第37話
11
「作戦は失敗で、透明保護膜を越えようとしていたら、お兄ちゃんがすごく苦しみだしたの。
だから途中で断念して、お兄ちゃんを目覚めさせようとして、それでそのまま車体は空中分解して海上へ落とされて……ヘリで救助してもらったの。
お兄ちゃんの意識がなくなっていて……3日もずっとICUに入れられていたのよ……心配したんだから。
でも……どうしてお兄ちゃんの体が寝ていても浮かないってわかったの?
お医者さんか看護師さんが見回りに来たとかで、そう言っていた?」
医者と看護師が出て行ったので、ようやく小さな声ではあるが普通に会話ができる。
「ああそうか……作戦失敗か……まあ、毎回毎回うまくいくとは限らないという事だよな……。
俺が寝ていると体が浮くなんてことは、看護師さんにもお医者さんにも話してはいない……ここでお医者たちに俺が浮いているところを見られたら、下手するとふざけていると勘繰られて病院を追い出されかねない。
さっきも言っただろ?昨日意識を取り戻してすぐに、この病室に案内されたって……このベッドで一晩寝ていたんだ……。」
そう言って夢幻は天井を指さす。
「ああ……そう……。」
見上げた美愛の視線の先には照明用の蛍光灯が、天井から2本のチェーンを使って吊り下げられていた。
ちょうどベッドの真上に吊り下げられているので、夢幻の体が浮けばそのまま蛍光灯にぶつかってしまう。
たとえチェーンで吊られていたとしても、そのまま天井へ押し付けて、恐らく壊してしまっていたであろう……なにせ夢幻の浮遊能力は、10トンまで持ち上げられるよう負荷を与えられていたのだから。
その照明がなんともないという事は、確かに夢幻の浮遊能力は生じていないことに違いない。
「うーん……でも……1時的なことなのかもしれないのよ……A国の超能力者たちも透明保護膜に取り込まれそうになって脱出した後すぐは、飛行能力が失われていたって神大寺さんが言っていたわ。
まあ翌日には回復したらしいけど……お兄ちゃんの場合は3日間意識がなかったわけだから、今日の晩には浮遊能力が回復すると思うんだけどな……。」
美愛がA国の超能力者の状況を引き合いに出して小声で説明する。
「ああそうか……そうだといいけどな……。」
夢幻はあまり感情を込めずに抑揚なく答える。
「おいおい……寝ているときに体が浮くなんてことは、迷惑以外の何物でもないわけだろ?
その能力が、もしなくなったのだったら、こんなうれしいことはないわけだろ?」
娘や息子の話の内容を聞いている限り、睡眠時浮遊をさも喜ばしい能力のように、待ちわびているように聞こえることが、父には信じがたかった。
「いやあ……この能力があるおかげで、俺みたいな普通の高校生が、この世界を救うヒーローになれるわけだからね……寝ている時とはいえ体が浮いて、しかも周りの人たちも一緒にバリアーで保護されて浮遊できるって言うのは、ありがたい超能力だと今では考えているさ……。」
夢幻も周りを気にしながら小声で答える……夢幻は以前と違い、睡眠時浮遊症候群に関して、随分と好意的な感情を持ってきているようだ。
「ただ、なあ……せっかくの能力が……もう燃料切れ……なんて言うのじゃあ、困ったことになったなあ……。」
夢幻はそういいながら、ベッドの上でしみじみと自分の体を眺める。
「馬鹿なことを言うもんじゃない……もし寝ていても体が浮かなくなれば、普通の生活が送れるんだぞ。
それを喜ばずに、一体何を喜ぶというのだ?
