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第2話

第2話

「お父さーん、お兄ちゃんが居ない。」


「えー……?折角のキャンプだから早く起きて、その辺を散歩でもしているのじゃあないのかい?」


「まさか……ただでも目覚めが悪いお兄ちゃんが、あたしが起こす前に起きるなんて考えられないよ。」


「寝相が悪いから、どっかその辺転がって行ったんじゃないだろうね。」

 父も心配そうに辺りを見回し出した。


「お兄ちゃーん!!!」

 美愛は辺り一面に届けとばかりに、声を張り上げ呼びかける。


「う、うーん。」

 美愛の上方から、かすかにうめき声が聞こえ、彼女がふと見上げて驚いた。


「きゃっ!大変。お父さん、お兄ちゃんが木の枝に引っかかって寝ている。」

 美愛の言葉に、父も上を見上げて驚いた。

 それは寝袋に入ったままで、うつぶせの状態で大きく張ったブナの木の枝に引っかかって、器用に寝ている息子の姿であった。


「おーい、夢幻!寝相の悪いのにも程があるぞ。

 起きんか!……いったいどうやったら、寝袋に入ったままで、そんな上にまで登れるんだ?

 それに、お前は高所恐怖症だったろう?」


「お兄ちゃん、起きて!!!」

 父と妹の言葉に、ようやく夢幻の体が反応した。


「う、うーん。なに?朝から騒々しいなあ。」

 夢幻は眠け眼を寝袋からのわずかな隙間から出た右手で擦りながら、ゆっくりと目を開けた。


「え?なんじゃこりゃあ!」

 と、どこか昔のテレビ番組で、役者が断末魔の叫びをあげたような声を出して驚いて見せる。

 彼の真下には、心配そうな面持ちで見つめる妹と、あきれ顔で両手を後頭部に回して組んでいる父の姿があった。


 驚いた拍子にバランスを崩して寝袋ごと横方向に動いてしまい、木の枝から転がり落ちそうになる。

 それを必死で堪えてバランスを取り、何とか難を逃れた。

 そうして不自由な姿勢に耐えながら、なんとか寝袋から両腕を出し、ようやく張り出した太い枝にしがみつくことが出来た。


「おーい、いつまでもそんなところに居ないで、早いとこ降りてこいよ。」

 父親が、枝にしがみついたままピクリとも動かない息子に向かって声を掛ける。


「む……無理。」

 夢幻は必死で枝にしがみつきながら、声になるかならないかの悲鳴を上げた。


「まったくう……、高いところが苦手なら、そんなところに登らなきゃいいのに。」

 普段から物事に動じない夢幻ではあるが、高いところだけは苦手であった。


 あきれ顔の父親は、それでも息子を何とかしようと、車の所へと小走りで向かった。

 家族とキャンプやレジャーに行くために無理をして購入した、ワゴン車である。

 屋根には冬場にスキーを積み込むためのキャリアが備え付けてあるのだ。


 その車で、木の上で震えて固まっている息子の真下までやってきた。


「どうだ?車の屋根の上に降りられるから怖くないだろう?

 但し、屋根を傷つけられてはかなわんから、うまい事キャリアを足場に降りてくれよ。」


「駄目駄目、とても無理!」

 自分の真下にまでワゴン車の屋根がやってきたが、それでも見下ろす限りはかなりの距離がありそうだ。

 夢幻は両手で太い木の枝を抱きかかえたまま、目をつぶって叫んだ。


「無理なことあるかよ……見た感じ、お前の所から車まで1メートルもないぞ。

 十分に足が届く高さだ。バランスに気を付けて、屋根に傷をつけないようゆっくりと降りてこい。」

 車を移動した後、降りて来た父親は上を見上げながらあきれ顔で叫ぶ。


「う……嘘だ。手を離したら、何メートルもの高さから車の屋根目がけてまっさかさまだ。

 そんな怖い事、出来るわけがない。」

 夢幻は、尚も枝にしがみついている両腕に力を込めた。


「本当よ、お兄ちゃん。お兄ちゃんのいる所から、車の屋根までほんの数十センチ。

 無理ならあたしが昇って行って、助けてあげるわ。」

 美愛は、心配そうにしながら兄を必死で励ます。


「わ……、分った。お前は来なくて良い、そこに居ろ。」

 妹の言葉に反応して、夢幻は恐る恐る、ゆっくりと目を開けた。


 確かに、見方によってはワゴン車の屋根までの距離は、それほど遠くは無いようにも感じられる。

 昨年の夏にサーフボードを積もうとして、誤って屋根を擦りつけた傷が、はっきりと確認できるくらいの距離だ。


 夢幻は、ゆっくりと寝袋のまま膝を曲げて体をずらすと、両手で枝にしがみついたまま、車の屋根に向かって両足を慎重に降ろして行った。

 少しずつ、少しずつ両足をそろえたまま降ろしていく。


 次の瞬間、腰から下までしか入っていなかった寝袋が、ストンと落ちていき屋根の上に広がった。

 その時には自分も奈落の底へと落ちていく感覚で、夢幻の心臓は凍りついた。


(まだか……。)

