べて学校行かないと遅刻するよー。久しぶりの登校だろさー。」
兄の顎のあたりに両手を下からあてがい舌や目の様子を見ていた妹だったが、安心した様子で兄を急がせる。
不登校となり当然のことながら退学の危機となったが、自宅でしっかりと勉強させると父が高校側と交渉し、各学期の試験を必ず受けて他の学生たちの平均点を上回ることを条件に、退学を免れることとなったのだ。
なにせ田舎町の為、近くに通えるような通信制の高校などないのだ。試験を受けに行くだけで特急電車で4時間もかけて行かなければならないことを気の毒に思った、校長先生の計らいだった。
勿論、通学している他学生たちと、全く同じ日の同じ時間に試験を受けるのだが、夢三は別室で試験を受けている。時折、教室に別の学生が試験を受けにやってくることもあると、たまに家族に話す事もあった。
「おおそうか、もうそんな時間か。分った……すぐ行くべ。」
「あたしは部活の朝練があるから、先に行くねー。父ちゃんも母ちゃんも出かけたから、あんちゃんが最後だからね。じょっぺんかっていってね。
寝てないようだけど、試験中に寝ないようにね。お弁当は食卓の上に置いてあるからさー。」
少し安心したのか、妹はそのまま階段を降りて行った。妹もそうだが、家族の誰もが夢三に対して、不登校に至った理由を問い詰めようとはしなかった。家族に対してというよりも、家族だからこそ言いづらい事もあるのだろうと、本人が話したくなるまでは、絶対に聞かないと父からの厳しいお達しが下っているのだ。
家族が不登校の夢三に対しても普通に扱っているせいか、家の中ではそれまでと変わらずに家族と接しているのだが、試験のある登校日以外で夢三が外に出ることは無くなった。
「せっかく調子よく詰め込んでも、遅刻してはワヤなるな、急がねば。」
部屋に残された兄は、すぐに着ていたパジャマから制服に着替えると、妹の後を追うように階段を下りて行った。
(近年まれにみる好成績さねー。こりゃ親父も驚いて、小遣い上げてくれるかもしれんなー。)
それから数時間後、1夜漬けが功を奏したのか、夢三は上機嫌で帰宅してきた。
「ただいまー、帰ったよー。」
「あんちゃんだべー、あたしが今日のおやつに食べようと楽しみにしていたチーズケーキ食べたの。誤魔化そうとしても、いかんよー、うちは父ちゃんも母ちゃんも酒飲みで、甘いもんなんか目もくれないかんねー。」
玄関のドアを開けた途端に、奥の茶の間から妹が血相を変えて飛び出してきた。
「おっ……おおう……今日は早いな……。」
「うちの学校はグラウンドが狭いから、運動部は交替で使うもんだで……今週はずっと朝練さね……。
そんな事より……あたしのチーズケーキ……。」
美樹が目に涙を貯めながら訴える。
「おお……悪い悪い……昨日の晩一晩中勉強していたら、余りに腹が減っちまったもんでつい……だけんども、悪いと思ってたから帰りにちゃあんとケーキを買って来たさー。
ほれ、好きなの選びな。残りはあんちゃんの今日の夜のおやつだべ。昨日の腹の空き具合だと、母ちゃんに夜食も多めに作っておいてもらうべ。」
夢三は後ろ手に隠し持っていた、ケーキ屋の手提げ箱を妹の目の前に差し出した。
「ええー……やったぁー……どれどれ……4つも入っているでねぇの……2つ貰っていい?」
「ああ、折角のチーズケーキ食っちまったお詫びだ、好きなの2つ選びな。久しぶりの買いもんだ、小遣いも余ってたからな、奮発したんだ。」
「やったぁー。」
美樹はケーキの入った箱を受け取ると、そのまま居間へと駆け込んで行った。
「ふぅ……機嫌が直ってよかったよかった……。」
夢三がゆっくりと靴を脱いで居間へ入って行くと、食卓の上で美樹は未だにケーキを選んでいるようだ。
「うーん……モンブランかイチゴショートか、はたまた夕張メロンショートか……ロールケーキも魅力だでね……決まんない……。」
「ゆっくり考えろー。」
居間を少し覗いた兄は、そのまま2階へ上がって行った。
「夜食って……ゆんべも寝てないんだべ?