大体だなあ……お前の能力なんてのは……地球外生命体だか何だか知らないが、超巨大な円盤が飛んできた時くらいにしか役に立たないんだ……それ以外の平和な時には、邪魔でしょうがない病気なんだぞ。
なにせ晴れ渡った暖かな日に、公園で昼寝もできやしない……そのまま浮いてしまったら周りの人が大騒ぎで、すぐにネットやテレビでその映像が取り上げられてしまうぞ……そんな不自由な生活でうれしいか?」
夢幻の父が至極当たり前と言えば当たり前のことを、囁くような小声で告げる。
「そんなこと言ったって……地球を守れるんだよ……素晴らしいことじゃないか……。」
夢幻はそういいながら、恍惚の表情を見せる……。
「人知れず……誰にも褒められることもなく……だけどね……。」
美愛がそんな夢幻にくぎを刺す……なにせ超能力のことは、絶対に秘密なのだ。
「まあヒーローなんてそんなものさ……だけれども……ヒロインが……そりゃもう絶世の美女というか、とびっきりのかわいこちゃんが、この世界を救ってくれたのは、どこの色男かしら……なんて世界中を探し回って、最終的には俺を見つけてくれるのさ。
夢幻さん……あなたがこの世界を救ってくださったのですね……お慕い申し上げます……なんてね……。」
夢幻はにやにやと、だらしない笑みを浮かべる。
「あっきれた……そんなこと考えて……だからあんなに簡単にホイホイと、作戦に乗っていったのね……。
もしも……もしもよ……お兄ちゃんの活躍のおかげで、またこの世界が救えたとしてもよ……そうして絶世の美女が、一体だれがこの世界を救ってくれたのか……と考えたとしてもよ……それでどうやってお兄ちゃんを見つけるわけ?なにせ、国家機密なのよ……見つけられるわけないじゃない……。
それにお父さんが言う通り、平和な時にはお兄ちゃんの超能力は、本当に邪魔でしかない能力よ。
そんなのを見て、素晴らしいとかかっこいいとかいうような女の人がいるとは、とても考えられないわよ。」
美愛は小声でつぶやくようにして首を横に振る。
「はあー……そんなことを考えていたのか……ううむ……まあ俺も美愛ちゃんとあわよくば……と考えて作戦に参加しているからな……あまり人のことは言えないが……。」
一緒に見舞いに来ていた春巻幸平も、あきれ顔でつぶやく。
「なんですって……」
そんな幸平を美愛が厳しい目つきで睨みつけ……幸平は首をすくめる。
「ああ……夢幻君のお父さん……このたびは夢幻君たちを危険な目に合わせてしまい、大変申し訳ありません。
しかも、ご挨拶が大変遅くなってしまい、重ね重ね申し訳ありません……。」
ちょうどそこへ神大寺がやって来て、夢幻の父に深々と頭を下げる。
夢幻がICUに入っている間も何度か面会が一緒になったことはあったのだが、夢幻の容態の心配が先立ち、込み入った話はできていなかったのだ。
「ああ……いえ……私が神大寺さんを避けていたのは、息子が意識を取り戻して話を聞いてみなければ、失敗した作戦の詳細とかいきさつは、わからないと思ったからです。
今日息子の話を聞いて分かりました、息子は自らの意思で作戦に参加したのです、誰のせいでもありません。
作戦がまずかったとか、想定外の出来事だったなどといった釈明も不要です……そもそも前回の作戦の時にも伺いましたが、作戦の大半が予想をもとに立てられたものであり、確証あるものではない……それはそうでしょうね、出会ったことのない者たちとの戦いなのですから……。
そんな作戦に……我が息子がお役に立っている……というか、邪な感情を抱いて参加したようですが……それでも自らの意思で向かったのです。
ならば多少のけがなどは問題ありません……無事帰ってくれただけでうれしいですし、それも神大寺さんのおかげだと美愛から聞いております……本当にありがとうございました。
それに美愛も言っておりましたが、人類の危機という事態に関して、職業とか立場などは関係ないと思います。
夢幻の奴がお役に立てて、本人も納得して参加しようとしているわけですから、自分の部下として何なりと指示を出していただけばいいのですよ……。」
今度は夢幻の父が深々と頭を下げる。
「いえいえいえ……そんなもったいない……本当にどれだけお詫び申し上げても足りないというぐらいですのに……ただ、そういっていただけると、少しこちらも気が楽になります……ありがとうございます。」
そう言って神大寺は、更に深く頭を下げる。
「それで……夢幻君の意識が回復した矢先で申し訳ないのですが……この病院で夢幻君が入院を続けることには、少々無理があります……なにせ一般の総合救急病院ですから。
そこで大変申し訳ないのですが、エヌジェイの施設へ移させていただいてもよろしいでしょうか?
もちろん、この病院から夢幻君の治療は引き継ぎますし、エヌジェイには通常は医学療法士しかおりませんが、軍医も派遣してもらう予定です。
夢幻君の回復が優先ではありますが、回復することにより……その……浮いてしまった場合のトラブルが……。」
神大寺は言いにくそうに、言葉を選びながら説明しようとする。
なにせ、この病室は4人部屋で他にも入院患者や見舞客がいるのだ。
ICUから出て重症の場合は個室という事も出来たようだが、経過がいいため相部屋となってしまったようだ……病室待ちの患者も多いため、神大寺がどれだけ交渉しても病院側は了承してくれなかったようだ。
「ああ、そうですね……あまり変なことで騒がれても将来的に困りますからね。
転院が問題ないのであれば、連れて行ってやってください……家に近い環境の方が、こいつもよく寝られるでしょう。」
父は転院のことにも文句を付けなかった……神大寺のことを全面的に信頼している様子だ。
「ありがとうございます……では早速転院の手続きをいたしますので、申し訳ありませんがご同行を願います。」
そう言って神大寺と夢幻の父は病室を出て行った。
「えー……参ったなあ……この病院の看護師さん、若くてかわいい人が多いから喜んでいたのに……。」
一人夢幻だけは不満顔だ。
「おはよう……どう?よく眠れた?こっちの方が通いなれたエヌジェイビルだから、確かに落ち着くよね……」
翌朝、転院した夢幻のもとに、早朝から美愛が尋ねて来た。
昨晩美愛も一緒に泊まるといって駄々をこねたのだが、治療の邪魔になるだけだと言って、父が無理やり車に乗せて連れ帰ったのだ。
「ああ……確かにこっちの方がよく眠れたよ……なにせ、この部屋で寝るのも家で寝るのももうほとんど違和感がないからね。
だがなあ……まだなんだよな……研究員さんが俺が寝ている時の様子をビデオで撮影してくれたんだけど、1ミリも浮かないんだ……どうやら俺の能力は本当に失われてしまったようだな……。
これだったら、別に転院する必要もなかったんじゃあ……。」
夢幻はショックを受けたように浮かない顔で、うつむき気味に答える。
「何を言っているのよ……睡眠時浮遊がいつ回復するかわからないから、エヌジェイビルへ転院して来たんでしょう?