 それは一生分にも匹敵する永さかもしれないと感じていたが、意外とあっさりと両足の裏は、確かな感触に辿りついた。

 裸足の足の裏に伝わるその感触は、しっかりと屋根に固定された、スキーキャリアの枠組みに間違いがない。


 夢幻は大きく息を吐くと、両手の力を抜いて屋根の上に降り立った。

 気が付いてみると、先ほどまで必死でしがみついていた木の枝は、自分の腹ほどの高さしかなく、ワゴン車の屋根の高さから、さほどの距離はなかったようだ。


 ようやく人心地ついて、へなへなとその場に崩れ落ちた夢幻だが、家族に励まされて10分後には梯子を伝って地上へと降りて来た。


「お兄ちゃん、キャンプだというのに、いつものパジャマ?……という事は……。」


 美愛は突然思いついたように、先ほど夢幻が降りて来たワゴン車の梯子を昇りだした。

 彼女は太ももの半分程度までしか長さがないスカートを履いているのだが、パンツが見えることなどお構いなしに梯子を昇り、夢幻がもぐっていた寝袋を物色している。


「やっぱりだあ、お気に入りの枕、持ってきてたんだあ!」

 美愛は嬉しそうに大きなそば殻入りの枕を、持ち上げながら叫ぶ。


「お兄ちゃんは、お気に入りのパジャマと枕がないと、寝られないものねえ。」

 勝ち誇ったように戦利品の枕を抱えて兄の元へと戻った美愛は、笑いながらその枕を両手で抱え上げて見せた。


「いや……、これは習慣というものであってだなあ、断じて、これがないと寝られないといったような病的な事ではない。

 快適な睡眠のためには、毎日変わらない行動で睡眠を誘うのが良いと、テレビで偉い先生が言っていた。


 いや、もうどうでもいいから、枕は返してくれ。」

 言うが早いか、夢幻は妹の手からお気に入りの枕を奪い取り、頬ずりをした。


「ふーんだ、かわいい妹より、その枕の方がよっぽど大事と見えるわね。失礼しちゃうわ。」

 美愛は思いっきり頬を膨らまして、そっぽを向いた。


「いつまでそんなところでもめているの?早く朝食にしましょう。」

 母が珍しく朝食の準備をした後に、場を持て余したのか皆を呼び寄せる。


 病弱な母に変わって家事の大半は夢幻が行い、最近になって美愛が手伝うようになり、ようやく夢幻の負担が軽減されてきたところだ。


 なぜか母はキャンプに来てから体調が良いようで、昨晩の夕食と言ってもバーベキューだったが、肉を焼いたり取り分けたりと、張り切って仕切っていた。

 今朝も昨日の晩の炭火を熾し直し、持参したフライパンでハムエッグを作り、傍らではポットにコーヒーを沸かしていた。


「母さん、あまり無理をすると、また熱を出して寝込むことになるよ。」

 夢幻はパジャマ姿のままで、母からコーヒーポットを取り上げると、キャンプ用のパイプいすを引いて、そこに座らせた。


 母は病弱という事だが、大病院で精密検査を受けてもこれと言って重い病気が見つかった訳ではない。

 その為、入院歴などないのではあるが、常に家では寝たきりであり、特に手のかかる美愛が生まれてからはひどいもので、寝室のベッドから起き上がるのはトイレに行く時だけで、食事はベッドまで運んでもらい、入浴の代わりに夢幻に温タオルで体を毎日拭かせていたほどだ。


 なぜか、妹の手がかからなくなったここ数年ほどは、気分がいいと風呂なども使うようになり、1週間のうちの半分程度は食卓で食事をするようになってきていた。


 それでも何かあるとすぐに寝込み、特に『お母さん、元気になって来たね』などと、誰かが口にしようものなら、それから最低でも1ヶ月間はベッドから起き上がろうともしないのだ。

 その為、家族の間では元気になったという言葉は禁句となっているほどだ。


 いうなれば、怠け者病ともいえる症状なのだが、母を溺愛する父と、物事をそれほど難しく考えない夢幻は、母親の言うとおりに看病して、特に夢幻は家事の一切を小学校に入学した当初から行っていた。