今日も夜更かしじゃあ体に悪いべさ。夜食の心配よりとっとと寝ろ!」
夕餉の時に母親に夜食をいつもより多めに作ってもらうよう頼んだところ、父親から待ったがかかった。
それはそうであろう、昨晩寝ずに勉強して試験がうまく行ったことを声高らかに自慢した後なのだから、二日連続の徹夜が体に悪いと気づかうのが親心と言うものだ。いくら不登校とはいえ、昼寝ばかりしていた訳ではないだろう。毎週高校から送られてくるノルマをこなしていたはずなのだ。
「えー……寝てないっていうのは……眠くないから寝てないだけで、眠けが来たらベッドで横になったりはしたさー。でも、1分も経たないうちに目が覚めちまうもんだから、だから一晩中起きていただけさー。
今だってそんなに眠くはないし、勉強していて眠くなったらすぐに寝るしさー。だからお願い、夜食だけは念のために、多めに作っておいて。」
夢三は両手を顔の前で、ぴったりと合わせて拝むようにしてお願いする。
「食べきれんかったら、明日の朝ごはんか昼ごはんにすればいいっしょ。とりあえずおにぎり五個作っておくね。二個と三個の皿に分けておくから、食べる時に冷蔵庫から出しなさい。悪くならんように、全部持って行かずに小分けして食べられる分だけ持って行きなさいよ。」
母親があきらめたように、ため息をつく。
「美樹はどうなの?夜食は必要ないの?」
そうして会話に参加して来ない妹の様子を伺う。
「うん……中学は試験はまだだから。それにあんちゃんが買ってきてくれたケーキがまだあるから、それを夜食にするから今日はいいべさ。」
美樹は笑顔で答える。
「ふーんそうなの。じゃあ夢三の分もケーキがあるべさ?
だったら、いつも通りにおにぎりは三個でも……。」
娘の話を聞いて、ふと母親が呟く。
「だめだめ……ゆんべ、どんだけ腹が減った事か。母ちゃん起こすわけにもいかないし、腹がすきすぎて眠れんかったとも言えるからさ。食べられなかったら朝飯にするから、お願い五個作っておいて。」
夢三が、再度両手を合わせて懇願する。
「そんなに毎日毎日食べすぎるから、ぶくぶくと太って行くんだ。柔道していた時にはスリムな体をしていたっていうのに。」
そんな夢三の態度を見て父が嘆く。柔道を止めた原因が不登校と関係している可能性もあるため、当初は禁句だったのだが、かえって家族が気を使いすぎない方がいいだろうと高校のカウンセラーに言われ、最近は何でも平気で口にするようになってきた。
「高校柔道は体重別だから減量があるからだめさー。好きなだけ食べられないからさ。それに……体重は柔道やっていた時と変わんないさー。でも、少し背が縮んだかな……確かにもっと縦長だったような気も……。」
父の気も知らずに、夢三は笑顔を返す。
「成長期の若もんの背ぇが縮むわけねェべさ。ぶくぶくと横に広がっていくから、背ぇが縮んだように見えるだけさぁ。やっぱり夜食はいつも通りでいいんでねぇべか?これ以上のデブを作りたくはねぇ。
決してケチって言ってるんじゃねぇぞ。おめぇの為を思ってだなぁ……。」
父は小さく首を横に振りながら、ため息交じりに意見する。
「駄目だって!一晩中起きて勉強するとどんだけ腹が減るか。途中で眠くなったら夜食はあきらめて寝ることにするし、分割して食べるから……だから……お願い……。」
再三にわたり夢三が懇願する。
「そうは言っても、あったら食べちまうべさ。食い意地が張ってるんだから……。」
いつもは夢三に甘い父も、今日ばかりは頑固だ。流石に息子の健康を考えると、賛成しかねると言ったところだろう。
「じゃあ、こういうのはどうだべさ?あたしが今晩はあんちゃんと一緒に勉強するから、あたしが見張っててあげる。一緒に夜食もして、ただ食べているばかりだったら、おにぎりとり上げるべさ。」
父と息子のやり取りが平行線であることを見かねた美樹が提案する。
「そりゃあ……美樹が見ていてくれるんならいいべさ……でも、おめぇは試験じゃねぇといっとったでねぇか?」
娘の提案に、父が意外そうな顔をする。
仲の良い兄妹で、以前は兄が妹の勉強を見てやっていたようだが、兄が不登校になってからは美樹も気を使っていたのか、一緒に勉強することは無くなったようだ。それを今更復活させようとしているのか?