それに、お父さんが言っていた通り、睡眠時浮遊症候群なんて病気、発症しなくなったらそれはそれとしてうれしいことなのよ!
人にばれて変な目で見られる心配もなくなるし、地球のためとはいえ、命がけの危険な冒険をしなくても済むわけなんだから……。」
美愛の望みは、ヒーローとしての兄よりも平和で安全な生活なのだ。
兄しかこの星を救えないという状況であるならば仕方がないのだが、その能力がなくなってしまえば危険な任務に就かなくて済むので、こちらの方がよほどありがたいことなのだ。
「お前……そうは言うがな……地球を救うヒーローだぞ……自然とオーラが出てだな……回りから見ても彼はヒーローだと、自分では何も言わなくてもわかってしまうわけだ……。
そうして超かわいこちゃんのヒロインが、最初はぶっきらぼうなんだが、段々とヒーローの魅力に引きつけられて、後はもう……メロメロに……。
お兄ちゃんはなあ……別に何人もの美女軍団に囲まれる必要性はないんだ……1人だけでいい……超美少女が一人だけでも俺の能力を見抜いて、俺のもとにやってきてくれさえすれば……。」
またもや夢幻は一人悦に入る。
「ばっかねえ……前回超巨大円盤を追い返した時だって、間違いなく地球を救ったはずだけど、お兄ちゃんを訪ねて美女はやってきた?
美女どころか……お隣のおばさんだってお兄ちゃんには挨拶さえしてくれないでしょ?
それはそうよ……なにせ空中浮遊の投稿画像、不正に加工したって言う疑惑、まったく晴れていないから。
神大寺さんのところから、別人が成り代わってお兄ちゃんのアドレスからねつ造コメントを出したということにしてくれたから、世間一般ではあの画像が完全にねつ造であると決めつける人はいなくなったけど、それでも近所ではやっぱりねつ造と思われているのよ。
それはそうよね……お隣さんの息子が寝ているときに勝手に体が宙に浮くなんて事が本当だったら、気味が悪いものね……だから未だにうちのご近所さんは、あの画像が完全なねつ造だと信じている人が大半よ。
勿論あからさまには言わないけど、ネット上で有名になるにはこうしたらいいんじゃないかとか、こういった動画を作ってみたらどうかなんて、未だにいろいろと教えてくれようとする人たちばかりだから……。
まあ今では幸平さんがいるから、色々と画像処理方法を教えてもらっています……なんてとぼけているけどね……。
そんなもの好きの美女が本当に表れたとして、近所まで来て家がどこか尋ねたなら、大抵の場合、あの動画は全てねつ造だから信じちゃダメなんて諭されて帰されるのが落ちよ……。
まあ、そんなこと、あるはずもないけどね。」
美愛が自信満々で答える……元々人付き合いのうまい方ではない夢幻は、近所でも話題に上ることは少ない存在だったが、あの動画を投稿してからは一挙に有名人となった。
それでも夢幻のことをよく知らない近所の人たちは、以降のネットに投稿された内容を鵜呑みにしている人たちが多く、未だに疑惑が晴れないどころか、負の情報を信じ切っている状況のようだ。
睡眠時浮遊などという、常識では考えられない怪現象を奇異な目で見られるよりはいいだろうと、美愛も父も今のままで行ってくれた方がありがたいと考えて、あえて否定しないでいるのだった。
「おはようございまーす……俺の名前はうす……。」
「ああっと……個人情報となる自己紹介は省きましょう……下の名前だけで名字や住所は言わないで置いてくれませんかね……。」
ちょうどそこへ学生らしき2人組の男女と、白衣姿の研究員が入ってきて、そのまま自己紹介しようとする男子を制する。
「へえー……そうですか……夢双と申します、高3です……こちらは妹の美由……中3です。
なんや、俺が寝ている時のことを研究してくれるらしいので……。」
身長180は優に超えていそうな巨漢が、かしこまってあいさつした。