「いいなあ、お母さんは病気だからお兄ちゃんにやさしくしてもらって。」

 後から来た美愛が不満そうに頬を膨らませる。


「いいから、お前はトーストを焼け。

 トースターでなく炭火の直火だから焦がさないよう注意するんだぞ。」


 夢幻は、厚切りトーストの入った袋を妹に手渡して、自分は家族分のカップにコーヒーを注いでから、紙皿に焼き上がったハムエッグを取り分けた。

 言った傍から、トーストがモクモクと黒煙を上げだし、夢幻が慌ててそれをひっくり返す。


 片面は真っ黒で炭状態である。

 仕方がないので、果物ナイフで焦げた部分をこそぎ落としてから、各自の皿に分ける。


 学業優秀で運動神経も抜群の美愛だが、なぜが料理は苦手の様で、しょっちゅう食材を焦がしたりして台無しにしてしまうのであった。

 その都度、夢幻が尻拭いをして、何とか食べられる状態にするのだが、夢幻にしてみれば手伝ってもらう事により、かえって余計な手間を掛けさせられているといった心境であろう。


 それでも、いずれは嫁に行く身の妹である為、料理の腕はあげた方が良いだろうと考え、日ごろから無理やり手伝わせているのである。


 朝食も終わり人心地着くと、後片付けをしてキャンプ場を引き上げることとなった。

 折り畳みのテーブルやパイプいすに加え、テントなども畳んで車に詰め込む。


「これで、全部だね。」

 夢幻が最後の荷物をワゴン車の後部に詰め込んで振り返った。


「そうだが、お前いつまでその格好でいる気だ?それで、家まで帰るつもりじゃないだろうな。」

 父に指摘された通り、夢幻は朝起きた時と同じ、パジャマ姿のままであった。

 テントを早く畳んでしまい、着替えそびれたのであろうか。


「ああ。昨日変な夢を見たせいか、余り寝られなかったから悪いけど車で寝るよ。家に着いたら起こしてね。」

 夢幻は、いつの間にかお気に入りの枕を抱えていた。


「そ・・、そうか。木の上じゃあ、あまりぐっすりとは寝られなかっただろうから仕方がないな……分かった、助手席でシートを倒して寝て行け。」


「うん、そうさせてもらうよ。」

 夢幻は助手席のドアを開けて乗り込むと、シートベルトを装着してからシートを思いっきり倒すと、頭の後ろに枕を置いて睡眠の体勢に入った。


「じゃあ、忘れ物はないな。」

「しゅっぱーつ!」

 後部座席の美愛の掛け声とともに、車はゆっくりと動き出した。


 家までは高速を使えば2時間ほどの距離だ。

 最寄りのインターから高速へ入って、家路へと向かう。

 渋滞はそれほどでもなく、予定通りの時間に家まで到着できるであろう。

 助手席の夢幻も、順調なドライブにぐっすりと寝息を立てている様子だ。


「えっ!ええっ?ど……どうしたんだ!」

 運転をしている父が何事か叫び始める。

 驚いた美愛が後部座席から身を乗り出し、夢幻が目を覚ました途端に、ドン……ドン……ドン!という大きな振動で、車は大きく縦に揺れた。


 高速道路上で車が、2〜3回ほど小刻みにバウンドしたのではないかと感じられたくらいだ。

 車は何とか急ハンドルを切りながらも、高速道路の路肩に停車した。


「ど、どうしたの?」

 美愛が後ろから心配そうに震える声で、問いかけてきた。


「い……いや、判らん。今一瞬アクセルもブレーキも効かなくなった。

 それどころか、ハンドルも効かずに、ふわっと浮いたような感じが……。地震か?」


 路肩で停車しているワゴン車にお構いなく、後続の車はビュンビュンと走り去っていく。

 どうやらトラブルは、この車だけに発生したようだ。


「えー!寝ていたんじゃないの?

 そりゃ助手席で寝息を立てていたのは悪いとは思うけど……。運転手が寝たら大事故だよ。」

 夢幻は呆れた口調で父親を責め立てた。


「判っているよ。いや、すまん。寝たつもりはないのだが……。気を引き締めて運転するよ。」

 そういうと父は、朝食時に余ったコーヒーを詰めたポットから直接一口飲み込むと、後方を確認してからゆっくりと車を再発進させた。


「な……、何だ?もう俺は絶対に寝ないから、お前は寝ていてもいいんだぞ。」

 しばらく走っても、じっと助手席側から父の様子を見つめる夢幻に対して、父が寝るよう勧める。


「いや、いいよ。父さんが寝たら起こせるよう見張っておく。事故でも起こしたら大変だからね。

 怖くって寝るどころじゃないよ。


 それに、どうも空を飛ぶような夢を見たことが気になって……今日から寝る時は重しがわりに鉄アレイを持って寝ることにしようかなんて考えているくらい。」


「えー、何それ。おかしなお兄ちゃん。」

 夢幻は言葉通り、家に到着するまでずっと起きて運転する父の姿を監視していた。



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