「うん……最近数学の勉強についていけなくなってて……友達にも教えてもらっているけど、あんちゃん数学得意だったから、少し見てもらいたいと思ってたんで、ちょうどいいべさ?」
美樹が笑顔を見せる。
「でもそれじゃあ、あんちゃんの試験勉強の邪魔することになっちまわねぇか?」
「うーん、そだけど……。」
「まあいいさー。ちょっとくらいなら勉強見てやっても、夜は長いからね。じゃあ、そう言うことで……。」
何とか自分の希望が聞き入れられたところで夢三は食卓を後にして、さっさと二階の自分の部屋へ戻って行った。これ以上残っていて、話を蒸し返されても困るからだ。
「あんちゃん……入るでねぇ……。」
食卓での宣言通りに、妹の美樹が夢三の部屋に入って来た。
「あれ?なんでパジャマ着てるんだぁ?しかも枕まで持って……数学の勉強するんでなかったの?」
ところが部屋に入って来た美樹は、部屋着ではなくパジャマを着ていた。
「だってぇー……数学分らんって嘘だもん……ああでも言わないと、おにぎり作ってもらえなかったっしょ?
あんちゃん可哀そうだと思って、協力してあげたの……助け舟さねー……。」
妹はそう言って笑顔を見せる。
「そっかぁ……まあでも、勉強はするんだろ?
分らんところがあったら、遠慮なくあんちゃんに聞きな。」
少し苦笑いを浮かべながら、兄は机に向き直った。
「うんっ……明日の予習しておくべ……。」
妹は笑顔で答えてベッドわきの茶卓に教科書を広げ、座布団に正座した。
「まずは、おにぎり二個とケーキだな。」
「あたしは……あんちゃんが買ってきてくれたケーキ……。」
夜の11時過ぎたころ、兄妹仲良く夜食を平らげた。
「じゃあ、あたしは歯を磨いて寝ようっと。」
「ああ……あんちゃんはもう少し勉強してから寝るけど……歯磨きした方がよさそうだな……。」
階下の洗面所で食後の歯磨きした後、自分の部屋へと戻ってきた。
「あれ?美樹さー……自分の部屋で寝ねぇの?」
「だってぇ……あたしはあんちゃんの見張り役だよー。見張ってないとー。」
怪訝そうな兄の問いかけに、ベッドの上で布団にくるまっていた美樹が笑顔で振り返る。
「やれやれ……その為に枕を持ってきてたな……ふうっ……。」
高3の兄と中1の妹で5つ違いの兄妹は、妹が小学校の間はよく一つのベッドで一緒に寝たものだった。
ところが中学に入ると、兄を起こすとき以外で妹が兄の部屋に来ることもなくなり、兄としては寂しい気持ちではあったのだが、それでも妹の成長と喜んでいたのだ。
共稼ぎ夫婦と言うこともあり、妹の面倒のほとんどは兄が見ていた為、家にいる時に妹が兄と離れて過ごす事はほとんどなかったものだったが、それも中学に入り卒業と感じていたのだった。
一気にガガッと掲載いたしますので、応援よろしくお願いいたします。




